第九話 夜に紛れて(3)
「マエストロ」
翌朝、ぼんやりと窓の外を覗いていたマエストロに、声がかかった。振り向くとマシューだ。
「今日の練習は中止にします」
「……分かりました」
マシューはマエストロの隣に並び、寂しい田畑の跡を眺めた。
「昔、あそこらへんに、立派な塔があったそうながです」
マシューの指さす方向を、マエストロは無言で追った。
「今は跡形もないですが、それはそれは見事な塔で。真っ白な大理石の壁に、繊細な浮き彫りがびっしりとあって。クロスランド建国からこれまでの歴史を辿ったその絵を最初から最後まで全部見るだけで、丸一週間はかかったといいます」
マシューはいつも通り、穏やかな顔と口調で語った。
「その塔を建てたのは、魔法使いサザールのご先祖さんでした」
マエストロは首を振った。
「その話、聞きたくありません」
「どうして? あなたらしくもない。いつもなら、私らの話は何でも聴いてくれるのに」
「皆を殺した、サザールの話なんて……」
「あなたが知るべき話です」
マシューは椅子を二つ持ってきて、座りませんかと促した。
「サザールのご先祖さんは、代々王様に仕える建築家でした。塔を建てたのも、王様たちが暮らしていたお城を建てたのも、皆彼らだそうです。けれど、サザールの親父さんの代で事件が起こりました。王様が、サザールの親父さんとその弟子たちを処刑したのです」
「理由は?」
「罪状は、王家への反逆罪。でも、本当は、腕の良い親父さんたちに他国から建築の依頼が来るようになったので、彼らが外国で仕事をすることを恐れたそうなが。クロスランドの塔と同じものを外国で作られたら、王国の威信が揺らぐと言うてね」
「そんな、勝手な」
「そう、勝手やちゃ。その時の王様だけやなくて、クロスランドの人は皆そうなが。普段は呑気で和気藹々としとるけど、自分らの仲間がよそへ行ったり、自分の知らんとこで大きな手柄を立てたりするのは我慢ならんが。その時は、何が何でも阻止しようとするが。だから世界で活躍するような魔法使いは育たんし、いつまで経っても農業だけの貧乏国家ながです」
「……農業は大切な産業です」
「でも、ラポールはどんどんすごい魔法を開発して、あちこちの都市を繁栄させとるし、オルバルドは軍隊も工業も強い。シグナスはいつもあちこちから商売しに来る人で賑わって、経済が安定しとる。私らはそれを指くわえて見とるだけ」
話が逸れた、とマシューは乾いた笑い声をたてた。
「親父さんたちが殺されてから、まだ幼かったサザールや他の家族は路頭に迷いました。サザールのお母さんや兄弟は飢え死にした。残されたサザールはラポールに逃れ、死に物狂いで魔法を勉強し、立派な魔法使いになった。そして、故郷のクロスランドに戻ってきたがです」
何故、彼はクロスランドに帰ってきたのだろう。自分と家族を苦しめた国に。
「大人になったサザールは嫁さんを見つけ、クロスランドの都で穏やかに暮らしていました。子どももおったそうです。しかし、また事件が起こりました。……塔が、何者かに壊されたのです」
「サザールですよね?」
マシューは首を振った。
「これは皆には広まってないけど……壊したのは、魔法無しの集団でした」
マエストロは目を見開いた。
「そう、魔法無しです。私らみたいなね。でも、真っ先に容疑がかかったのはサザールでした。家族のことがあったから、王国と塔を憎んでいると決めつけられて。犯人が別にいると判明し、彼が釈放されたのは、随分後になってのことでした。
サザールが無実であることは分かったのですが、当局は彼をただでは解放しませんでした。報復を恐れたのです。髪を剃り、両目を潰し、それから国外へ追放しました。奧さんは、サザールの勾留中に、魔法無しの暴徒たちに襲われ、死んでしまっていました」
「……子どもは?」
そう聞くと、マシューは顔を歪めた。
「とても嫌な話ながやけど。当時、人体実験が世界的に流行っとったそうで……」
マエストロも顔をしかめた。
「……なるほど。だから、彼は皆を憎んでいるんですね」
「……そんながです」
マシューは、自分にこの話を聴かせてどうしようと言うのだろう。その答えは、すぐに本人が教えてくれた。
