第8話 親ばかの才能と木剣の音
「どうしよ、このデカブツ・・・」
俺たちはまだ体温の残る、巨大な死骸を前に立ち尽くしていた。辺りには不快な獣臭が立ち込めている。もうハエが群がり始めている。
その羽音が、やけに耳についた。
足を掴んだ瞬間、「グチっ」と嫌な音がする。指の間に脂がにじむ。三人で足を掴んで引っ張るが、土に沈み込んだような巨体はびくともしない。
「仕方ない、捨てていくか——。」
「これは、持って帰れないね」
「やっぱ、馬車買おうよ」
「あれ、高いんだぞ?」
俺たちは足元の見つめる。
あんなに命がけで倒したのに、捨てていくのも忍びない。
顔を見合わせる俺たち。
◇
結局、イボール村へ引き返し、村長に相談した。
「え、そんなデカいのが、この村の近くに?」
俺が持ってきた巨大な角を見せると、村人たちが集まって来た。
「こいつの足跡だったのか」
「また、売ってくれるのか?」
「みんな肉が好きですから、喜びますよ」
ありがたいことに、この巨大『一角イノシシ』も村が買い取ってくれることになった。ただ貧しい村であるため、おそらく相場よりもかなり安いのであろうが。
『一角』の角については強力な武器になるとのことで
高値で売れるようだ。それだけもらって、俺たちは拠点に帰ることにした。
帰り道、二人は武勇伝で盛り上がっていたが、俺は、大いに反省していた。想定外の強敵とは言え、そういった事態を想定していないのはまずい。
この子達を危険にさらしたも同じだ。
武器も最低で、なんのスキルもない。
魔法を使う覚悟も足りてなかったのかもしれない。
とにかく実力不足を肌で感じた。
角を担ぐたび、負傷した肩が鈍く疼く。
村で応急処置は受けたが、包帯代わりのぼろ布にはすでに血が滲んでいた。
でも――
通常の治療で治るような怪我に治癒魔法を使うつもりはない。
子供たちにならともかく、自分には。
心配そうにのぞき込む二人が、代わりに持ってくれた。優しいな。ま、俺が一番体力無いのはバレてるか。
「なあ、兄ちゃんの魔法かっこよかったぞ」
「ね! あの氷、この角より、大きかった」
「あんなの飛ばせるのズルじゃん」
トラが笑っている。サリーも。
「ズルじゃねーよ」
ギルドに戻り、報告しよう。
俺は重い足を引きずり市街地へと向かった。
◇
久しぶりに、冒険者ギルドの正面に立つ。
もちろん、フードは深くかぶっている。
前回着ていたコートではなく、老婆にもらった服を着ている。
両開きの木製ドアが、ギイ、と軋みながら開く。
鼻を突くのは、酒と汗と革の匂い。
鎧の金属音や野蛮な笑い声がひしめく。
むっとする熱気。
室内は妙に蒸し暑く、汗が背をゆっくり伝った。
「ガキ連れかよ」
ひそひそと笑いが混じる。
刺さるような視線。
受付のマチルダさんに状況を伝える。
持ち帰った巨大な『一角』を見せた瞬間――
彼女の口が大きく開きかけた。
だが。
「叫ぶなよ」
事前に釘を刺しておいたのが効いたらしい。
悲鳴は、ぎりぎりで飲み込まれた。
今回の討伐で実力不足を痛感した、と告げると、
マチルダさんは一枚の紙を差し出す。
『初級冒険者講習のお知らせ』
彼女が説明を始めた。
「初心者向けの講習が始まるんです。優秀な冒険者が講師になって、剣術や立ち回り、魔物の知識を教えてくれます。数か月の間、みっちりと」
俺はトラとサリーを見る。
二人の目が、きらきらと輝いていた。
「……俺も、冒険者になりたい」
トラが上目遣いで見上げてくる。
俺は、黙って頷いた。
「サリーは?」
あれだけ怯えていたんだ。
無理をする必要はない。食堂を手伝ってくれれば、それで十分だ。
「やる!」
……やるのか。あんなに震えてたのに。
「マチルダさん、二人とも冒険者登録をお願いします」
俺は二人分の登録料を差し出す。
「それで、俺たち三人で講習に参加します」
「かしこまりました。ではステータスを確認します」
二人は別室へと連れていかれた。
前回とは違い「ドア」が設置されているようだ。
