第6話『白い影、消えない視線』
ゲンキは楽しそうにしっぽをぶんぶん振りながら、ぴょこんっ!って軽く跳ねながら私の横を歩いていく。
その無邪気さに、つい顔がほころんじゃう。
ふと空を見上げると、夕焼けの名残がじわじわ消えていく。
街灯がぽつぽつと灯り始めて、
家々の窓からも、あったかそうな光が漏れてきてた。
(……これから、夜が来るんだなぁ)
昼間の賑やかさは少しずつ遠のいて、町が静けさに包まれていく中。
いつもの道を歩きながら――なんとなく後ろを振り返ってみた。
……通行人は、いる。
ひんやりした空気と、静かな街並みの中で――
心臓だけが、妙にうるさい。
(……なんか、おかしい)
足音がする。
ひとつ、ふたつ――
私の歩幅に、ぴたりと重なってくる。
立ち止まると、止まる。
歩き出すと、また重なる。
その誰とも、足音が合わないまま――
見られてる、気がする。
どこからかわからない。
でも確かに、誰かが――
“こっちを見てる”。
背中の奥が、ぞわっと冷たくなる。
ぞわっとした寒気の奥に、
言葉にならない“なにか”が混じってる。
怒り……?
それとも――
(これ……気のせいじゃない)
理由はわからないのに、
体だけが、はっきりと警告してくる。
――ここは危ない、って。
そのとき。
目の前に、犬神神社の鳥居が見えた。
「あっ……」
なぜか、それだけでほんの少しホッとした。
ゲンキは私のスピードにちゃんと合わせてくれてる。
ほんとに、心強い相棒だよ。
でも――まだ、消えきらない。
足音が、まだ……
鳥居をくぐった瞬間。
……すぅっ。
さっきまで感じてた不安な気配が、ふっと消えた気がした。
理由はわからない。
背中にまとわりついていた“なにか”が、遠ざかっていくような――そんな、不思議な感覚。
……。
私はすでに、神社の境内にいた。
そっと深呼吸。すーっと息を吸って、ふぅっと吐く。
ここは、私にとって特別な場所。
小さい頃、おじいちゃんに連れられてこの神社で遊んだこと、境内を走り回ったこと――たくさんの思い出が詰まってる。
そして何より、おじいちゃんの優しい笑顔が浮かんでくる。
『ここは千陽を守ってくれる場所だよ』
そう言ってくれたおじいちゃんの声が、今でもはっきり残っている。
守ってくれる場所――
「……おじいちゃん、ありがとう」
そっと心の中でつぶやく。
その余韻のまま、なぜか上を見上げていた。
拝殿の屋根の上――
白く、淡い影のようなものが、
ふっと揺れた気がした。
「……えっ?」
瞬きをした次の瞬間には、もう何もない。
……。
さっきまで“そこにあったはずのもの”だけが、
綺麗に消えている。
見渡しても、誰もいない。
風だけが、サァ……と通り抜けていく。
(……いまの、なに?)
その感覚だけが、消えない。
ゲンキは足元を歩きながら、ぴょこんって振り返ってこっちを見てくれる。
「ふふ、ありがとね。ゲンキ」
その顔に、ほんのり安心。
でも、さっきの白い影のことが、まだ頭から離れない。
神社の鳥居の方をもう一度振り返ると、
そこには、静かになりはじめた夕暮れが広がってた。
「……うん、大丈夫。気のせい、だよね」
自分にそう言い聞かせながら、ゲンキのリードを軽く引いた。
ゲンキはしっぽをぶんぶん振りながら、小走りで私の横を歩いてくれる。
「えへへ、元気もらえるなぁ」
帰り道、さっきより少し冷たくなった風が、肌をなでていく。
おうちの窓からもれた明かりが、どこかホッとさせてくれて……でも、やっぱり今日はちょっとだけ、いつもと違う感じがした。
「……はぁ、考えすぎ、かなぁ」
不安を振り払うみたいに、ゲンキの頭をなでなで。
ゲンキは「へへ〜♪」って顔で私を見上げてくれて、足元にぴったり寄り添って歩いてくれる。
もう、それだけで安心できちゃう。
気づけば、我が家の門が見えてきた。
玄関の明かりがぽっと灯ってて、外までおうちのぬくもりがあふれてきてるみたい。
「ふぅ〜……ただいま、我が家〜っ」
ゲンキと一緒に玄関をくぐると、いつもの匂いがふわっと広がって、体中の緊張が一気にゆるんだ気がした。
リードを外したゲンキは、「やったー!」みたいな顔で水皿に直行。しっぽ、めっちゃ振ってる〜♪
靴を脱ぎながら、一度だけ玄関の外をチラリ。
さっきまで歩いてた帰り道が、そこに広がってるけど……もう、変な気配は感じない。
「……やっぱり、気のせい……だったの、かな」
ぽつりと呟いて、そっとドアを閉めた。
「ただいま〜っ!」
リビングからは、カチャカチャと食器の音。
「おかえり、千陽。ごはんできてるわよ〜」
ママのその声が、なんかもう安心感で胸いっぱいになる魔法みたいで。
ダイニングテーブルには、湯気の立ったお味噌汁と、焼き鮭と、ほくほくの煮物。
それに、つやつやの白ご飯が湯気を立てて――
そして、私の大好物――ママの作ってくれた特製肉じゃが!
