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料理人が異世界転生して灰汁を取り続けたら、王が膝をつき魔将が泣いた  作者: もしものべりすと


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第十章 インスタントの侵食

救援隊は、いったん王都へ戻ることになった。


 北方の村は、住民を全員避難させ、放棄された。


 戻る馬車の中で、セルナの様子がおかしかった。


 最初は、軽い咳だった。


 次に、頬の血色が、薄くなった。


 昼を過ぎる頃には、馬車の壁にもたれかかって、目を閉じていた。


「セルナさん」


 俺は彼女の手を取った。


 冷たかった。


 彼女の指先の色が、いつもの薄い金色から、薄い灰色に変わっていた。


 その指先を、俺は、見ていた。


 最初、気のせいだと、思った。


 でも、明らかに、変わっていた。


 彼女の指の付け根まで、灰色が、上がってきていた。


 まるで、寸胴のフォンに、インスタントの濃縮液を、一滴、垂らしたあとのような色。


 澄んだ金色が、薄められ、灰色が、滲んでいく。


「……ごめんなさい」


「何が」


「あの夜、私は北の村で、子供を一人、抱きかかえました」


 彼女の声は、囁き声だった。


「あの子、もう一度息ができるように、私は、自分のフォンを、少し分けたんです」


 俺は、息を呑んだ。


「分けたって、どういう」


「私自身が『根源(フォン)の精霊』ですから」


 セルナは、少し笑った。


「分け与えた分、私の体は、インスタントに侵されやすくなります」


 馬車の中の空気が、急に、重くなった。


 俺は、彼女の手を、自分の両手で包んだ。


 冷たい指が、徐々に、もっと冷たくなっていく。


 その冷たさを、俺は、十年前にも、一度、経験していた。


 樋口さんが、ある夜、地下の厨房で、鍋に手を突っ込んだことがあった。


 彼の指は、それから半時間、紫色になり、自力では動かなかった。


 俺は、樋口さんの指を、両手で包んで、長く、温めた。


 あの夜の感触と、いま、セルナの指を握っている感触が、不思議と、似ていた。


 誰かの指の冷たさは、温め続けることで、必ず、戻る。


 でも、世界の根が冷えたとき、それを温める方法は、たぶん、ひとつしかなかった。


 俺は、玉杓子の柄を、握り直した。


 王都に戻った頃には、セルナは自力で歩けなくなっていた。


 城の医師たちが、診た。


 全員、首を振った。


「これは、普通の病ではありません」


「世界の根源と繋がる存在の、根源そのものが、薄められています」


「治す術は、こちらにはありません」


 医師たちは、互いの顔を、見合わせた。


 その表情には、彼らが、これまで、何度も見てきた「病人を見送る前夜」の表情があった。


 ロザリエ王女が、そのことに、気づいていた。


 彼女は、医師たちの方には、目を向けず、ただ、セルナの寝顔を、見ていた。


 セルナの顔色は、馬車の中で見たときよりも、さらに、薄くなっていた。


 唇が、青みがかっていた。


 息は、ほとんど、聞こえなかった。


 ロザリエ王女が、俺の前に来て、深く頭を下げた。


「冬野殿、あなたなら、何かできますか」


 俺は、答えられなかった。


 俺の引けるフォンは、人を一日、生かすところまでだ。


 精霊そのものを、根本から作り直す力は、ない。


 ロザリエ王女は、俺の沈黙を、ずっと、待っていた。


 彼女は、俺を、急かさなかった。


 答えを、押し付けなかった。


 ただ、俺の沈黙の重さを、自分も、隣で、引き受けようとしていた。


 その姿勢が、俺には、いちばん、こたえた。


 もし、彼女が、「冬野殿、頼みます」と、押し付けてきたら、俺は、たぶん、いまここで、玉杓子を放り投げていた。


 でも、彼女は、待っていた。


 待つ、ということは、相手の重さを、自分の肩でも、半分、持つということだった。


 俺は、長く、息を吐いて、ようやく、彼女に頭を下げ返した。


「分かりました。考えます」


「ありがとうございます」


「いえ」


 彼女は、もう一度、深く、頭を下げた。


 その日の夜、俺は寝室の窓から、北の空を見ていた。


 黒い湯気の柱が、また、二本に増えていた。


 ハザムは、加速していた。


 効率は、加速し続けるものだ。


 ゆっくり煮るより、速く煮る方が、ずっと簡単だ。


 俺の手は、玉杓子の柄を、握ったまま動かなかった。


 間に合わない。


 はっきりと、その言葉が、頭の中に居座っていた。


 次の日の朝、ロザリエ王女が、俺に提案を持ち込んできた。


「冬野殿、宮廷会議で、議論が出ました」


「……」


「いっそ、こちらも、ハザムの『インスタント技術』を学んで、効率化に転じてはどうか、と」


「効率化、って」


「あなたの三日かけたフォンを、二時間で再現する技術です」


「それは、効果半減のはずです」


「効果半減でも、間に合うなら、それを採るべきだ、と」


 ロザリエ王女の声は、少しだけ、震えていた。


 彼女自身が言わされている、という感じが、伝わってきた。


「冬野殿の意見を、お聞かせください」


 俺は、長く、黙っていた。


 窓の外で、北の黒煙が、また少し、太くなった気がした。


 俺は、玉杓子を、王女の机に置いた。


「少し、考える時間をください」


 城を出た。


 馬を一頭、借りた。


 北の方角ではなく、東の森に向かって、俺は馬を走らせた。


 誰もいない、静かな場所で、もう一度、灰汁を取りたかった。


 誰のためでもなく、ただ、自分のために、もう一度。


 馬の鞍に揺られながら、俺は、玉杓子の柄を、強く、握り直した。


 効率化、という単語の重さを、考えていた。


 効率化を選べば、たぶん、北方の村は、半分は、救える。


 効率化を選ばなければ、北方の村は、全滅するかもしれない。


 でも、効率化を選んだ瞬間、俺の引いてきた十年も、すべて、否定される。


 俺だけの問題なら、構わなかった。


 でも、樋口さんの十年も、否定される。


 樋口さんの親父さんの、もっと前の十年も、否定される。


 その重さが、俺の手を、止めていた。

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