俺は周囲を見渡す。
……今のところ、勇者だとは気づかれていない。
フードさえ深くかぶっていれば、正面から入っても問題なさそうだ。
待っていると、ふらりとギルド長のドーデスさんが現れた。
ドーデスさんは俺が元勇者だと知っている。
それでも、恨みめいたものを向けられたことは一度もない。
彼は持ち帰った巨大な『一角』を撫でながら言う。
「こいつを倒したってのか? Eランクにしたのは早計だったな。今からでも上げるか?」
「いえ。実力不足を痛感しました。このままでいいです。講習に参加することにしました」
「ほう? ……そうか。それがいい」
ドーデスさんは小さく頷き、自室へ戻っていった。
……もしかしたら。
俺を心配して来てくれたのかもしれない。
登録が終わった二人が戻ってくる。
ステータスが高いのか? 二人ともEランクだ。
「さ、俺たちの家に帰ろう」
◇
帰還すると、待っていた3人が飛びついてくる。
俺たちは戦利品をこれでもかと自慢した。
「すっげー。こんな大きい角なら、からだもすっごい大きい?」
アマンが目を輝かせる。
「ここから、ここまであった」
トラが、走り回って説明する。
「もう、そんなに大きいわけないでしょ」
レナが呆れて笑うが、サリーが「これ、本当なの」と大げさに笑う。
「本当だよ。俺たちは大冒険してきたんだ。」
レナが驚きながら、角をさする。
でかい角は、売るか、トラとサリーの武器に仕立てることにした。武器屋で相談しないとな。二人は剣でいいんだろうか。
「二人は剣でいいか?」
「んー、わかんねー」「売ってもいいんじゃない?」
「講習の先生とやらに相談するか」
持ってきた肉をふるまう。この世界で初めてのぼたん鍋。味は完全にイノシシだった。野性味のある豚というか。
「意外と酢があうんじゃないかな」
「これ、ネズミより全然うまい」
「そりゃそうだろ」
もちろんこれは大好評で、俺たちの「家」は大いに盛り上がる。トラとサリーが武勇伝を盛りに盛って話す。
ヨルカとアマンが次は行くとごねる。
レナは俺たちの無事な帰還を本当に喜んでくれた。
「なあ、兄ちゃん、楽しかったな」
疲れて眠るまで、騒ぎつづけた。
◇
講習初日。
朝の訓練場はまだ人影もまばらで、乾いた土の匂いが立ちのぼっている。
「誰もいねーじゃん」
「貸し切りだな……」
参加者は俺たち三人だけだった。
中央に立っていたのは、片腕の男――アレン。
元B級冒険者だという。
顔には幾筋もの古傷。
左腕は肩から先がない。
それでも立ち姿は揺るがず、隙がない。
彼は俺を一瞥し、深く息を吐いていた。
ため息だ。
「はぁ、冗談だろ」
勇者だと気づいたわけではない。
もっと単純な――
俺の運動能力についてだ。
最初に力をみると言われ、一人ずつアレンに挑んだ。
その結果がこの様だ。
「運動神経ゼロか……。お前みたいなのが子供連れて冒険者志望とはな。悪いことは言わん。諦めろ」
――そんな事言われたら、泣いちゃう。
アレンは呆れた顔をする。
トラが木剣を握って真剣に構える姿を見ると、
表情がわずかに変わった。
「……こっちは違うみたいだな」
アレンは俺から木剣を奪う。
「まずは基本の構えだ。それから素振りだ」
トラとサリーに型を見せ、素振りを行わせる。
「お、おれは……?」
木剣を奪われた俺は、以前の世界の体育の授業がフラッシュバックして、ただ立ち尽くし、プルプルしていた。
アレンは少し空を見て考える。
そして面倒そうに言った。
「あー、お前は、走れ。体力なさすぎ。その腹が凹んだら、筋トレだ」
――チクショー。
エヴェラ:ついにスマートなユウトに会えるのね。うっとりしちゃう♡ あなたは何年も椅子に座っていただけなんだから、体力0なのは仕方がないの。
――チクショー。
◇
4ヶ月が過ぎた。
街が変わっていた。
市場に並ぶ果物が入れ替わった。あの水色のスーモの実が消え、赤い実が山積みになっている。朝晩の空気が冷たくなり、走ると吐く息が白い。
