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料理人が異世界転生して灰汁を取り続けたら、王が膝をつき魔将が泣いた  作者: もしものべりすと


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第十三章 アクの中の真実

翌朝、王都中央広場に、新しい寸胴が運び込まれた。


 前回より、さらに大きかった。


 直径は人の身長の三倍、深さは二人分。


 青銅製で、表面に古代語の文様が刻まれていた。


 千年前、世界の根が濁り始める前に、最後に作られた寸胴だ、と聖職者の長老が言った。


 それまで、古代の博物館の中で、千年眠っていた寸胴だった。


 誰も、再び使われる日が来るとは、思っていなかった。


 文様の中で、「フォン」の古代文字が、いちばん大きく、刻まれていた。


 ロザリエ王女が、宮廷の財務官に命じて、国家備蓄の薪と骨を、すべて開放させた。


 骨は、馬車二十台分。


 薪は、馬車五十台分。


 香味野菜は、近隣三国から、緊急で買い付けた。


 集まった「焚き手」は、総勢で五百名を超えた。


 貴族、聖職者、平民、子供、老人。


 みんな、自分にできる仕事を、希望してきた。


 応募の列は、王都の中央広場から、東門まで、続いた。


 ロザリエ王女は、応募者の一人ひとりに、自分で会って、役割を、振った。


 彼女は、二日間、ほとんど、寝なかった。


 名簿の末尾には、最後に応募してきた、十四歳の少年の名前が、書かれていた。


 彼は、両親を、北方の村で、失っていた。


 応募の理由を、ロザリエ王女に聞かれて、彼は、こう、答えた。


「俺、両親を、もう、戻せません」


「……」


「でも、ほかの誰かの両親が、あの黒い湯気で、死ぬのは、止めたい」


 彼は、薪を運ぶ係に、配属された。


 俺は、寸胴の前で、彼らに役割を振り分けた。


「薪をくべる係は、火床ごとに二名。火が偏らないように、向かいの火床と動きを合わせてください」


 貴族の若者が、頷いた。


「香味野菜を切る係は、十二人。皮はむかないでください。土だけ落とします」


 台所の見習いの少女たちが、頷いた。


「灰汁を取る係は、俺と、もう一人」


 俺は、振り返った。


「ロザリエ王女、横についてください」


 王女は、深く頷いた。


「分かりました」


 彼女の手には、すでに、専用の長柄の玉杓子が握られていた。


 一晩、彼女は寝ずに、城の厨房で素振りをしていたらしかった。


「お手本を、見せてください、冬野殿」


「はい」


 俺は、玉杓子の縁を、表面に「触れさせる」やり方を、彼女に見せた。


「吸い取らない。撫でる。舐める」


「撫でる、舐める……」


 彼女は、自分の玉杓子で、慎重に、表面に触れた。


 最初の一回は、力みすぎて、底のゼラチン層が舞った。


 二回目は、少し力が抜けすぎて、灰汁を逃した。


 三回目で、彼女は、ようやく、灰汁の膜だけを、剥がした。


「……できました」


 彼女は、自分でも信じられない、という顔をしていた。


「ロザリエ王女、あなた、向いていますよ」


 俺は、本気でそう言った。


 彼女の手は、震えていなかった。


 火を入れる準備が、整った。


 寸胴の真下に、薪が組まれた。


 組んだのは、王女と、見習いの少女と、貴族の若者だった。


 火種は、聖職者の長老が、両手で火を起こした。


 火が、薪に移った。


 寸胴の底が、温まり始めた。


 水が、骨を抱いて、ゆっくりと、温度を上げていった。


 俺は、玉杓子を握って、寸胴の縁に立った。


 左隣に、ロザリエ王女が、立っていた。


 その後ろに、五百人が、それぞれの持ち場で、息を整えていた。


 空気が、変わり始めた。


 北方の、黒い湯気の柱が、わずかに、揺らいだ。


 遠くから、こちらの存在を、感知した――そんな気配だった。


 ハザムが、こちらに気づいた。


 そう思った瞬間、俺の頭の中で、駅のホームの雨の音が、よみがえった。


 でも、もう、震えなかった。


 俺の左には、ロザリエ王女が立っていた。


 俺の後ろには、五百人が、静かに俺を見ていた。


 五百人の中に、見覚えのある顔も、あった。


 マリエルさんが、香味野菜を切る列の中で、いちばん年上の指揮役として、立っていた。


 彼女は、この日のために、自分の宿を一時休業にして、王都まで来ていた。


 最初に俺のフォンに泣いた市井の女性が、いま、五百人の中央近くで、刃物を握っていた。


 村の長老も、薪を運ぶ列の最後尾に、立っていた。


 彼の腕は、若い頃の力が、まだ、残っていた。


 冒険者ギルドの受付嬢も、計量の係として、来ていた。


 大柄な冒険者は、火床の脇で、薪をくべる準備をしていた。


 あの日、ゴブリンの皿を口にして、頭を抱えていた男だった。


 俺は、その光景を、寸胴の縁から、ゆっくりと、見回した。


 誰一人、俺のために来てくれた人ではなかった。


 彼ら全員、自分自身のために、ここに、立っていた。


 澄んだフォンを、自分自身が、世界に、入れたかった。


 たぶん、それが、いちばん、強い動機だった。


 俺は、玉杓子を、表面に「触れさせた」。


 最初の灰汁が、浮いてきた。


 舐めるように、剥がした。


 寸胴の周りで、五百人が、同時に、息を吐いた。


 始まった。


 火床の薪の音が、ぱち、ぱち、と、規則正しく、響いていた。


 貴族の若者が、二時間ごとに火床の角度を合わせていた。


 彼の額に、汗が流れていた。


 香味野菜の列では、見習いの少女たちが無言で、皮の周りの土を落としていた。


 彼女たちの指先は、土で黒くなっていた。


 計量係は銅の量り棒を握り、水の補充量に、ひと寸の狂いも出さなかった。


 彼の額にも、汗が流れていた。


 誰も口を開かなかった。


 誰も休まなかった。


 寸胴の周りで、五百人がそれぞれの位置で、それぞれの仕事をしていた。


 俺は玉杓子を握ったまま、その光景をぐるりと見回した。


 樋口さんに見せたかった。


 見せたい人は、もう、たくさんいた。


 寸胴の中の最初の灰汁が、表面にふつ、と浮いた。


 俺は玉杓子の縁を、その灰汁に触れさせた。


 舐めるように剥がした。


 灰汁の膜は、剥がした瞬間、ふっと空気に消えた。


 その瞬間、寸胴の周りの五百人がそれぞれ、自分の持ち場の最初の動きを開始した。


 火床の薪が、一斉に組み替えられた。


 香味野菜が、一斉に刻まれ始めた。


 水が計量され、寸胴に補充された。


 五百人が、ひとつの動きの中に収まっていた。


 俺はその光景を見ながら、ふと、十年前の地下の厨房を思い出した。


 あの夜、樋口さんと並んで二人で灰汁を取った夜。


 あの動きが、いま、五百倍になっている。


 俺の十年は、たぶん、この瞬間のために続いてきた。

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