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旅する指揮者  作者: ろくせいウィンドオーケストラ
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第十話 バッカナールの日(3)

これまでのあらすじ:クロスランド共和国で、年末の大掃除を手伝っていたマエストロは、何故か百年ほど昔にタイムスリップしてしまった。そこで出会った作曲家と劇作家を手伝い、オペラの初演を振ることになる。

 朝、少し雪が降っていた。フェルディナントたちの家に押し合いへし合いして泊まっていた団員たちは、早くも本番衣装に着替え、身震いしながらすぐ近所の劇場へと向かった。


 マエストロは、シャルルに借りた礼服を着て(お腹周りが少しきつかった)、総譜スコアと指揮棒を取り上げた。指揮棒だけは、現代から持ってきたものだ。指揮者となってからほんの片時も手放したことはない。


 フェルディナントが呼びかけた。

「準備はできましたか」

「うん」

「じゃ、いきますか」

 三人で家を出発し、雪がうっすらとつもった小道を歩いた。いつの間にか、シャルルがマエストロの隣にいる。

「……今日は」

珍しくシャルルが自分から口を開く。

「今日は……あなたの舞台です。マエストロ」

 マエストロは微笑み、首を振った。

「いいえ、皆の舞台ですよ」


 最終稽古ゲネプロはあっという間にすぎた。今から開場時刻までしばしの休憩に入る奏者や、舞台に集まった役者たちに向けて、マエストロは言った。

「はい皆さん、ゲネお疲れ様でした。こうして、だれも病気や怪我なんかで抜けることなく本番を迎えられそうで、嬉しいです。練習期間は短かったですが、皆さんよく集中して仕上げてくれたので、本番も皆さんらしい良い演奏ができるのではないかなと思います。本日はね、『いろんな』お客様が来られると思いますが、客席のことはあまり気にせずに。とにかく楽しんで演奏しましょう」

 奏者たちはマエストロを見上げ、口々に同意した。休憩開始と同時に、フェルディナントや裏方スタッフが、昼食を運んできた。サンドイッチやスープの良い匂いが狭い劇鋤内に漂った。


 開場。団員は、舞台袖から客席の様子を眺めた。知り合いを見つけた団員が喜んでいるのを尻目に、ノエルは呟いた。

「魔法使いがたくさんいるわ」

 豊かな髪を様々な形に結い上げて、時には妖精を召し使いのように周囲に漂わせ、ぺちゃくちゃとおしゃべりをする魔法使いたち――彼らの様子を見て、ノエルの胸は軋んだ。オペラを最後まで観た時、彼らは何と言うだろう?

「怖い?」

 主人公役の役者、エタンがノエルに尋ねた。ノエルはうなずく。

「……でも、もう本番だもの」

 その言葉の通り、開演時刻を告げるベルが鳴った。役者たちは慌てて顔を引っ込め、上手かみて下手しもてに別れて待機する。


 オーケストラピットには、既にマエストロと奏者たちが控えている。コンサートマスターとオーボエ奏者の主導でチューニングをしている最中に、マエストロは客席に目を向けた。

 

 客席のちょうど真ん中に座る、一人の男と目が合った。室内だというのに防寒用のマントをしっかりと被った、冷たい表情の男。蔑みと疑いの表情がない交ぜになったその顔には見覚えがあった。

 マエストロは小さくうなずき、オーケストラに向き直った。ちょうどチューニングが終わったので、指揮棒をかまえる。客席がざわめいた。

 

 マエストロはこの日、魔法なしであることを隠さずに指揮を振る。この時代では、それが違法だというが、構うことはない。魔法なしが指揮者をして本当に困る人間など一人もいないことを、彼はよく承知していたからだ。


 指揮棒が振り下ろされると同時に、オペラは始まった。ファゴットのロングトーンから、音楽が紡がれていく。そしてオーケストラに当てられていた照明は次第に舞台へと移り、はるか昔の物語が甦った。




 故郷を追われ、あちらこちらで惨めな日々を過ごすさすらいの民がありました。富も領土も、暴力に対抗する力もない彼らを、どの国の民も奴隷のように虐げ、嘲りました。

 彼らにできるのは、いのることだけです。毎晩、自分たちを虐げる人々が寝静まった後、彼らは集まっていのりました。澄んだ合唱が、星の彼方にいるはずの神様に届くことを信じて。ぼろをまとい、傷ついた体を寄せ合い、年寄りも若者も、男も女も歌います。

 昼間は、歌うことなど決してできませんでした。皆日暮れまで牛馬のように働かされている上、その国の人々が彼らの歌を嫌ったからです。

 いのりの歌は、残虐な人々にとっては、呪いのように忌まわしい響きに聞こえました。いのる民を見ると、残虐な人々は何故かむかむかと不愉快な気分になり、訳もなく打擲ちょうちゃくしたり、蹴りつけたくなるのでした。