街路に新しい旗が立っていた。見覚えのない紋章。エヴェラによると、王国軍が近隣国への「戦後処理」を開始したという。勝利を祝う旗だった。
勝ったのは、俺のおかげでもある。
だが、祝われているのは俺じゃない。当然だ。
ギルドの掲示板には、新しい張り紙が増えていた。
『冒険者の人手不足につき、高ランク依頼の報酬を増額します』
エヴェラ:戦争で兵士が減ったからね。民間の冒険者に依存する構造が加速してるわ。
なるほど、街の冒険者の顔ぶれも入れ替わっている。
ベテランが減り、見慣れない新人が増えた。みんな必死だ。
俺たちも、その中にいる。
自分でも信じられないことだが、まだやってる。
毎日、汗だくで走り続けた。
こんなにも長期間、何かをやり続けたことがない。
トラとサリーがいなければとっくに逃げ出していただろう。
「カッコ悪いところは見せられないからな」
エヴェラ:んー。すでに十分見せてると思うけど。あ、私にはとってもカッコ良く見えてるよ♡
無視して走り続ける。
喉が焼けるように痛い。
足の裏がじんじんする。
背中のシャツが張り付き、塩の跡が白く残る。
最初は1周で吐きそうだったコースだったが、今では10周している。
始めた頃は、数分で太腿が悲鳴を上げ、夜は足が攣った。今は走るたび、風が気持ちいいとすら感じる。
このコースは訓練所から市街地を抜け、あの食材店近くで折り返す。何度も走るたびに、この街の解像度が上がっていくようだ。
街で生きる人々の表情が見える。
いつも挨拶してくれる人。変な帽子だ。
パン屋の朝の匂い。ここの前で腹が鳴る。
夕方になると鳴る鐘の音で、自分の呼吸の荒さに気づく。
この街自体が生きているようだ。
舗装されている道は無く、砂利や穴に躓くことも多い。前回、槍を持って突撃し、同じような穴ですっころんだのは、比較的新しい俺の黒歴史だ。
今では、十分に躱せる。たとえ体勢が崩れても転ばなくなってきた。もちろん膝にできた沢山の小さな傷たちが教えてくれた結果だ。
腹も凹んできた。
木剣を持つことを許されたのは、ほんの数日前からだった。
木剣を初めて握ったあの日。
アレンさんが差し出した柄は、思ったより重かった。
「今日はお前も打ってみろ」
震える手で受け取った。
トラとサリーが横で見守っている。
期待が籠ったまっすぐな瞳だ。
アレンさんが構えを取る。
「来い」
思いっきり振り下ろした。――カッ。
木剣が弾かれる。当然だ。
でも、アレンさんは目を細めた。
「もう一回」
また振り下ろす。カッ、カンッ、カンッ。
想像していた感覚とは違い、打ち込むたびに手のひらが痺れる。衝撃が肘まで響く。
5回目で、アレンさんが軽く受け流して俺の木剣を弾き飛ばした。
「あー!」
情けない声が出る。
呼吸が乱れる。剣を振るうのがこんなに大変だとは。
「まだまだだ。今日から毎日素振り千本。今からな」
俺は、なんとも言えない顔をする。
サリーが俺を見て笑っていた。
トラが飛び出してくる。
「俺もやる!」
トラがアレンさんに向かって構える。
軽く受け止めるつもりでアレンさんが構えた――。
トラの木剣は、数瞬の激しい打ち込みの後、アレンさんの木剣をからめとり宙に飛ばす。
「……!?」
アレンさんが一瞬、目を丸くする。
トラも自分で驚いた顔をしている。
「今の……見た?」
アレンさんは小さく笑った。
「おいおいおい、やるじゃねえか、ガキ。とんでもねえなお前は」
トラの顔がパァッと輝く。
サリーが「トラ、すごーい!」と手を叩く。
気づけば、顔がほころんでいた。
まるで自分が褒められているかのように誇らしい。
トラは身長もぐんぐん伸びてるしなあ。
サリーも強い。アレンさんに素早さと身のこなしを高く評価されている。今なら棒持って追われても、返り討ちにできそうだ。
「うふふ、うちの子たちの才能が怖い」
二人を生暖かく見つめ、ニコニコ顔の俺がいた。
エヴェラ:ユウト、あの子たちを持ち上げても、キミが強くなるわけじゃないのよ?
