鴉ヶ谷鉱山の記憶 遺された坑口
多治見の市街地を抜け、県道から林道へと入るとすぐに、車のナビゲーションは役に立たなくなった。山田貴明はハンドルを握りながら、助手席に座る根古親司の横顔をちらりと見た。
「先生、本当にこの道で合ってるんですか」
「先生はよせ。ただの年寄りの顧問だ」
根古はそう言って笑ったが、目は前方の霧に霞む山の稜線から離れなかった。
五十八歳という年齢を感じさせない張りのある声だが、この日ばかりはどこか低く、湿っていた。
山田が根古を頼ったのは、三週間前のことだった。
県内の廃鉱山を巡る取材の中で、「鴉ヶ谷鉱山」という名前を耳にした。昭和のはじめに閉山したとされる小規模な鉱山だが、地元の古老たちの間では、いまだにその名を口にすることを嫌う者が多い。
理由を尋ねても、誰もがはぐらかすように話をそらす。
唯一、まともに取り合ってくれたのが、多治見署長の小倉裕司だった。
根古の同級生だという小倉は、電話口でひとこと、こう言った。
「根古に頼め。あいつなら、あの山のことを知ってる」
根古親司――かつて記者として鳴らし、今は請われるままに様々な調査の「顧問」を務めているという男は、山田の依頼を聞くなり、意外にもあっさりと頷いた。
「鴉ヶ谷か。……いつかは、誰かが掘り返すと思っていたよ」
その言い方が、山田の記者としての勘を強く刺激した。
林道の終点に車を停め、二人は徒歩で山に入った。
九月とはいえ山中の空気はひんやりと重く、下草を踏むたびに湿った土の匂いが立ちのぼる。
根古は古い地形図をポケットから取り出し、迷いのない足取りで斜面を進んでいく。
「鉱山っていうより……何かの跡地、という感じですね」
山田がつぶやいたのは、四十分ほど歩いた先で、不自然に整った石組みが目に入ったからだった。
単なる坑道の入り口にしては、明らかに手が込みすぎている。
苔むした石の表面には、風雨にさらされながらも、かろうじて文様のようなものが刻まれているのが見えた。
「これは……遺跡、ですか」
「鉱山の記録には出てこない。だが、この山には鉱山より古いものが眠っている、という話は昔からあった」
根古の声には、単なる歴史的関心以上の何かが滲んでいた。山田はそれを聞き逃さなかったが、あえて問い詰めることはしなかった。今はまず、目の前のものを記録することが先決だ。
カメラのシャッター音が、静かな山中に不釣り合いなほど大きく響いた。
石組みの奥、崩れかけた坑口らしき暗がりへと二人が近づいたとき、根古がふいに足を止めた。
「山田くん」
「はい」
「先に言っておく。妙な臭いがする」
山田は最初、それが単なる土や苔の匂いだと思っていた。だが根古が示す方向――坑口の奥、崩れた木枠の陰に目を凝らした瞬間、その考えは消えた。
木枠の隙間から覗いていたのは、色褪せた布の切れ端と、動かない人の手だった。
「動くな」
根古の声は低く、しかしよく通った。かつて数え切れないほどの事件現場を踏んできた男の声だった。山田は反射的に足を止め、スマートフォンを取り出しかけた手を止めた。
「先に、可児署に連絡する。……この状況、下手に近づくとまずい」
「まずい、って……」
「見ろ。あの布の色と、遺留物の朽ち方だ」
根古が顎で示した先、遺体のそばに転がっているのは、錆びついた金属片と、奇妙な形に組まれた木製の何か――まるで儀式に使われる道具のような形状をしていた。
山田は喉が渇くのを感じた。ただの白骨死体の発見であれば、これほどまでに根古の顔が強張ることはなかっただろう。
「先生……これは、事故や遭難、なんかじゃないですね」
根古はしばらく無言だった。やがて、地図を握る手に力を込めながら、独り言のようにつぶやいた。
「……やはり、あの話は本当だったか」
「あの話、とは」
根古はその問いには答えず、静かにスマートフォンを取り出し、多治見署の小倉裕司の番号を呼び出した。
呼び出し音が鳴る間、山中に吹き抜けた風が、坑口の奥から乾いた土埃を舞い上げる。まるで、長い間眠っていた何かが、ようやく目を覚ましたかのように。
――鴉ヶ谷鉱山に隠されていた記憶が、動き出そうとしていた。