 

 いのる民が虐げられている様子を、天使が眺めていました。

 純白の羽を背中に生やし、少年のようにあどけない顔をした天使は、地上で行われていることを全て知っています。残忍な王が、いのる民の身分を奴隷に定め、一生ただ働きをさせよと命じたことも、夜、歌う民の集団に兵士たちがどっと襲いかかり、逮捕してしまったことも、お腹を減らし、わずかな食糧を仲間たちで分け合う、いのる民の嘆きも。

 でも、天使はこれほどの悲劇を目の当たりにしながら、何もしてくれなかったのでしょうか? オペラを観劇する客のように、ただ地上の様子を見ていただけだったのでしょうか?


 いいえ__天使は、待っていたのです。


 ある夜、嘆きながら歌う民の中から一人の青年が抜け出てきて、天使にゆっくりと近づきました。人間に、天使の姿は見えません。天使が自らを見せたいと思った時は別ですが。青年が天使の真ん前にやってきたのは、ただの偶然でした。いいえ、偶然という言葉は正しくないかもしれません。青年は胸を裂かんばかりにこみ上げた思いを沈めようと、集団を抜けてきたのです。


「神様!」


 青年は、腰に届くほど長く伸ばした、黒い髪をふり乱し、天使のいる虚空に向かって訴えました。


「私たちは、いつまでこのような試練に耐えなければならないのでしょう。故郷を追放されて早百年が経ちました。今では故郷の水の味を知る者は一人もいません。私たちは、永遠に帰ることはできないのでしょうか?」

 天使は、青年の叫び声を、静かに聴いていました。

「__今日は、同胞が五人殺されました。昨日は六人、そのまた昨日は四人。王たちの狙いは明らかです。我らいのる民を、絶滅させたいのです」

 彼の言葉に、合唱がふつりと途切れました。彼は一人、絶叫します。

「私たちは、このまま滅ぶのを待つだけなのでしょうか!」

 大地に拳を打ちつけ、彼はきっと顔を上げました。

「いいや、そうはさせない! 私一人であっても、運命に抗ってみせる。いのる民を殲滅せんとする王の企みを、くじいてやる! __神様、私に勇気を下さい。卵のように脆い一人の人間が、高い大理石の壁にぶつかる勇気を!」

 彼は自分の豊かな髪をつかみ、拾い上げた石のかけらをあてました。

「この髪は、生まれてから今まで一度も切らずに伸ばし続けました。財産のない私でも、せめてあなた様に捧げられるものをと願って。どうか、受け取ってください!」

 けれどその時、天使の小さな手が、石を持つ彼の手に優しく触れました。


 彼は、思わず石を手から落とし、目を見開きました。目の前に、一対の翼をもった美少年が現れたからです。いきなりの出来事でした。けれど少年は、まるではじめからそこにいたかのように、落ち着いて語りかけました。


「その髪を、切ってはなりません」

 

 青年は、ぽかんとして天使を見つめました。天使は青年の美しい髪をすくい上げ、そっとキスしました。


 するとどうでしょう、その黒髪に、まばゆい光が宿ったのです。光はすぐに消えてしまいましたが、何やら不思議と全身に力が湧いてくるような気がするのでした。


 天使は、こう言いました。

「勇敢な若者よ、いのりは時と共に満ちました。そなたに神の力を授けましょう。この力で、いのる民を救うのです」

 青年が両手を胸の前にかざすと、手のひらに炎が灯りました。彼の意のままに炎はついたり消えたりします。また、彼がちょっと願っただけで、夜空に雷雲が集まり、不吉なうめき声をたて始めました。

「これで、あの悪魔のような奴らに復讐できる」

 青年が期待をこめて歌っていると、天使が静かに忠告しました。

「髪を、決して切ってはなりません。そなたのいのりの証であり、今となっては神の力の源。髪を切り落としたが最後、力は消え失せるでしょう」


 青年は、天使に何度もお礼を言い、天へ帰っていくのを見送りました。


 一部始終を見守っていたいのる民たちが、青年の周りに集まります。青年はさっそく、集めた雲からとびきり強い雷を、王の宮殿に落としてやりました。宮殿に火がつき、大慌てで逃げ出してきた王とその家来たちの前に、青年が立ちはだかります。神の力を宿したたった一人の英雄と、そのような力は持たない無力な人々との戦いが始まったのでした。


 

