「税を免れた村」
石徹白は、白山中居神社を中心に、村全体が神社の社家・社人として成り立ってきた、他に類を見ない集落だった。
「山田さん、ここの成り立ちが、また面白いんです。石徹白の人々は、江戸時代を通じて、無税かつ帯刀御免という、特別な身分を認められていたんですよ」
「無税、というのはすごいですね。なぜそんな特権が」
「白山への登拝者を案内し、宿を提供する『御師』としての役割を担っていたからです。
往時には『上り千人、下り千人』と言われるほど、白山信仰の巡礼者で賑わっていたそうです」
境内で参拝を終えた二人は、社務所で由緒を聞かせてもらった。
対応してくれた神職は、石徹白の歴史に大変詳しい人物だった。
「石徹白は、九千年前から人が住んでいたとされる土地でしてね。縄文時代から、この磐境に神を祀っていた、という伝承もあるんです」
「かなり古い歴史ですね。それに、色々な武将たちの信仰も集めていたとか」
「ええ。源義仲、藤原秀衡、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康――名だたる武将たちが、こぞって寄進をしています。実は、源義経が奥州へ落ち延びる際、この石徹白に身を隠していた、という言い伝えも残っているんですよ」
「義経が、ここに?」
「頼朝の追手を逃れ、雪解けを待つ間、白山への巡礼者を装って滞在していた、とされています。真偽は定かではありませんが」
佐藤が特に興味を示したのは、江戸時代中期に起きたという「石徹白騒動」だった。
「これ、ちょっとした政変レベルの騒動だったみたいですね」
「その通りです。神社の神職同士の対立が、当時の郡上藩の寺社奉行を巻き込む形に発展しましてね。最終的には、幕府の評定所まで介入する事態になり、老中や若年寄が処分され、郡上藩主に至っては、お家断絶という結末を迎えているんです」
「小さな山村の内輪もめが、幕府中枢まで揺るがした、ということですか」
「そういうことになりますね。この土地は、小さいながらも、それだけの重みを持った信仰の拠点だった、ということでしょう」
神職はさらに、もう一つの興味深い話を聞かせてくれた。
「昭和三十年代にも、実はこの石徹白では、県境を越えて福井県に合併しようという動きがあったんですよ。地理的には、岐阜の中心部より、福井の方がずっと近いものですから」
「それは、結局どうなったんです」
「最終的には、岐阜県に残ることになりました。ですが、地図の上での県境と、人々の生活実感としての繋がりが、必ずしも一致しない土地だ、ということは、今でも変わっていません」
その夜、宿で佐藤は、これまでの旅のメモを見返しながら、静かに呟いた。
「山田さん、両面宿儺、合掌造りの塩硝、そしてこの石徹白。バラバラのようで、実は共通点がある気がするんです」
「共通点、というと?」
「どれも、中央の視点からは見えにくい、あるいは軽んじられがちな、山間の土地の物語なんですよね。でも、掘り下げてみると、それぞれが、中央の歴史をも動かしかねないほどの重みを持っていた」
山田は頷いた。
「両面宿儺は中央から見れば凶賊、地元から見れば英雄。塩硝は表向きただの山村、裏では軍事機密。石徹白は、地図の上では岐阜、でも生活の実感では、また別の繋がりを持っている。……どれも、一つの見方だけでは捉えきれない土地、ということですね」
「ええ。俺、こういう『中心と辺境のズレ』みたいなテーマ、今回の旅でようやく、自分の言葉で掴めてきた気がします」
窓の外には、白山へと続く稜線が、夜の闇の中に静かに横たわっていた。




