第六話 ―フィーゼの根から月密根へ―
ベルトの離れを訪ねた翌朝、アーシェは北側の丘へ向かった。
セバルトが付き添い、数人の使用人も少し離れてついてきた。止めても無駄だとわかっているのか、セバルトは今日は何も言わなかった。ただ黙って、いくらか疲れの滲んだ横顔で寄り添っていた。
丘の斜面には、細い葉が、風に気持ちよさそうにそよいでいた。しゃら、しゃららと乾いた音を立てて、朝の光がその隙間を滑り落ちる。
アーシェはしゃがみ込み、地面を少し掘った。すると、白みがかった太い根が顔を出した。 土の匂いと一緒に、かすかな青い香りが立った。ベルトの本に描かれていたものと、確かに同じだった。
「あったわ」
根を一本引き抜いて、土を払う。少し考え思い切って、かじってみた。
――ほんのり、甘い。
でも、それだけではなかった。甘みのすぐ後ろに、青臭さと土臭さが広がってくる。
――これを煮詰めれば、良くなるかしら。
「セバルト、籠を持ってきてくれる?」
「……用意してございます」
振り返ると、後ろに控えていた使用人の一人が、既に大きな籠を提げていた。セバルトが、視線だけでそれを促す。
準備の良さに、アーシェは思わず笑ってしまった。
「ありがとう、セバルト」
「……どういたしまして」
◇ ◇ ◇
丘からフィーゼの根を持ち帰り厨房へ行くと、ガストンが既にいつもの竈の前に立っていた。何を言わずとも、すっかり慣れた流れだった。
「今日は、これを煮詰めてみたいの」
「……かしこまりました」
籠ごと根を渡すと、あとは全てガストンに任せる。包丁も、鍋も、火も。アーシェにできるのは、踏み台に乗って見守ることと、味見をすることだけだった。
ガストンは根を受け取って洗った。まな板の上で刻んで、水を張った鍋に入れ火にかけた。
アーシェはいつもの踏み台に乗り、鍋の中を覗き込んだ。もう、このやり取りは何度目になるだろうか。
しばらくすると湯気が立ち上り、甘い香りがふわりと漂った。そして、その奥には、やはりあの青臭さが重なっている。
「そのまま、煮詰めてもらえるかしら」
「かしこまりました」
木べらを操るガストンの手元を、アーシェはじっと見つめ続けた。
煮詰めても青臭い風味は、飛ばなかった。味見をすると、凝縮された甘みも青臭さ、土の匂いも同じだけ濃くなってしまった。美味しいとは言い難かった。
「石の板に、薄く広げてもらえるかしら」
ガストンが鍋の中身を、石の板の上に薄く広げた。冷ますために、しばらくそのまま置いておいた。とろりとしていたものが、しゃりり、と固まっていく感触があった。
――結晶に、なる……?
固まりはしたが結晶にはならず、味見したときよりも多く口に含むと、えぐみとぬめりが唐突に押し寄せてきて、とてもお菓子に使えるものではなかった。
「……だめだったわ」
ガストンが横から覗き込み、鍋の匂いを嗅いだ。次の瞬間、ほんの一歩だけ後ろへ下がった。
「……残念でございますね」
「ええ」
アーシェは鍋の前にしゃがみ込んだまま、しばらく動かなかった。
――甘みはあるの。えぐみが強すぎる。純粋に甘みだけを持つものが、どこかにあればいいのに。
「ベルトさんに、報告しなくちゃ」
◇ ◇ ◇
離れを訪ねると、ベルトは結果を聞いて、手帳に何やら書き込んだ。
「やはり、えぐみの問題が残りましたか。理論通りですね」
「他に候補は、あるかしら」
「うーん」ベルトは頭を掻いた。「甘みを持つ根となると……この島では、正直厳しいかもしれません。本土の山の方まで範囲を広げれば、また別の話になりますが」
「本土の、山」
「ええ。ただ、ハイセル領の中でも、まだ調べきれていない場所が多くて」
アーシェは、ふと思い出したことを口にした。
「そういえば、うちの雪乳獣のミルクって、他よりちょっと甘いの。厩番のお爺さんが『あの子たちは甘いものが好きだから』って言ってたわ」
「好きで食べる植物があるみたい。それって甘いのかしら、名前まではわからないけど」
「雪乳獣ですか。ハイセル領の高地で飼われている、乳牛に似た家畜でしょう。良質なミルクが取れると有名な」
「うちの管理で、育てているの。好んで食べる植物なんだけど…確か繊維が多くて食べられないって言ってたわ」
ベルトの眼鏡の奥の目が、かすかに動いた。ベルトは手帳を何枚かめくった。
「……それ、月密根では?」
「月密根?」
「正式名は文献によって違うのですが、私はそう呼んでいます。月光を受けると、淡く青白く輝くので」ベルトは手帳を開いて見せた。「これですか」
そこには、丸い根の断面図が描かれていた。同心円の輪模様。中心から放射状に伸びる、淡い色合いの線。
「見たことはないけど、綺麗な断面ね」
「月みたいでしょう。だから、月密根」
「甘みは、あるの?」
「若干、あります」ベルトは少し眉を寄せた。「ただ、繊維質が非常に強くて。煮ても焼いても繊維が口に残って、食べられたものじゃないと言われています」
「繊維質が、強い」
――さとうきびも、繊維が多かったわね。でも、甘みはある。煮ても焼いても、繊維が残るなら煮詰めて、濾せば、いいんじゃないかしら。
「ベルトさん」
「なんです」
「繊維を濾して、甘みだけを取り出すことはできると思う?」
「……煮汁だけを使う、ということですか」
「ええ。煮詰めて、布で濾して、また煮詰めて。繊維は取り除いて、甘みだけを残すの」
ベルトはしばらく、手帳を見た。
「……やったことは、ないですね」
「試してみても、いいかも」
「私も試したい。一緒に試していいですか」
「もちろん、いいわよ」
アーシェは立ち上がった。
「まず、月密根を手に入れないと。高地の厩番さんに、聞いてみるわ」
「高地へは、私も行きます」
「ベルトさん、長靴を履いてきてね」
「履いてきますよ、当然」
セバルトが、部屋の隅で静かに目を閉じた。
当然、と言えるような準備の良い方ではございませんがと、心の中で思った。