「うるせー。親バカさせろ」
ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべる俺に、エヴェラが突っ込みを入れてくる。ほっといてくれ。
エヴェラ:キミが親バカの才能を持っていたのは意外だよ。
「うるせー」
◇
ある日の帰り際。アレンさんに袖を引かれた。
「ユウト。ちょっと付き合え」
連れて行かれたのは、ギルド近くの小さな食堂。
カウンターに座ると、アレンさんが肉の乗った丼を二つ注文した。
「今日は俺のおごりだ」
「え……いいのか?」
人からおごられる、なんてこと産まれて初めてだ。
「いいって言ってるだろ。まあ、座れ。最初はさ、お前、本当にどうしようもないと思った。走るだけでヘトヘト、何も無いところですっ転ぶ。すぐに諦めると思ってたよ。根性も無さそうでさ。でも……子供たちのために必死に食い下がってる姿を見て、見直したよ」
「それだけ言いたかったんだ」
「……アレンさんのおかげだよ。ありがとう」
自然に頭が下がった。誰かに何かを教えてもらうのって、学校みたいで嫌だとおもった。だけど、教わることの喜びとありがたさをこの4ヶ月が教えてくれた。
「礼なんかいい。ただな、ユウト。生き残れよ。あの小さな子たちだけじゃ生きていけないぞ」
アレンさんは少し真面目な顔で言った。
「子供たちを守るために食い下がれよ。絶対に死ぬな」
「……ああ。当然だ」
大きく頷いた。
……User memory updating ……
ゴトンッ。
俺たちの前に、甘辛い香ばしい料理が置かれる。
「サリーから聞いたよ。冒険者で稼いで、子供たちと食堂を作るんだって?」
アレンさんは器用に片腕で丼を掻き込む。
計画を説明する。
孤児には無償、または労働で、金持ちには高級料理を、今はそんな風に考えている。
食べ始める。
湯気が立ちのぼり、醤油ベースの肉の匂いが鼻をくすぐる。箸を入れると脂がじゅわっと染み出した。
肉が熱い。噛むたびに脂が広がる。
単純に旨い。柑橘系の香りもする。
この料理も、あの醤油っぽい味の実が使われているのだろうか。これは元の世界でも通用する。
今度、みんなを連れてこよう。
「こういう飯屋を出すのには、国の認可がいるって聞いたぞ。金だけじゃない、信用もだ。……コネはあるのか?」
肉を噛みながら、アレンさんが流し目をよこす。
「コネ……か。なくはない」
ふと、ルーク王子とアリス王女の顔が浮かぶ。
この世界で、最初に俺を受け入れてくれた人たち。
きっと、頼めば力を貸してくれる。……カリンちゃんにも、また会いたいな。
気づけば、思っていた。
――敵ばかりじゃない。
味方も、いる。
アレンさんには、勇者であることを明かすべきかもしれない。
そのとき。エヴェラの声が、すぐそばで囁く。
エヴェラ:ねーユウト、黙っていましょう? この関係を壊したくないでしょ? ……味方かどうかなんて、最後まで分からないんだから。
思考を読むエヴェラに諭される。
そう言われると、確かに怖い。
うん、やめよ。
アレンさんに礼をして、俺たちは『家』に帰った。
◇
路地の奥、湿った石畳の影で、一人の男がユウトたちを見ていた。
「あいつ、まだいやがったのか……。あのガキたちは?」
靴底が石を踏む音だけが残った。
——それと、金属が擦れる、低く重い音。