「クロスランド中の皆が、サザールを憎んでいます。……今の話を公表したら、風向きは変わるのかもしれない。でも、我々総代にはその勇気がない。今更彼の怒りを鎮めることなどできっこない上に、皆が国に不信を抱くようになったら、それこそこの国は崩壊してしまう。我々と彼はひたすら憎み合い、戦うしかない」
でもマエストロ、あなたは違う。マシューはそう言った。
「あなただけは、彼と和解できる道を探し続けてほしい。勝手な頼みだと承知はしとりますが、それができるのはあなただけやと私は思うがです」
マエストロは黙って聴いていた。うなずくことも、拒否することもできなかった。デボラは殺されたし、バンジャマンもきっとそうだ。彼の遺体はまだ回収できていない。けれど、サザールについての話を聴いてしまった後は、彼をただ憎むことは難しかった。
昼間だというのに、外を歩く者はいない。サザールが昼間にも出るという噂がすっかり広まったからだ。
今、彼はどこで何をしているのだろうか。夜に備えて魔力を養っているのか、それとも今もどこかで次の獲物を探し続けているのか__。
「歌いましょう」
夕暮れ時、マエストロは楽団員たちの家を回り、そう誘った。
「歌ですか? 演奏じゃなくて?」
「ええ、歌です。こんな夜じゃ楽譜は見えませんからね。……それに、外では楽器に悪いし」
「ええ? 外!?」
「そう。外です」
マエストロが楽団員を連れて向かったのは、昨夜の墓場だった。散々壊された昨日の惨状のままだ。
「ここに、デボラが眠っています。バンジャマンさんの魂も、きっと。彼らのために歌いましょう」
楽団員はこわごわと辺りを見回した。
「おばけが出そうやん……」
「おばけというか、サザールが」
その名前を誰かが出した瞬間、団員たちはざわめいた。マエストロは手を打ち鳴らし、注意を自分に向けた。
「もしサザールが現れたら、自分が相手します。その間に皆さんは逃げてください。……大丈夫、これ以上誰も殺させません」
団員たちの顔が少し和らいだ。その中にはマシューもいる。彼に用意してもらった銀のナイフをポケットの中で握りしめ、マエストロは微笑んだ。
「それでは、始めましょう」
約三十数名の音楽家たちは、マエストロの指揮で歌った。弔いの歌。故郷を想う歌。デボラやバンジャマン、他に亡くなった人々が好きだった歌。
指揮しているうちに、マエストロはまたあの生臭い風を嗅いだ。
(……来た)
自分の背後で、何者かが動く音がする。目の前の数名の団員たちが、異変に気がつき不安げな表情になった。けれどマエストロは音楽を止めない。ここに、自分たちの歌を聴かせたい相手がいる。
この時歌っていた曲が終わり、マエストロは腕を下ろした。背後の音はもはや誰にも隠しきれないほど響き渡っていた。
「はい、皆さん、お疲れ様です」
マエストロは、仲間たちに笑いかけた。そして、おもむろに振り向き、問いかけた。
「次はどんな歌を歌ってほしい?」
返事の代わりに上がったのは、悲鳴だった。墓石の向こうに隠れる「誰か」は、相変わらず怖がりらしい。
臨戦態勢に入りかけた団員たちを手で制し、マエストロは身を縮める夜雲竜に呼びかけた。
「自分たちの歌を聴いてくれてありがとう。君にもぜひ聴いてほしかったから、ここまで来たんだ。もしよかったらさ、もっと近くにおいでよ」
夜雲竜は、顔を上げた。目ばかりが大きく、やせこけた馬のように長い鼻面と、不格好な角。
マエストロは、右手を差し出した。ひいっと竜が叫ぶ。マエストロは、手を広げたり閉じたりして、何も持っていないことを示した。
「俺は君を決して傷つけない。決して」
ゆっくりと__じれったくなるほど少しずつ、竜はマエストロに近づいた。そして、おずおずと前足を伸ばし、マエストロの右手に触れた。マシューが小さく声をもらす。
マエストロは、夜雲竜の長く脆いかぎ爪をそっと握った。
「よろしく。一緒に音楽をしようね」
不意に、竜の背中のとげが逆立った。マエストロは竜にささやく。
「あの人が来たんだね?」
竜がうなずく。マエストロは竜を見つめたまま、楽団員に指示を出した。
「逃げて。できるだけ早く。後ろは振り返らないで」
「は、はい!」
どたばたと足音が遠ざかる。
「__竜君。あの人が怖いんだよね。逃げなさい。自分が時間を稼ぐから」
