第6.5話 みんなの足跡
ピクニックの翌々日。
俺はレナと二人で、食材店に向かっていた。
割符を見せれば、残りの食材を受け取れる。
サリーとトラは「家」で留守番だ。小さい二人の面倒を見てくれている。
旧市街地の外れに来ると、空気が変わる。
市場の喧騒が遠ざかり、路地は湿っぽく、壁には苔が這っている。
レナは俺の少し後ろを歩く。
視線が時々、路地の奥へ流れるのがわかった。
「レナ、何か気になるのか?」
「……誰かが見ているような」
彼女はすぐに笑顔を作る。
いつもの、誰かを安心させるための顔だ。
俺は元の世界の注視妄想を思い出す。
わざとらしく周囲を確認してみた。
「だれも見てないぞ? 妄想だよ、妄想」
レナは首を傾げ微笑む。
老婆の食材店に着く。
以前も見た凶悪そうな巨漢が鉈を振り下ろす音が、同じように響いている。
「来たかい。ほら、こっちだよ」
老婆が奥から袋を引きずり出してくる。
俺とレナで分けて持つ。ずしりと重い。
レナが老婆に微笑んでいう
「エルリーナさん。ありがとうございます。洋服も助かってます」
老婆の目が光り、ニコニコと笑っている。
俺も頭を下げた。
帰り際、老婆が俺の袖を掴んだ。
声が低い。
「あんた、最近、また奴隷商が動いてるの知ってるかい?」
俺の足が止まる。
「しばらく見なかったんだけどね。仕入れた子どもを遠方で売って、また仕入れに来やがった」
老婆の皺だらけの目が、俺を射る。
「あんたのところのガキたちも、気をつけな。特にあの小さいのは――値がつく」
ヨルカとアマンの顔が浮かんだ。
胃の底が冷たくなる。
「……ありがとう、また来るよ」
「礼はいいよ。情報料は食材代に乗せてあるからね」
彼女はいつもの皮肉な顔で手を振った。
だが、目だけは笑っていなかった。
◇
帰り道、しばらく黙って歩いた。
レナが口を開いたのは、廃屋の角を曲がった時だった。
「この前、サリーが奴隷商の馬車を見たんだ」
「え?」
「あいつらは公認の奴隷商なの。でも、孤児は誰にもお金を払わず、奴隷にしていいと思ってる」
レナの声は静かだった。
立ち止まらず、前を見たまま話す。
「小さな子は、一人でいると攫われる。ヨルカも、一度攫われたの」
彼女は当時を思い出したのか、悲痛な顔をする。
それでも、子ども達だけで救い出したという。
「すごいな……レナは」
「みんなで、だよ」
俺がいたら止められたのかな。
拳を握りしめた。
「アマンを見つけたのも、その時?」
レナはうなずいた。
俺が来る前から、この子たちはずっと戦っていた。
レナが――この、痩せた少女が、4人の命を背負って。
「……もっと早く、来たかったよ」
言ってから、意味のない言葉だと気づく。
レナは首を振って笑う。
「ちゃんと会えたよ」
◇
「家」に戻ると、トラが出迎えた。
「おかえり! 今日のメシは何?」
「んー、煮込みだな。婆さんのとこの肉がいいのが入ってた」
荷物を下ろしていると、ヨルカがトコトコと俺の足元にやってきた。
だが、いつもと様子が違う。
俺の服の裾を引き、入り口のほうを指さす。
「ねー」
「ん?」
連れていかれた先は、廃屋の1階、俺たちの「玄関」のすぐ外だった。
乾いた土の上に、足跡がある。
大人の靴。俺たちのものじゃない。
最近のものだ。
雨は降っていない。縁がまだ崩れていない。
背筋に、冷たいものが走る。
「……いつからあった?」
ヨルカは首をかしげる。
この子は毎日、入り口の周りを観察していたのか。
俺は今日、初めて知った。
「兄ちゃん、どうした?」
トラが覗き込んでくる。
俺は足跡を指さした。
「知らない奴が来てる」
トラの顔が変わった。
子供の顔じゃない。一瞬だけ、獣の目をした。
「俺が見張る。夜は俺が入り口で寝る」
「いや、それは――」
「やる」
まっすぐな目。こういう時のトラは絶対に折れない。
俺はトラの頭に触れる。
「『家』は地下道なんだから、ここで寝ても仕方ないだろ」
サリーは何も言わず、地下道へのマンホールに何かを付けている。
開けたら音が出る。侵入者への簡易警報だ。
こういうことを、この子は知っている。
アマンだけが、みんなの顔を見回して、不安そうに俺の服を掴む。
「……ねえ、だれか来るの?」
「大丈夫だよ。兄ちゃんたちに任せろ」
そう言いながら、俺はヨルカを見た。
彼女は足跡をじっと見下ろしている。
しゃがみ込んで、自分の足と大きさを比べていた。
それから俺の足と、トラの足も見比べる。
まるで遊んでいるように見えるが、その目は真剣だった。
何を考えているのかはわからない。ただ、この子はいつも、俺が思うよりずっと多くのことを見ている。
◇
夕食の準備も慣れて来た。
皆が手伝ってくれるからだが、完成も早い。
