鴉ヶ谷鉱山の記憶 昭和十七年の記録(前編)
坂東直樹が自宅の書庫から取り出した「東濃地方山間部遺構調査(未公開)」の報告書は、表紙こそ簡素だが、中身は驚くほど詳細だった。
ただし、肝心な部分――調査の実施主体や、その後の顛末に関する記述は、意図的と思われる形で欠落していた。
「土志田さん、この欠落部分、何か手がかりはありませんか」
坂東が尋ねると、土志田は自身のタブレットで、別の資料を呼び出した。
「国立公文書館に、断片的にですが関連文書が残っています。……ここに、実施主体を示す記載が」
画面に表示されたのは、かすれた印影の押された古い文書だった。
「陸軍技術研究所 特別調査班、通称『鴉班』」
「鴉班……。この山の名前と、同じ字を使っているんですね」
江戸川がつぶやいた。
「地名から取ったのか、それとも逆に、この調査班の存在があってこそ、山に『鴉ヶ谷』という名がついたのか……今となっては、判然としません」
土志田はさらに資料をめくった。
「鴉班の任務内容についての記述は、ほとんど黒塗りです。ただ、一点だけ――『発見物の分類不能性に鑑み、通常の兵器開発とは異なる扱いとする』という一文が残っています」
「兵器開発とは異なる扱い……」
根古が眉をひそめた。
「つまり、武器として利用しようとした、というわけではない、ということか」
「その可能性が高いですね。むしろ……理解できないものとして、慎重に、あるいは恐れながら扱っていた、という印象を受けます」
坂東が続けて言った。
「久我原さんの祖父の覚書にあった、『理解されるべきものだった』という言葉とも、符合しますね」
その場に同席していた小倉裕司が、ふと表情を曇らせた。
「根古……実は、俺も一つ、思い出したことがある」
「なんだ」
「うちの祖父、戦時中は陸軍にいたんだが……この辺りの山に配属されていた時期があった、と聞いたことがある。詳しいことは、家族の誰も知らないんだが」
根古が驚いた顔で小倉を見た。
「お前の祖父さんも、鴉班の関係者だった可能性がある、ということか」
「わからない。……ただ、祖父は晩年、山の名前を聞くたびに、妙に落ち着かない様子だった、というのは、母から聞いたことがある」
部屋の空気が、また一段と重くなった。
久我原家。江刺家の師匠。そして、もしかすると小倉家――この地に生きる人々の何人かが、鴉班という一つの組織を介して、密かに繋がっている可能性が浮かび上がってきた。
「これは……単なる歴史の謎、では済まなくなってきましたね」
江戸川が静かに言った。
「久我原さんが殺された理由。それが、鴉班の秘密そのものに関わっているとしたら――今、この場にいる誰かも、無関係ではいられないかもしれません」
その言葉に、部屋にいた全員が、無言のまま顔を見合わせた。
窓の外では、夕暮れの光が、鴉ヶ谷の山を赤く染め始めていた。




