第10話 「恵那山、胞衣の記憶」
恵那山――地元では古くから「胞山」とも呼ばれてきた、その山頂付近に、夜明け前から複数の人影が集まっていた。
工藤俊一、秋月小五郎、そして山田貴明。三人が息を切らして辿り着いたとき、すでに現場には、二つの勢力が対峙する形で立っていた。
一方には、ステーブ・ヘイブンスと、護衛のカルロス、ホセ。北村唯と遠藤成気の姿もある。もう一方には、一石誠二、マーク・コーエン、ベン・ダヴィド。そして、これまで気配だけを見せていたジェイコブ・ラファエルとアンナ・レヴィが、静かに周囲を固めていた。
「……派手な顔ぶれだな」
秋月が小声で漏らす。
山田は一歩前に出た。ジャーナリストとしての本能が、この場を「取材対象」ではなく「介入すべき現場」だと告げていた。
「みなさん、これ以上事を荒立てるのは、双方にとって得策じゃないと思いますが」
ステーブがゆっくりと振り返った。
「ミスター山田。噂は聞いている。だが、これは我々にとって、単なる好奇心の問題ではない」
「古代の暦の技術、ですか。金山の巨石で見つけた測量の痕跡は、あなた方のものですね」
ステーブは肯定も否定もしなかったが、その沈黙が答えだった。
一石が、静かに口を挟んだ。
「我々の目的は、彼らとは違う。この山には、天照大神の胞衣が納められたという伝承がある。そして北の位山には、その胞衣を切ったとされる刃物の伝承が」
「日ユ同祖論、でしたね。日本の総祖神と、あなた方の唯一神が同じ源流を持つという」
一石は頷いた。
「証明できるとは思っていない。だが、確かめずにはいられない者が、我々の中にもいるのです」
その時、山の斜面から静かに姿を現したのは、意外な人物だった。
「みなさん、朝早くからご苦労なことだ」
根古親司だった。飄々とした足取りで、まるで散歩の途中のような顔をしている。足元には、いつの間にか黒猫のヤマトもついてきていた。
「根古さん!? どうしてここに」
驚く山田に、根古は苦笑した。
「小倉から、雨月くんたちがこっちに向かっていると聞いてね。わしは首を突っ込むつもりはなかったが……まあ、野次馬根性というやつだ」
根古はそう言うと、集まった一同を見渡し、静かに言葉を続けた。
「あんたらの言う『証明』とやらは、多分、ここでは見つからんよ」
「……どういう意味です」
ステーブが眉をひそめる。根古は、遠くの山並みを眺めながら答えた。
「伝承ってのはな、事実かどうかを確かめるためにあるんじゃない。人がこの土地とどう向き合ってきたか、その記憶の形なんだ。刃物の山と、胞衣の山。二つの伝承が対になっているというその事実自体が、答えなんじゃないかね」
その言葉に、その場の誰もが、しばらく黙り込んだ。
やがて、雨月雅之を先頭に、山本彩織、平圭、そして愛知県警の三枝、中村、小山らが、山道を登ってくる足音が聞こえてきた。県警の介入によって、この対峙は、これ以上の実力行使には発展しないまま、静かに幕を引くことになった。
数週間後。
山田貴明が書き上げた記事は、事件の核心――国際的な諜報機関の暗躍そのもの――には触れなかった。代わりに、彼はこう書いた。
『飛騨・美濃の山々には、古代から続く聖地のネットワークが眠っている。その真偽を確かめようとした人々がいたことも、また一つの事実である。伝承とは、答えを与えるものではなく、問い続けることを許すものなのかもしれない』
記事は静かな反響を呼び、いくつかの取材依頼が山田のもとに舞い込んだ。だが、彼はそれ以上、この件を深追いすることはなかった。
根古親司の家の縁側では、いつも通り、黒猫のヤマトが陽だまりの中で丸くなっていた。時折、山の方角に目をやることはあっても、もうそこに、以前ほどの緊張感はないようだった。
「さて、と」
根古は湯呑みを傾けながら、誰にともなく呟いた。
「今日も、いい天気だ」
(完)