じゃがいもがほっくほくで、お肉も甘辛くて……
この見た目だけで、もう絶対おいしいってわかるっ!
「わぁ〜〜っ! 今日は大好きなものばっかりだ〜っ♪」
「ふふ、千陽が喜ぶと思ってね」
私はぴょんっと席に座って、「いただきま〜すっ!」って手を合わせる。ちょっとお腹も鳴っちゃった。
ひとくち頬張った肉じゃがは、やさしい味で――
ああ、帰ってきたんだなぁと、しみじみ思った。
お風呂前のご飯って、
なんかすっごく沁みるんだよねっ。
*
「ふぃ〜〜〜、やっぱお風呂〜〜〜っ!!」
脱衣所で声が出ちゃうレベルの、待ちに待った癒しタイム!
今日の私服をぬぎぬぎ、Tシャツもぽいっ!
スカートは腰でくるんっ☆――って、あわわっ!?
足がもつれて、そのまま片足ぴょんぴょんっ!?!?
「うっそ、脱げない!?なにこれ!ちょ、ちょっと待って〜〜っ!!」
ようやくスカートがぬげてホッとしたそのとき――
足元を見て、思わずフリーズ。
靴下、片っぽだけひっくり返ったまま、今日ず〜っと普通に過ごしてた。
「……え、ウソ。これ――朝から裏返しで履いてた!?!?」
部活でも着替えたのに……靴下、そのままだったんだ。
「うわ〜っ!誰も見てないよね!?更衣室で着替えた時とか、部活中とか……!!」
ドキドキしてるくせに、笑いがこみあげてきて――
いやいやいや、私マジで大丈夫!?!?
……そのとき、ふと目線を上げると、
鏡に映った“着替え途中のわたし”とばっちり目が合った。
「……な、なにこの格好~~~!?!?!?!?(照)」
思わずシャツの裾をぎゅっ!って引っぱって隠して、
くるくる小回りして、ふにゃふにゃ床に転がって――
そしてぺたんと座り込む。
だけど、ちょっと笑っちゃって。
ほっぺぷく〜って膨らませながら、ぽそっとつぶやいた。
「……でもまぁ、誰も見てないしっ♪」
はぁ〜……なんで着替えただけでこんな体力使ってるの〜!?
……でも!お風呂に入れば、ぜ〜〜んぶチャラっっ!!
お湯を張ったバスタブから、ほわ〜〜んと湯気が立ってる。
ふたを開けると、ぬくもりがふわって全身を包み込むようで――うわぁぁ……幸せすぎてとろけそう〜〜。
先に髪と身体をささっと洗って、
「じゃ、いっくよー!ザブーンっ☆」
……ってやりたい気持ちはあるけど!