竜が身震いした。
「大丈夫。君は自由になっていい。よく見える目も、翼もあるんだからさ」
元気づけたつもりだったのだが、何故か竜はうなだれた。
突風が吹き、マエストロを墓石に叩きつけた。背中と腰をひどく打ったマエストロの前に、真っ黒な影が現れる。
「魔力のない気配が一つ」
サザールは、しわがれた声で言った。痛みをこらえつつ、問われる前にマエストロは答えた。
「そうです、自分が指揮者です」
サザールが死の魔法を浴びせた。だが、マエストロが素早くかざした銀のナイフが、魔法をはじいた。
サザールが虚をつかれたように口を開けた。だがすぐに気を取り直し、針だの刀だの毒の霧だの、次々に魔法をマエストロに放った。
銀が魔除けになるといえど、小さなナイフで全てを防ぎきれるはずもない。ナイフを持つ手に切り傷ができ、炎で鼻や頬が焼け、毒で喉の奥がひどく痛んだ。吐き気をこらえながら、マエストロはナイフを握りしめた。マエストロが苦しんでいる様子も、サザールには見えない。声を出さない限りは。だから、マエストロは痛みや恐怖をこらえ、サザールに対峙する。
竜がうなり声を上げ、サザールに飛びかかろうとした。マエストロはそれをとどめる。
「いいよ、竜君。俺のために無理をしなくていい。君は逃げて。怖い魔法使いから、自由になる時がきたんだ」
マエストロがサザールに視線を戻した時、彼は竜が飛び立った方向に顔を向けていた。隙があるが、かといって自分には攻撃する手段がない。
「サザール……さん。思いのほかしぶといから、びっくりしているんじゃないですか? 魔法無しの、自分が!」
「黙れ」
サザールの憎しみがこもった魔法で、銀の刃がとけた。マエストロはぎょっとする。魔法をまともに受け止め、苦痛の叫び声を上げると、サザールが笑った。
「そろそろ、命乞いを始めたらどうだ?」
「いいえ、しません」
マエストロは、かすれた声で言い返した。
「逃げもしないし、命乞いもしません。あなたにどんな過去があろうが……自分はあなたを許すことはできないし、まして、大切な仲間たちをこれ以上殺させることなど、決してさせたくない。あなたやあなたの家族を虐げたのは、今生きている我々ではありません」
サザールが、無造作にマエストロの顔をつかんだ。昨夜は冷たかったその手に、熱がこもっている。魔力を集めているのだ。
サザールが、静かに言った。
「やはり、先に殺すことにしてよかった……耳障りだ」
サザールの息が、マエストロの顔にかかる。すっかりマエストロを手の中におさめた彼は、どうやって殺そうか考えているのだろう、しばしそのまま動かなかった。マエストロは左手でポケットを探り、素早く動いた。
「……何のつもりだ」
マエストロは、銀のフォークをサザールの喉元に突きつけた。
少し前、とある廃ホテルで手に入れたものだ。巨大な蜘蛛をそのフォークで倒して以来、お守りのように持ち歩いていた。
フォークの先端をぐぐっとサザールの喉に押しつけながら、マエストロは呻いた。
「……自分がここで死んでも、少しでもあなたの魔力を弱らせることができれば……皆を守れる、かもしれない」
本当はこんなこと、したくない。普段世界中を歩き回って、魔力を回復させている自分が、誰かの魔法を封じる方向に動くなんて。けれど、今だけは。自分の信条や主義は抜きにして、目の前の魔法使いと戦わなければならない。
だって、自分は皆の指揮者だから。
「……無駄だ。私は今すぐにお前を殺す」
「そう言っている暇があったら、実行に移してはどうですか? __できないんでしょう」
マエストロは挑発した。今握っているのがフォークではなくナイフだったら、彼の髪を切ってやることもできたかもしれないが。
「できないだって? そんなことはない。ちょっとつつかれたくらいで、私の魔力は衰えない。何十年も昔から__」
「そこまでだ!」
高らかに声が響いた。サザールの手が緩む。マエストロは顔を上げ、数十人の魔法使いが墓場を囲んでいるのを見た。
クロスランドの総代たち、ブライアンを中心としたシグナスの魔法戦士たち、ラポールの軍隊から派遣された精鋭__腕利きの魔法使いたちが、サザールに杖や剣を突きつけている。
