「鶴亀山の彼方に」
翌朝、山田と佐藤は、山木伝蔵の案内で、劔山本宮劔神社へと向かった。
境内で祈祷をしていた宮司に話を聞こうとしたその時、参道の脇で、一人の初老の外国人男性が、静かに岩肌をスケッチしているのが目に留まった。
「失礼、あなたは……」
山田が声をかけると、男性は顔を上げ、穏やかな英語交じりの日本語で答えた。
「ああ、驚かせてすみません。私はダニエル・ローゼンといいます。
エルサレムの大学で、比較神話学を研究している者です」
「アークの伝承を、調べにいらしたんですか」
「ええ。ですが、誤解しないでいただきたいのですが」ダニエルは苦笑しながら続けた。
「私は、本当にここにアークが埋まっているとは思っていません。ただ、なぜこれほど遠く離れた国に、我々の神話とよく似た伝承が生まれたのか、そのこと自体に興味があるのです」
「よく似た伝承、というと」
「神輿の起源、祭りの掛け声、山伏の装束――偶然の一致と片付けるには、確かに数が多い。しかし、それが古代の直接的な接触の証拠だとは、私は考えていません。むしろ、人間が神聖なものを『運ぶ』『守る』という営みを、独立してよく似た形で発展させた、という方が、私には自然に思えます」
佐藤が興味津々に食いついた。
「でも、可能性はゼロじゃないですよね」
「もちろん、ゼロだとは言いません。歴史とは、常に『可能性』の余地を残すものです。
ですが、その可能性に飛びつく前に、まずは目の前にある伝承そのものを、丁寧に読み解くべきだと、私は思っています」
ダニエルの言葉は、以前一石誠二が語った、信仰にも似た切実さとは、また違う響きを持っていた。
学者としての、地に足のついた誠実さがそこにはあった。
山木伝蔵の家に戻った二人は、囲炉裏端で、これまでの旅を振り返っていた。
「山田さん、結局、アークがあるかどうかは、分からずじまいでしたね」
「そうですね。でも、それでいいんじゃないですか」
「え?」
「赤穂で、戸来村で、そしてここで。僕らが見てきたのは、『証拠』じゃなくて、それぞれの土地の人たちが、長い時間をかけて紡いできた物語でした。ダニエルさんの言う通り、それ自体に価値があるんだと思います」
佐藤はしばらく黙っていたが、やがてノートを取り出し、何かを書き留め始めた。
「山田さん。俺、今回の旅で、初めて『事実』っていうものの、本当の面白さが分かった気がします」
「どういうことです?」
「今までの俺は、『面白い物語』を作るために、事実を都合よく切り貼りしてきただけだったんです。でも、今回みたいに、山田さんと一緒に、丁寧に事実を積み重ねていく過程そのものが、実はどんな空想より面白いんだって、気づいたんですよ」
山田は少し驚いた顔をしたが、やがて柔らかく笑った。
「それは、探偵にでも転職したくなりましたか」
「まさか。俺は俺で、これを小説に書きます。ただし――」佐藤はいたずらっぽく笑った。
「今度は、ちゃんと『これはフィクションです』って、大きく書いておきますよ」
旅の最後、山木伝蔵は、二人を見送りながら、静かに言った。
「あんたらは、答えを見つけには来なかったが、この山の話を、ちゃんと持ち帰ってくれる。それだけで、わしは十分じゃよ」
剣山の山頂は、その日も雲に隠れて、その全貌を見せてはくれなかった。
だが、麓から見上げるその稜線は、確かに、遠い昔から変わらぬ姿で、そこに在り続けていた。