ぐっとこらえて、ちゃぽんと足先からゆっくり入る。
これが実は、お気に入りだったりする。
「はぁ〜〜〜……天国かも〜〜……」
湯船の中で手足をぷかぷか浮かせたり、
お湯に身をあずけて、ぼーっとしたり。
お風呂ってさ、ただあったかいだけじゃなくて――
心の奥も、ぽかぽかになる感じ。好き。
(さっきの変な気配も……少しは、お湯に流れていった気がする)
そう思った瞬間、お湯の中でちっちゃくガッツポーズ。
「よしっ!私、まだまだいけるっ!」
その夜――私は、ふわっふわになった髪で、
ちょっぴり上機嫌に布団へ向かうのでしたっ♪
*
お布団に入って、ふかふかのまどろみに包まれながら、そっと目を閉じる。
窓の外から、風の音がやさしく聞こえてきて……部屋の中は、静かな夜の空気に包まれてる。
足元には、くるんと丸まって寝てるゲンキがいて――
その寝顔を見てるだけで、胸がきゅっとなる。
そっと頭を撫でて、「おやすみ、ゲンキっ」と囁いた。
ゲンキはしっぽをちょこっと振って、そのまま目を閉じる。
その様子を見ているうちに、自然とまぶたが重くなっていく。
……あったかい気持ちに包まれても、心の奥では、ずっとおじいちゃんのことを思い出してしまう。
おじいちゃんが病気で倒れた、あの日――
私は何もできなかった。
あの日は、冬の朝だった。
おじいちゃんが突然倒れて、病院に運ばれた。
私はずっと、おじいちゃんの手を握っていた。
でも、その手は……もう、あたたかくない。
あのとき、もう会えないんだって――
初めて本当に気づいた。
おじいちゃんの顔が、いまでもはっきり浮かぶ。
その手のぬくもりも、笑ったときの優しい声も……
もう触れられないのが、さみしい。
『命は大切にしなさい。君がどんな時でも、命を守るために強くなりなさい』
おじいちゃんが私に残してくれた、大切な言葉。
――それが、今の私を支えてくれてる。
「おじいちゃん、私はまだ頑張るよ」
そう心の中で、そっとつぶやいた。
でもね……
やっぱり、どこかで思ってしまうんだ。
もう一度、会いたいなって。
きっと私、ずっと忘れない。
――おじいちゃんのこと。
今の私には――まだ、できることがあるんだよね。
そっと深呼吸。
鼻からすーっ、口からふぅーっ……って。
すぐ隣で、ゲンキがすぅすぅ寝てて……その寝息が、まるで子守唄みたいで。
「おやすみ、おじいちゃん……」
その言葉を、心の中にそっと置いて――
ふわりと夢の中へと沈んでいった。
*
そして次の日の朝!
いつも通り、朝の準備をパタパタとこなして、元気におうちを出発!
亜沙美と登校中におしゃべりしてると、なんでもないことで笑っちゃう。
でも――
昨日、背後から感じた“あの視線”――
それと神社での“白い影”。
あれは、いったい何だったんだろう。
……まあ、気にしても仕方ないか。
今日はいつも通りでいこっ。
よしっ、切り替え切り替えっ!
*
教室に入ったら――
なにこれ、なんか空気がピリッとしてる!?
席について、担任の白石先生が言った。
「それでは、今日から転校生が一人います。皆さん、仲良くしてあげてください」
その瞬間――
教室の扉が、ガラッと開いた。
すっと差し込んだ光の中に立っていたのは――
長く伸びた、銀色の髪。
さらりと揺れたその髪が、窓からの光を受けて、淡く輝いて見えた。
「え、なにあの子……めっちゃ綺麗じゃない?」
「銀髪……?地毛?マジで?」
ざわざわと、小さな声が教室のあちこちで広がっていく。
「……ちょ、チハル。すごい子来たんだけど」
前の席から、ひそっと亜沙美の声。
その転校生は、ゆっくりと教室の中へ足を踏み入れて、
まっすぐ教壇の前まで歩いていく。
その一歩一歩に、なぜか視線が引き寄せられて――
教室の空気が、ほんの少しだけ張りつめた気がした。
……あの時、展望台で会ったひと!?
ドクンって心臓が高鳴って、なんとも言えない感覚が体を走った。
「転校生の天野ヒカリです」
わずかに間を置いて、静かに頭を下げた。
「よろしくね」
そのまま、ふわっと微笑む。
「じゃあ、天野は……犬神の隣の席だな。」
先生が席の指示をして、ヒカリさんは……なんと、私の隣の窓際の席に!
そっと椅子を引いて座った彼女の存在が、
すぐそばにあるのに不思議と違和感がなかった。
むしろ……なんか、しっくりくる感じ。
こっそり、その横顔を盗み見る。
机の上に手をそっと置いて――ふと、目が合った。
「……また会えたわね」
その微笑みに、胸がきゅっとなって。
目が離せない。
「えっと……。よろしく、ヒカリっ!」
――あっ。
言った瞬間、呼び捨てにしちゃったと気づいて、慌てて口を押さえた。
「ご、ごめん!ヒカリ……さん、つい……!」
ほっぺた、もう真っ赤っか。
うぅ……どうしよ、って思ったら。
「ううん。呼び捨てでいいよ。……なんだか、そのほうが、嬉しいから」
そう言って、ふわっとやさしく微笑んだ。
――なんだか、胸がふわっとあたたかくなる。
この前会ったばかりなのに――呼び捨ての「ヒカリ」が、すごく自然で、懐かしい気がした。
まるで、前からそう呼んでいたみたいな、そんな不思議な感覚。
もう一度、小さな声で――今度は照れずに言った。
「……うん。よろしくね、ヒカリっ」
心の奥で、なにかがカチッとはまるような感覚がして。
彼女がここに来た意味が、これから大切になっていく――そんな予感がした。
第三章へ続く……




