「土地に残るもの」
根古親司の家に、この数週間で最も多くの人間が集まっていた。工藤俊一、秋月小五郎、山田貴明、そして肩身の狭そうな顔をした佐藤直樹。縁側では、黒猫のヤマトがいつも通り、悠然と丸くなっている。
「わしの家に、こんなに客が来たのは、久しぶりだな」
根古はそう言って笑ったが、誰も笑い返す余裕はなかった。
「根古さん、レイチェルとサロメという二人は、一石さんたちとは明らかに毛色が違います。組織の中でも強硬派なんでしょう」
工藤の言葉に、根古は静かに頷いた。
「なら、話をするしかないだろうね」
「話をする、って……根古さん、相手はプロの工作員ですよ」
山田が思わず口を挟んだ。だが根古は、あくまで飄々とした調子を崩さなかった。
「工藤くん。あんたも、探偵として散々修羅場をくぐってきたんだろう。だったら分かるはずだ。武力で押し通そうとする相手にも、大抵は『筋』というものがある。筋の通った話をすれば、案外、耳を傾けてくれるものだよ」
その翌日、根古自らが、一石誠二を通じて、レイチェルとサロメに面会を申し入れた。場所は、あの恵那山の麓――静かな社の境内だった。
「わざわざ、我々に会いに来るとは」
サロメが警戒を滲ませながら言う。レイチェルは無言のまま、周囲への警戒を怠らない。
「あんたらは、証拠が欲しいんだろう。だが、この土地には、あんたらが探しているような『物証』は、たぶん、これから先も出てこないと思うよ」
「それを、なぜあなたが断言できるんです」
根古は懐から、古びた一冊のノートを取り出した。かつて郷土史を調べていた頃の、自身の手書きの記録だという。
「これは、わしが若い頃、この一帯の言い伝えを聞いて回った時のメモだ。位山と恵那山の対応関係も、三柱鳥居の話も、全部載っている。だが、これはあくまで『言い伝え』の記録であって、科学的な証拠じゃない」
「それを、我々に渡すと?」
「ああ。あんたらが求めているものが、本当に『事実』の裏付けなら、これで十分なはずだ。だが、もしそれでも足りないというなら――」根古は静かに、しかしはっきりと言った。「それは、あんたらが本当に欲しいものが、証拠じゃなくて、何か別のものだからだろう」
サロメとレイチェルは、しばらく無言だった。根古の差し出したノートを、サロメが静かに受け取る。
「……持ち帰って、精査します」
「好きにするといい」
数日後、レイチェルとサロメは、静かに町を去っていった。メサイア・ミカルへの正式な報告に、何が書かれたのかを知る者は、この町には誰もいなかった。ただ、それ以降、この件で新たな接触が図られることはなかった。
一石誠二は、去り際に一度だけ、工藤のもとを訪れた。
「根古さんに、よろしくお伝えください。……あの人のノートは、我々の中でも、少なからず議論を呼んだようです」
「良い方向にですか」
「それは、時間が経ってみないと分かりません。ですが、少なくとも、これ以上この土地を騒がせることはない、とだけは申し上げられます」
全ての騒動が過ぎ去った後、佐藤直樹は、ふさぎ込んだ様子で山田のもとを訪れた。
「山田さん、俺、なんか……とんでもないことしでかしたなって、反省してます」
「まあ、今回は少し懲りたでしょう」
「懲りましたよ、本当に。でも」佐藤は少し照れくさそうに続けた。「今回の一件、いつか小説にしてもいいですか。もちろん、事実そのままじゃなく、ちゃんとフィクションとして」
山田は少し考えてから、答えた。
「……いいんじゃないですか。ただし、書く前に、一度根古さんに挨拶しておくことをお勧めします」
「え、なんでです?」
「あの人は、たぶん、あなたが思っている以上に、この土地のことを知っていますから」
根古親司の家の縁側では、いつも通り、黒猫のヤマトが陽だまりの中で丸くなっていた。
「さて、と」
根古は湯呑みを傾けながら、誰にともなく呟いた。
「今日も、いい天気だ」
山の稜線の向こうで、夏の入道雲が、ゆっくりと形を変えていった。




