6.初夜、というもの
夕食後、日鞠は雪之丞に呼び出される。
「さて、今日はもう休んでくれ……と言いたいところだけれど。最後に一つ、言っておかなくてはいけないことがあってね」
「はい、何でしょうか?」
雪之丞は真剣な面持ちになった。
「本来は祝言の前に確認しておくべきことだったんだが、僕は君との子を持つ気がない」
日鞠は首を傾げる。
「それは、子を産んでほしい女性が他にいらっしゃるというお話でしょうか?」
要は、妾のことだろう。華族の間で妾を持つというのは、さして珍しい話ではない。爵位は男児しか継ぐことができない、という国の制度が後押ししている部分もあった。
実態はかけはなれたものだったとはいえ、華族の出である日鞠にとってそれは、大した問題ではなかった。
「あの屋敷から出していただけただけで、旦那様には返し切れない恩がございます。お妾さんをお作りになるとしても、私に気兼ねする必要はございません」
本心からそう思っていた。しかし微笑む日鞠に対して、雪之丞は理解できない、というような顔になった。
「嫌じゃないのかい? 結婚したばかりの夫が他の女にうつつを抜かすというのは」
「だってこれは、”契約”なのでしょう?」
うつつを抜かすも何も、求婚の際に恋も愛もきっぱりと否定したのは、雪之丞の方だ。
心底不思議そうな日鞠の声に、雪之丞は目をぱちくりとさせる。彼の長い睫毛がばさりと音を立てた。
「くっ……ふふ、はは! 君は良いね、やはり僕の目に間違いは無かった」
そして何故か笑い出した雪之丞は、くたりと椅子に背を預ける。
「子を持たないと言ったのはね。うちの店──初木屋の後継には、姉の子を指名しようと考えているからなんだ」
「お義姉様、ですか」
ぴんと来なかったが、よくよく思い出してみると、仮祝言の際の仲人は雪之丞の義兄、つまり彼の姉の旦那だった。
「そうだったのですね。私は勿論、構いません」
「良かった。ちょうどいい機会だ、他に何か聞きたいことがあったら教えてくれ」
日鞠は人差し指を顎に当てて考える。
「聞きたいこと……あっ」
一つ、抱えていた疑問を思い出した。質問を促すように首を傾げた彼に、尋ねてみる。
「祝言ののち、”初夜”というものが行われるとお聞きしたのですが……初夜とは、一体何なのでしょうか?」
その問いに、雪之丞はぴたりと一瞬動きを止めた。
そのままゆっくりと脱力すると、大きく息を吐き、俯きながら指先を目頭に置いた。
「……なるほどね。これが華族のお嬢さんか」
安堵とも呆れともつかぬ、含みのある言い方だった。気に障る質問だったかと慌てていると、雪之丞が顔を上げる。
すでに彼は、完璧な微笑を浮かべていた。
「”初夜”というのはね。夫婦が、結婚した夜に一緒に眠ることだよ」
「なるほど……? それでしたら今夜、私たちは一緒の布団で眠るということでしょうか?」
彼は顎に手をあて、ちらりと視線を流す。
「まぁ、今夜は僕の部屋でいいか。基本的に寝室は別の予定だけど……一緒に寝たかった?」
「まさか!」
日鞠は首をぶんぶんと振る。こんなに綺麗な人が隣にいたら、緊張で不眠になってしまうに違いない。
雪之丞は苦笑いを浮かべていた。
「まさかって。そこまで勢いよく否定しなくても良いんじゃないのかい?」
「あっ。失礼しました、決して嫌とかではなく……!」
「はは、良いよ。寝室を分けているのはね、僕の就寝時間が不規則だから。深夜に君を起こしてしまうのも悪いと思って」
雪之丞は今、帝都で最も忙しい実業家だ。
日鞠は扉の開閉音で起こされようと構わないのだが、確かに同室で眠ることで雪之丞に変に気を遣わせるのもまた、申し訳ない気がした。
それに、彼が日鞠と結婚したのは、夢見の能力を買ってのことだ。
予知夢を生み出す睡眠を妨げたくないということなら、よくよく納得できた。
「とはいえ、僕たちの契約については屋敷の者たちにも秘密だから。今後は週に一度、君の部屋で寝かせてもらおうと思っているけど、構わないね? 心配しなくて良いよ、単に隣で眠るというだけだから」
彼はどういうわけか、少々早口で確認をしてきた。
日鞠はなぜ「心配しなくて良い」と言われたのか分からなかったが、「はい」と答えた。
一緒に眠るのは緊張するだろうが、週に一度なら耐えられるだろう。
「今日はもう疲れただろう? 風呂を用意させたから、早めに入って休むと良い」
「ありがとうございます」
「ああ、そうだ。今後夢見が起こったらその毎、どんなに些細な内容でも教えてくれ」
もとよりそのつもりだったため、日鞠は頷く。
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
丁寧に礼をして、彼の書斎を出たのだった。