味も上がっているはずだ。
煮込みを囲んで、トラが「うまい」を連呼し、アマンがおかわりをねだる。
レナとサリーが自然に会話を回している。
俺もいつも通り笑った。
ただ、ヨルカの視線が時々、入り口のドアに向くのを、俺だけが見ていた。
◇
深夜。
子どもたちは眠っている。
暖炉の薪が小さくはぜる音だけが、石壁に反響する。
目が覚めたのは、声を聞いたからだ。
小さな声。
うなされている。
サリーだった。
毛布の中で身体を丸めている。
両手で耳を塞ぐように、頭を抱えていた。額に汗を浮かべて。
俺が動くより先に、レナが起きていた。
いつから起きていたのか。迷いのない動きでサリーの隣に滑り込み、自分の胸に頭を抱いた。
「……大丈夫。大丈夫だよ」
レナの声は、ゆっくりとあたたかく、祈りのように静かだった。
しばらくして、サリーの目が開く。
暗闇の中で、レナの顔を見て、ほんの少しだけ口を動かした。
「……また、聞こえた」
「うん。大丈夫。もう聞こえないよ」
それだけだった。
サリーはレナの胸の中で目を閉じた。
俺は何も聞けなかった。
何が聞こえたのか。誰の声なのか。
聞いてはいけない気がした。
まだ、この子が自分から話すまでは。
エヴェラ:正しい判断よ。今は安全な場所にいるって、身体が覚えるまで待つしかないの。無理に聞き出すと、かえって傷が開くことがある。
俺 :……こういう時、何もできないのが一番きついな。
エヴェラ:そばにいるだけでいいの。……レナはずっと、そうしてきたんでしょうね。
二人の寝息が聞こえる。
サリーの手が、無意識に毛布の端をきつく握りしめていた。
その顔が、ほんの少しだけ緩んだのは、
レナの手が頭を撫で続けていたからだ。
何があったんだ、あの孤児院で。
◇
子どもたちの寝息を聞きながら、天井を見つめる。
暖炉の炎が天井に影をつくる。橙色の光が揺れるたび、影が形を変えた。
眠れなかった。
サリーの悲痛な声を聞いたせいだろうか。
――不意に。
耳の奥で、音がした。
遠い。
とても遠い。
叫び声のような、歓声のような。
風に千切れた声の断片が、頭蓋骨の内側で反響する。
俺は知っている。
この音を。
戦場の音だ。
またか、もう思い出したくない。
手が冷たくなる。
指先の感覚が薄れていく。視界の端が白くなる。
エヴェラ:ユウト、呼吸。吸って、吐いて。いつもの、やって?
俺は目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。
8秒、吐く。
4秒、吸う。
7秒、止める。
音は消えない。
小さくなるだけだ。いつも、そうだ。
消えたことは、一度もない。
サリーにも、消えない音がある。
——俺にも。
目を閉じると、暗闇の中に光景がよみがえる。
空の上にいた。
眼下に広がる、広大な地面。
その上を、何かが動いていた。
小さな点。
蟻のようにうごめく、無数の点。
俺は、それを追った。
「おおー、こんなとこにも隠れてる。今度はこの魔法を試そうかな」
左手の先に魔法陣が形成され、そこから出た白い線が高速で地面を刻む。
逃げ惑う黒い点たちの向かう先に、大型の魔法を落とす。
「はい、こっちも駄目だよ———」
楽しかった。
動く標的を追い、撃ち、消す。
次の的を探す目が、勝手に笑っていた。
あれは、人だ。……今は、そう思う。
全能感が、俺から「怖い」を奪った。
ゲームだから怖くなかった。
もし、今も、力が残っていたら
まだ、「人」だと気づいていなかったかもしれない。
吐き気がしてくる。
喉の奥が酸っぱい。
暗闇の天井に、白い光が見える。
あの魔法の残像。
嬉々として放った、暴力の光。
俺は毛布を頭まで被った。
子どもたちに、この顔を見せたくない。
エヴェラ:それは妄想の混入よ。あなたが聞いている「声」は、罪悪感が作り出した幻聴――
俺 :でも、楽しかったのは本当だろ。
エヴェラ:……MPが増えたことの精神変容もあるよね。 それにゲームだったらする行為でしょ。急に召喚されたんだ。この世界を認識していなかった時の事まで、罪に思う必要は無いよ。
俺 :俺の手がやったんだぞ。笑ってたのも、この顔だ。
エヴェラ:……その記憶も怪しいね。客観的に見たら、召喚されて魔王軍を殲滅させて、魔王を倒した。それだけ。魔法に巻き込まれた人なんて、関係ないよ。
俺 :関係ないって、10万人以上だぞ。
あの戦場を振り返ると
残っているのは、楽しかったという記憶。
———それが一番、許せない。
エヴェラ:経験の無いユウトにはそれしかできなかった。結果、みんな助かった。向けられる一部の憎しみは、一過性のものだし、そもそもユウト自身の悪意はほぼ無かった。まだ何かある?