マエストロは右手首のブレスレットを揺らし、そっと苦笑した。過保護なテオのお守りが、役に立った訳だ。
サザールは顔を歪め、マエストロを放した。じりじりと包囲網を狭める魔法使いたち__この人数を相手にするのは、さすがのサザールも大変だろう。
「サザール! 観念しろ!」
叫ぶレオの後ろに、髪を短く切った中年の男が立っていた。マエストロは目を見開く。
「バンジャマンさん!」
バンジャマンは、小さく手を振った。「昨日、竜があなたの後を追いかけて、サザールの気をそらしてくれたんだ。だから、その隙に逃げることができた」
「そうですか……」
ほっとしたのもつかの間、魔法戦士の一人がマエストロとサザールのそばに雷撃を叩きつけた。
「危ない!」
うろたえるマエストロとは対照的に、サザールは微塵も動じた様子はなく応戦した。戦士の何人かが気絶した__だが、他の魔法使いたちが同時に魔法で攻撃し、何本かがサザールに命中した。うめき声が夜空に吸い込まれる。
「マエストロ、こっちに」
バンジャマンが手招きした。腰を庇いながら彼の元に這い寄ると、バンジャマンは興奮を隠さずにささやいた。
「あと少しで、奴を倒せそうです!」
「……ええ」
サザールは追い詰められている。魔法使いでないマエストロにも、それがわかった。彼は前よりも魔法を使っていないし、戦士たちの魔法を避けきれずにいる。多勢に無勢なのか、マエストロの銀のフォークが効いたのか。
にわかに風が起こり、視界が真っ黒に閉ざされた。夜雲竜が、コウモリのような薄い羽をいっぱいに広げ、奇声を上げて戦士たちを威嚇した。クロスランドの総代たちは恐ろしがって後ずさりする。だが、シグナスやラポールの歴戦の猛者たちは、夜雲竜の臆病な気質をよく知っていて、侮った表情になった。
竜はサザールを翼で隠し、牙を剥いた。
「どけ、夜雲竜」
ブライアンが呟き、剣を突きつけた。けれど竜は逃げない。必死に角やとげを起こし、サザールを守っている。
「竜君?」
マエストロはバンジャマンの肩を借り、立ち上がった。竜がゆっくりと顔を向ける。その大きな目に、涙が浮いていた。
竜の後ろから、サザールの声がした。
「……その弱さで、何を守れるというのか。騙されやすく、気弱で、誰よりも優しい。人間であった頃から、竜にされた後も、何一つ変わらない」
竜の目から、涙がこぼれ落ちた。マエストロは愕然と竜を見つめる。
それから聞こえてきたサザールの声は、今までで一番優しい響きだった。
「お前のようなやつは、人間どもが一人もいない、山奥にでも行ってしまった方がいい。__そこでなら、きっと安らかに暮らせる」
竜のやせこけた体の隙間から、座り込むサザールが見えた。剣を構えるレオを、マエストロはそっと制止した。
サザールは、浮遊術で夜雲竜を空高く浮かせ、それから強風でどこか遠くへ飛ばしてしまった。
「行け、息子よ」
竜がいなくなってから、サザールは魔法使いたちに言い放った。
「この命を終わらせるのには、誰の手も借りない」
地響きと共に、大地が割れた。大きくあいた裂け目にサザールは落ち、見えなくなった。魔法使いたちが駆け寄るよりも前に、裂け目は閉じてしまった。
竜の行方は、分からない。サザールの遺体も見つかっていない。けれど、彼の脅威は消え去った。何も知らない人々は、ただ幸せに、ようやく訪れた平和を享受している。
集会場で、再び総代会議が開かれた。マエストロもなんとなく参加している。おきまりの議題に入る前に、マシューが手を上げた。
「魔法使いサザールの過去を、皆に公表しようまいけ」
総代たちがざわめいた。
「彼はたくさん人を殺したけど、同時に、クロスランドという国に人生をめちゃくちゃに壊された被害者でもあると思うがです。彼を倒して、めでたしめでたしじゃない。サザールのような目に遭う人も、彼に殺される人たちも、もう二度と出ないように。この国を、皆で変えていかんなん。そう思いませんか」
クロスランドの魔法使いたちは、うつむいていた。レオが彼らを見回す。
「……マシューの提案に反対の者は?」
手は一本も上がらなかった。
「では、賛成の者」
今度は、たくさんの手が上がった。マエストロはその様子を眺め、口元を緩めた。窓の外には、遮るもののない青空が広がっている。




