鴉ヶ谷鉱山の記憶 文様の意味
坂東直樹が可児署から連絡を受けたのは、その日の夕方だった。
多治見市内の自宅兼研究室で、机いっぱいに広げた発掘資料の整理をしていた五十四歳の考古学者は、電話越しに聞かされた「木製の遺留品」という単語だけで、手にしていたペンを取り落とした。
「……写真を、今すぐ送ってもらえますか」
雨月警部補から転送された画像を見た瞬間、坂東の顔から血の気が引いた。
文様は粗いながらも、特徴的な渦巻き模様と、直線的な刻みの組み合わせで構成されている。
「これは……」
坂東は独り言のようにつぶやくと、すぐに研究室の書棚から古い調査報告書のコピーを引っ張り出した。表紙には手書きで「昭和十七年 東濃地方山間部遺構調査(未公開)」とある。
翌朝、坂東は歴史学者の土志田沙彩を伴って現場に入った。
三十二歳、専門は近代史だが、戦時中の未公開資料の発掘・研究にも定評がある人物だ。
「坂東先生からお話は伺いました。……これは、思っていたより厄介かもしれません」
土志田は坑口の前で足を止め、崩れかけた石組みを見上げた。
「厄介、とは」
雨月が尋ねると、土志田は手にしていたタブレットを操作し、古い白黒写真を表示させた。
「これ、昭和十七年に陸軍の依頼で行われたとされる、未公開の調査報告書の一部です。
東濃地方の山間部で『資源探索』の名目のもと、実際には別の目的の作業が行われていた、という記録があります」
「別の目的、というのは?」
「それが……はっきりしないんです。報告書自体、途中で中断されたような形で終わっていて。ただ、この渦巻き文様と刻みの組み合わせは、報告書に添付されていたスケッチと、ほぼ一致します」
坂東が言葉を継いだ。
「私が知る限り、この文様は東濃地方の在来の信仰体系にはない。もっと言えば、日本国内の一般的な民俗資料にも類例が少ない。……もしかすると、戦時中にこの地に集められた、何らかの『技術者集団』が持ち込んだものかもしれません」
「技術者集団?」
小倉が眉をひそめた。
「鉱山労働者、というだけでは片付けられない話に聞こえるが」
坂東と土志田は顔を見合わせた。その沈黙が、答えの代わりだった。
その頃、根古は少し離れた場所で、一人スマートフォンの画面を見つめていた。
表示されているのは、古い記事のスキャンデータ――彼自身が三十年以上前に取材し、結局お蔵入りになった原稿の写しだった。
タイトルには、こう書かれている。
「東濃某鉱山、消えた技師たちの記録」
根古の目に、複雑な色が浮かんだ。それは驚きでも恐れでもなく、長年抱えてきた疑問が、ようやく形を持ち始めたことへの――ある種の覚悟のようなものだった。
「山田くん」
背後から声をかけられ、山田は振り向いた。
「はい」
「君が引いた記事の糸は、思っていたより深いところに繋がっているようだ。……覚悟はあるか」
山田は一瞬言葉に詰まったが、すぐに頷いた。
「もちろんです。ここまで来て、引き返せません」
根古は小さく笑うと、坑口の奥に広がる暗闇へと、再び視線を戻した。
その暗闇の奥で、まだ誰も知らない何かが、静かに彼らを待っていた。




