「山に還る」
旅の最後に、二人は木曽御嶽山の麓を訪れた。
標高三千メートルを超えるこの霊山は、長野と岐阜にまたがる、日本でも屈指の山岳信仰の聖地である。
「山田さん、この御嶽山、江戸時代までは、一部の修験者しか登れなかったそうです。百日間もの厳しい潔斎を積んだ者だけに許された、特別な山だったんですよ」
「それが、一般の人々にも開かれたのは?」
「覚明という行者と、普寛という行者、二人の力によってです。覚明は黒沢口を、普寛は王滝口を切り開いて、厳しい潔斎なしでも、水行程度の軽い精進で登拝できるようにしたんです」
登山口近くの資料館で、地元のガイドが二人に説明を続けた。
「覚明行者は、実は元々、盗みの疑いをかけられたことがきっかけで、諸国を巡礼する行者になった、という説もあるんですよ。それでも、強引に登拝を決行して拘束されながらも、この山を庶民に開いた」
「中央――というより、既存の権威に逆らってでも、道を切り開いた人だったんですね」
山田は、両面宿儺や石徹白の物語と、どこか通じるものを感じていた。
登山道の脇には、無数の石碑が立ち並んでいた。
「これは……お墓、ですか」
「霊神碑と呼ばれるものです。御嶽信仰では、亡くなった信者の魂は、この御嶽山に還る、と信じられています。登山道沿いには、二万基を超える霊神碑が建てられているんですよ」
佐藤は、その膨大な数の碑を、静かに見渡した。
「これだけの数の人が、死んだ後も、この山に還りたいと願ってきたんですね」
「ええ。それに」ガイドは少し声を落として続けた。
「ご存知かもしれませんが、二〇一四年、この山は噴火し、多くの登山者が犠牲になりました。今もなお、山を愛し、山で命を落とされた方々を悼む祈りが、ここでは続いています」
山田も佐藤も、その言葉に、しばらく静かに頭を下げた。
伝承や符合を面白がる旅の最後に、ここで出会ったのは、もっと生々しく、もっと切実な、人と山との関わりだった。
下山後、二人は麓の宿で、これまでの旅を振り返っていた。
「山田さん、俺、今回の一連の旅を通じて、結局、一番心に残ったのは、こういうことなんです」
「どういうことです?」
「両面宿儺も、石徹白の人々も、御嶽の行者たちも、みんな、中央からは見えにくい場所で、それでも自分たちの信じるものを、大切に守り続けてきた。時には、中央の権威に逆らってでも」
「佐藤さんらしい、大きな括り方ですね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
佐藤は苦笑しながら、ノートを閉じた。
「この一連の旅、いつか一つの本にまとめようと思います。可児から始まって、赤穂、戸来村、剣山、諏訪、そして飛騨・御嶽。日本のあちこちに散らばる、中心と辺境のあいだの物語として」
「タイトルは、もう決まってるんですか」
「まだです。でも――」佐藤は少し考えてから、静かに言った。
「『証明されなかった場所で』、なんてどうでしょう」
山田は、その言葉を、しばらく黙って噛み締めた。
「悪くないですね。むしろ、今の佐藤さんに、一番似合うタイトルかもしれません」
御嶽山の稜線は、夕暮れの光を受けて、静かに、しかし確かな存在感を持って、そこに聳え続けていた。