 青年__いえ、いのる民の英雄は、斬りかかってきた兵士たちを、指1本も触れさせずに倒してしまいました。まるで不思議な力が英雄の周りに満ちて、彼を害しようとする者を自然と排除していくようでした。一人残らず家来を倒され、最後に残った王は、単身英雄に飛びかかっていきましたが、やはり彼の敵ではありません。英雄自身が素晴らしい怪力の持ち主となっており、王を遠くへ投げ飛ばしてしまったのです。


 英雄は、あちこちの屋敷で奴隷としてこき使われている同胞を、皆解放しました。そうして、かつて奪われた故郷を取り返すべく、旅の準備を始めました。


 ところが、王たちが復讐すべく彼らの様子を窺っていたのです。


 悪知恵の働く王は、国で一番美しい娘を呼び出しました。そして、こう命じました。

「いのる民の英雄に取り入れ。お前の色香で虜にして、奴の弱点を聞き出すのだ」

 娘の父親は、英雄に倒され死んだ兵士でした。娘は、英雄への憎しみを美しい瞳に燃えがらせ、うなずきました。

「いのる民が信じる神など、いんちきだ。あいつも、神などではない。必ずどこかに、弱みがあるはずだ」

「必ず、見つけ出してみせましょう」

 娘も父の形見の短刀を胸に抱いて、歌います。

「父の無念を、晴らしてみせましょう。この手で、憎い仇を殺すのです。そのためならば、どんなことだって」

 娘の独唱アリアが、荒野に響き渡りました。

(二幕へ続く)



 一幕が閉じ、しばしの休憩時間に入ると、マエストロは狭い控え室の床にごろんと寝転んだ。休息の時間は短い。効率的に体をやすめなければならなかった。着替えがないのが幸いだ。

 もっとも、休憩時間に休めるのは奏者ばかりで、裏方は舞台の転換に、役者は着替えや小道具の装着などに忙しい。

「お疲れ様です」

 コンマスの男が、隣に座ってそう声をかけた。

「うん、君たちもお疲れ。いやぁ、オペラはやっぱり長いね。腕がパンパンだよ」

 一幕の間、指揮者はずっと振りっぱなしだ。

「でも、本当に長いのはここからだもんね」

 マエストロの言葉に、コンマスは苦笑した。これが最後の休憩で、ここから一時間半ほど、通しでオペラの続きを上演するのだ。

 元々作者側が想定していたのは三幕で、もう一回休憩が挟まる予定だった。けれど、今回の初演は二・三幕をそのまま通すことにした。その理由は、観客が内容に抗議する隙を与えたくなかったからだ。

「どうかなぁ、お客さんの反応は。演奏中に野次なんかは聞こえなかったけど」

 寝転がったままマエストロが誰にともなく尋ねると、裏方としゃべっていたホルン奏者が答えた。

「今のところ、苦情はまだ来ていないそうです。今のところ」

「はいはい、今のところね」

 マエストロは笑った。

「でも、なんか変な噂が流れてて」

「どんな?」

「国王陛下がお忍びで来てる、みたいな……絶対嘘だと思うんですけど」

「ああ、それ本当のことだよ。自分が呼んだ」

 マエストロが答えると、皆驚いた。

「どういうことですか!?」

「なんで??」

「どうやって!?」

 マエストロはたぬき寝入りをしようとしたが、コンマスに揺り起こされた。彼は険しい表情でマエストロを見下ろしている。

「……どうして、そんなことを。我々を当局に逮捕させたいんですか?」

「いいえ、まさか」

 マエストロはのっそりと体を起こし、奏者たちを見回した。

「どうして、自分たちが逮捕されなければならないのかな? 内容に問題があるから? でも、脚本を書いたのは魔法使いであるフェルディナント君だ。指揮者が魔法なしの自分で、オケにも魔法なしが混ざっているから? だとしたら、皆何も分かっていない。音楽は、魔法使いと魔法なしをつなぐ架け橋なんだよ。神話の時代から、こうやって憎み合ってきた自分たちをね。魔法なしは、音楽を演奏することで魔法使いの気持ちを少しでも理解できる。魔法使いは、音楽を聴くことで心や、もしかしたら別のものも癒やすことができる。魔法使いと魔法なしがお互いを求めて初めて、失われたいのりの力が戻ってくるんだよ」

 マエストロが言葉を切った時、控え室に裏方の一人が入ってきた。休憩時間がもうすぐ終わるらしい。そう聞かされてもまだ、奏者たちはマエストロを見つめている。

「魔法なし魔法なしと言われるけれど、自分たちは何よりも素晴らしい魔法を知っている。憎しみを理解に、悲しみを希望に変えることができる。それを、決して忘れないでほしいな。おっと、もうすぐ出番だ。行きましょうか」

 マエストロは、振り間違えたらごめんね、と小さく付け加えた。


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