俺 :……なあ。あの子たちの親が、俺の魔法で死んでたら、どうしたらいい?
エヴェラ:仮にそうだとしても、今のユウトにできるのは、目の前の子どもたちを守ること。答えは同じよ。
俺 :……そうだよな。
いつもみたいに、正しい答えをくれる。
でも、この石はびくともしない。
胸の奥に埋まったまま、夜ごとに重さを変える。
サリーの「また、聞こえた」が、俺の中で響いている。
◇
朝になった。
昨夜のことは、誰も口にしない。
俺もサリーも、いつも通りの顔をしている。
朝食の支度をしていると、ヨルカが俺の膝に乗ってきた。
何も言わず、俺の服を掴んでいる。
「足跡のことか? 見てくる。ヨルカは中にいろ」
外に出ると、足跡は増えていなかった。
たまたま、寄っただけ。
この倉庫の持ち主だろうか?
考えすぎにも思えた。
◇
昼過ぎ。
トラがいないことに気づいた。
「ちょっと出てくる」と言い残して、朝から戻っていない。
奴隷狩りが頭をよぎり、俺は街を探す。
市場の端、人通りの少ない石橋の上に、トラがいた。
俺は胸をなでおろす。
考えてみたらトラは毎日、出歩いていった。……心配しすぎ、か。
トラは通り過ぎる人の顔を、一人ずつ見ている。
銀色の髪をかき上げながら、首を伸ばして。
時々、銀色の髪の通行人がいると、身を乗り出す。
すぐに目を逸らした。違ったらしい。
「誰か探してるのか?」
俺が声をかけると、トラはビクッとして振り返った。
目が見開いている。
「……なんだよ、兄ちゃん。驚かすなって」
笑っている。
いつもの、あの笑顔。
だけどその背中は、いつもより小さく見えた。
一緒に帰った。
トラは道中、ずっと喋っていた。昨日の煮込みがうまかった話。新しい剣の構えを思いついた話。
俺は「へえ」と「すげえ」だけを返す。
それでトラは満足そうだった。
◇
夜。子どもたちが眠った後。
俺は暖炉の前に座っている。
今夜は、あの音は聞こえない。
俺 :エヴェラ。
エヴェラ:んー?
俺 :俺にできることって、なんだ?
エヴェラ:ご飯を作って、一緒にいること。
俺 :それだけか?
エヴェラ:そうだよ。他に何かできる?
———できない、な。今は。
暖炉の橙色の光が、眠る子どもたちの顔を照らしている。
トラの寝相が悪い。
サリーは穏やかな顔で眠っている。
レナが薄い毛布をアマンにかけ直している。半分寝ているな。
ヨルカは、俺の足のすぐそばで丸くなっていた。
守りたいものは、ここにある。
稼がなきゃ。強くならなきゃ。
俺はようやく目を閉じた。
暖炉の薪が崩れる音が、子守唄みたいに聞こえた。
◇
次の日。
俺はトラとサリーを連れて出発した。
どうしても行くと聞かないからだ。
二人とも冒険者になると決めたようだ。
レナはヨルカとアマンを守るために残ってくれる。
場合によっては1泊してくることを告げた。
「帰ったら、みんなでご飯作ろうね」
レナの言葉に、胸が温かくなる。
とにかく絶対に二人を守ると誓う。
――何が来ようと、たとえ死んでも守り抜く。
この想いがあれば、きっと何が来ても怖くない。
あの日とは違う強さが、自分の中に芽生えたのを感じた。
俺たちは朝霧の中を進む。初めての冒険へ向かって。




