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料理人が異世界転生して灰汁を取り続けたら、王が膝をつき魔将が泣いた  作者: もしものべりすと


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第九章 効率化の旗

北方の前線基地は、王都から馬で五日。


 その途中の村々が、最初に黒い湯気の影響を受けていた。


 俺たちはロザリエ王女の指揮する救援隊と共に、北へ向かった。


 最初の村に入ったとき、俺は思わず立ち止まった。


 井戸の水が、薄い灰色に濁っていた。


 畑の作物が、枯れていた。


 子供が、母親の腕の中でぐったりしていた。


 空気そのものが、薄かった。


 俺たちが村に入った瞬間、息を吸うだけで、肺が、わずかに、痛んだ。


 まるで、地下三十メートルに潜ったときのような、酸素の薄さ。


 でも、ここは、平地だった。


 そういう環境ではない、はずだった。


 救援隊の医師が、すぐに、症状を調べた。


 症状は、肺の問題ではなかった。


 息を吸う行為そのものは、できていた。


 でも、吸った息が、生きる力に、変換されていなかった。


 体の中で、何かが、薄められて、効かなくなっていた。


 それが、インスタント・フォンの被害だ、と医師は判断した。


 黒い湯気を吸い込むと、身体の中の「フォン」が薄まる、とセルナは言った。


 息ができなくなる病ではない。


 ただ、生きる力が、ゆっくりと、薄められていく病だった。


 俺は救援隊の天幕で、簡易の寸胴を据えた。


 持参した骨と香味野菜で、最低限のフォンを引き、村人に飲ませた。


 飲んだ村人は、しばらくして、咳が止まり、目に光が戻った。


 ぐったりしていた子供が、母親の腕の中で、首を持ち上げた。


 母親が、声を出さずに、泣いた。


 別の母親が、子供を抱えて、列の最後尾に並んだ。


 列は、すぐに、村の通りを、二周するほどの長さになった。


 俺は寝なかった。


 寝ている時間に、井戸の毒は広がる。


 香味野菜を切るのは、若い兵が手伝ってくれた。


 彼の包丁の使い方は素人だったが、何度か俺が見せると、すぐに、形になった。


 骨を入れる量、火加減、灰汁の取り方。


 俺は、口で説明する代わりに、隣で、ゆっくり、やって見せた。


 兵は、最初、緊張していた。


 次に、目つきが変わった。


 灰汁の出る位置、玉杓子の角度、表面に触れる強さ。


 そういう、誰も教えてくれなかったものを、彼は、必死に、自分の目で、覚えていた。


 でも、その効果は、丸一日しか続かなかった。


 翌朝には、また同じ症状が、ぶり返していた。


 俺の手は、追いついていなかった。


 救援隊の若い兵が、北の方を指差した。


「冬野殿、あれです」


 遠くの、丘の上。


 黒い天幕が、何十も並んでいた。


 その中央に、巨大な、釜のようなものが据えられていた。


 釜から、絶え間なく、黒い湯気が立ち上っていた。


 あの釜が、インスタント・フォンの発信源だった。


 釜の周りで、黒い長衣の兵士たちが、黙々と、薪を、放り込んでいた。


 彼らの動きには、無駄が、なかった。


 効率化された、組織立った動き。


 まるで、地球の、深夜の物流倉庫の作業員のような動きだった。


「指揮官は、新しく赴任してきた『効率化の魔将ハザム』というものです」


 兵は、低い声で言った。


「短時間で大量の魔素を出す方法を、各前線に広めて回っています」


「効率化、ですか」


「捕虜の話によれば、口癖が『効率』だと」


 俺は、玉杓子を握り直した。


 その単語を、最近、別の場所で、何度も聞いた気がした。


 夕暮れ、双眼鏡に似た魔道具で、敵陣の中央を見た。


 大釜の前に、黒い長衣の男が立っていた。


 遠目だったが、その男の所作には、見覚えがあった。


 腕を広げる癖。


 手のひらを部下に向けて見せる、あの仕草。


 部下が困った顔をすると、肩をすくめる動き。


 俺は、双眼鏡を下ろした。


 しばらく、息を整えた。


 もう一度、双眼鏡を、覗いた。


 今度は、彼の右手の動きを、追った。


 右手の親指の使い方が、決定的だった。


 彼は、何かの計算をするとき、必ず、自分の左手の手のひらに、右の親指の腹を、押し当てる癖があった。


 会議室で、原価率の表を見ながら、彼が何度もやっていた仕草。


 あの仕草を、敵陣の指揮官も、していた。


「セルナさん」


「はい」


「あの男、地球の人間かもしれません」


 セルナの瞳が、はっとなった。


「同郷の方、ですか」


「同じ職場でした」


 俺は、自分の声が、不自然に冷たいのに、自分で気づいた。


「俺に食中毒の濡れ衣を着せた、男です」


 セルナは、しばらく、俺を見ていた。


 彼女は、何か言いかけて、口を、閉じた。


 彼女は、たぶん、知っていた。


 あの男が、誰なのか。


 俺と、あの男の間に、何があったのか。


 彼女は、世界の根――フォン――と繋がっている存在だ。


 寸胴の前で起きたことは、すべて、彼女の知るところに、なる。


 でも、彼女は、何も、言わなかった。


 何も言わずに、俺の方に、ゆっくりと、頷いた。


「冬野さん」


「はい」


「あの方は、たぶん、まだ、自分が、誰の何を、踏んでいるか、気づいていません」


「……」


「その方が、自分で気づくまで、待ってあげるのも、料理人の仕事です」


 俺は、双眼鏡を、もう一度、握り直した。


「料理人の仕事、ですか」


「ええ」


 彼女は、少し、笑った。


「灰汁が、自分で、出てくるまで、待ちますよね」


「……」


「人間も、たぶん、同じです」


 俺は、そのとき、彼女の言葉を、半分だけ、信じた。


 半分は、信じられなかった。


 でも、その「半分だけ」が、あとになって、効いてきた。


 その夜、敵陣からの夜襲があった。


 黒い兵士たちが、簡易の壺を持って村の周囲に湧いた。


 壺の中身は、インスタント・フォンの濃縮液。


 井戸に投げ込まれれば、その井戸はもう使えなくなる。


 救援隊の兵士たちは、必死で井戸を守った。


 俺は寸胴の前を離れられず、震える手で、村の子供たちに次々とフォンを飲ませ続けた。


 夜が明けた頃、村の半分の井戸は、黒く染まっていた。


 残った人数では、もう、村全体は守れなかった。


 俺は寸胴の縁に手をついて、初めて、肩で息をしていた。

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