鴉ヶ谷鉱山の記憶 可児署の初動
通報から一時間半後、鴉ヶ谷鉱山跡の林道終点には、不釣り合いなほどの車列ができていた。
可児署のパトカーが二台、鑑識車両、そして少し遅れて到着した多治見署長・小倉裕司の公用車。
山中には慣れない革靴とパンプスの足音が、下草を踏みしめながら続いていく。
先頭を切って坂を登るのは、可児署地域課の巡査長・山本彩織だった。
二十八歳という若さながら、ドローン操縦の資格を持ち、山岳や河川での行方不明者捜索では署内随一の実績を誇る。今日も背中には小型のケースを背負っていた。
「山本、まだ本格捜索の指示は出てない。先走るな」
隣を歩く同僚の平圭が、息を切らしながら声をかけた。
二十四歳、山本とは対照的にまだ現場経験の浅い巡査長だが、地図読みの正確さには定評がある。
「わかってます。でも、この山……携帯の電波、ほとんど入らないですよね。
倒れてる人がまだ他にもいたら、地上からじゃ見つけられない」
二人のやり取りを背後で聞いていたのが、警部補の雨月雅之だった。二十八歳、可児署では異例の若さで捜査の指揮を任されている男だが、その理由は本人の実力もさることながら、県警から出向中の警視正・安田達郎の後ろ盾があってのことだ、と署内では囁かれている。
「山本、平、まず現場の保存が最優先だ。ドローンは俺の指示を待て」
雨月の声には、若さに似合わぬ落ち着きがあった。
坑口に到着すると、根古と山田はすでに現場から少し離れた場所で待機していた。
山田は青ざめた顔のまま、それでも記者としての本能からか、手にしたメモ帳に何かを書きつけている。
「根古さん、久しぶりだな」
小倉裕司が息を弾ませながら現れた。
学生時代からの付き合いだという二人は、こんな状況でも自然と旧知の空気を漂わせる。
「小倉。悪いな、こんな朝早くから」
「悪いのはお前じゃなくて、この山だろう」
小倉は坑口の暗がりに目をやり、表情を硬くした。
長年この地域の警察官として勤めてきた男の勘が、何かを察知しているようだった。
雨月警部補が現場に近づき、遺留品と遺体の状態を鑑識と共に確認していく。
しばらくして、彼は根古のもとへと歩み寄った。
「発見者の方ですね。状況を伺いたいのですが……その前に、失礼を承知でお聞きします。あなたは、この鉱山について何かご存知なんですか」
根古は一瞬、山田の方をちらりと見てから、静かに口を開いた。
「昔――まだ私が記者だった頃、この山を巡る噂を取材したことがある。当時は事件性がないと判断されて、記事にはならなかった」
「噂、というのは」
「戦時中、この鉱山で何かが行われていた、という話だ。今の閉山記録には残っていない、非公式の……」
根古がそこまで言いかけたとき、坑口の奥から鑑識課員の声が響いた。
「雨月警部補!……これ、見てもらえますか」
雨月が坑口へと駆け寄る。根古と小倉も、その後を追った。
鑑識課員が指し示していたのは、遺体の傍らに転がっていた木製の道具――先ほど山田たちが目にしたものだった。だが、今その全容が明らかになりつつあった。
それは単なる遺留品ではなく、坑道の壁に打ち込まれた古い木片と、明らかに同じ材質、同じ意匠で作られていた。
「坂東先生……いや、専門家の意見を仰いだ方がいいかもしれません。これは、只の道具じゃない」
雨月の声に、根古が小さく息を呑んだ。
「……坂東直樹。考古学者の彼を、呼ぶことになるとはな」
小倉が根古の横顔を見た。
「根古、お前……何か知ってるんじゃないのか」
根古は答えなかった。ただ、坑道の奥の暗闇を見つめる目には、ただならぬ緊張が浮かんでいた。
山中に、また風が吹き抜けた。今度はさっきよりも冷たく、長く。
まるで、山そのものが、これから起こることを予告しているかのように。




