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【side クリス】
その丘は、朱一色だった。
紅葉ではない。人間の血で丘が朱に染まっているのだ。
そして丘を染めているのと同じ朱色の血が、俺の手からも滴っている。
「どうしたのだ、クリストフ」
自身の、拭いても拭いても朱の色の落ちない手のひらを眺める俺に、騎士団長が声を掛けた。
「……血が、落ちなくて」
「クリストフ。その朱は気のせいだ。お前の手のひらに血の跡は付いていない」
「気のせい? こんなに朱いのに?」
「お前のような幻覚を見る騎士は少なくない。その朱は気のせいだ。クリストフ、お前の手は綺麗だ」
「俺の手が、綺麗……? こんなにも人間を殺してるのに?」
俺は丘に転がる亡骸を眺めた。
朱色に染まった亡骸は何も言わない。何も言えない。
俺が、殺したから。
「……団長。どうして俺たちは同じ人間を殺さないといけないのですか?」
「国の民を守るのが騎士の務めだからだ」
「俺は魔物から人々を守りたくて騎士になったのに……!」
「騎士は敵を選べない。向かってくる敵を全員倒すことが、私たちの使命だ」
冷静にそう言い放つ騎士団長に、俺は食ってかかった。
「向かってくる敵って、これは侵略戦争ですよね!? うちの国が侵略しに行ってるんですよね!?」
そう。これは守るための戦いなどではない。
他国を侵略するための戦争だ。
他国を攻め落とせば物資が手に入るため、巡り巡って国民を守ることに繋がるのかもしれないが、頭がそれを拒む。
だって目の前には俺たちに侵略されたせいで殺された人々の死体が転がっているのだ。
これだけ殺しておいて、何が「守る」だ。
「……騎士は王命に従うのみ。余計なことは考えなくていい」
「余計なことは考えるなと言われても、俺は人々を守る崇高な仕事だと思って騎士になったんです!」
「この国の騎士になるということは、人間の心を捨てるということだ。早く煩わしい人間の心など捨て、怪物になれ、クリストフ」
「なっ!? 騎士は崇高な存在ですよね!?」
「崇高な、怪物だ。命令を守る、崇高で忠実な怪物。それが私たち騎士だ」
騎士は人間でいてはいけない。人間のままでいては、心が壊れてしまうから。
俺はそのことを実体験として知った。
だから騎士で居続けるためには怪物にならなくてはならない。人間の心を捨てて、怪物に。国に仕える崇高で忠実な怪物に……。
「俺は、人間です」
気付くと俺の口からは、そんな言葉が漏れていた。
俺の言葉を聞いた騎士団長は溜息を吐き、なだめるように言った。
「それはお前が騎士として半人前だからだ。じきに怪物になれる」
「俺は怪物になんてなりません。なりたくありません」
「なるのだよ。私たちは浴びた血の量だけ怪物に近付いていく。聞いた悲鳴の数だけ人間から遠ざかっていく」
俺は自身の手のひらを眺めた。手のひらは、相変わらず人間の血で朱に染まっている。
「俺は一体何のために……守るべき人間を殺して……」
「この国のために働く存在が、私たち騎士だ。お前が守るべき人間は、同じ国の民だけだ」
「俺は、俺は……」
「クリストフ。お前は剣の腕は抜群だが、心の方はまるでダメだな」
俺は朱色の手のひらを固く握った。
そして騎士団長に向かって宣言をする。
「人間の血で朱色の怪物に変わるのが『騎士になる』ってことなら、俺は騎士なんか辞めます!」
「戦争中に任務を放棄した騎士がどうなるかは、分かっているだろうな?」
凄みを利かせる騎士団長に、俺は怯むことなく告げた。
「ハッ! 幸い俺は剣の腕だけは抜群なんでね。ただで殺されてやるつもりはありませんよ。もしも俺を止めるようなら、何人かは道連れにしてやります。どうせ俺の手はもう真っ赤ですからね!」
俺が意見を変えないことを悟った騎士団長は、一層大きな溜息を吐いた。
「……はあ。お前のような出来損ないのために、残っている大事な騎士を失うわけにはいかない。どこへでも勝手に行くがいい。ただし二度とうちの国の地面を踏めるとは思うなよ」
「寛大な処置をありがとうございます」
「お前のためではない。うちの騎士のためだ。お前は二度と顔を見せるな。もしも次に見つけたら、問答無用で叩き斬る」
「分かりました……さようなら」
俺は騎士団長に頭を下げると、真っ赤な丘を軽快な足取りで降りていった。
血で染まった丘を、ぴょんぴょんと下る。
「これからどこへ行こう……どこでもいいか!」
地面に転がった亡骸が、恨めしそうに俺のことを眺めている。
「人間のままでいられる場所。人間のままで許される場所」
朱色の手で人間社会に混ざろうとする俺のことを、亡骸たちが憎々しげに眺めている。
「きっと俺はもう立派な人間にはなれない。だけど怪物になるよりはマシだ」
すでに朱に染まった手を持ちながら怪物ではないつもりの俺を、人間だった者たちが憐れな目で眺めている。
「じゃあな。可哀想な人間たち。崇高な怪物たち」
俺は地面に転がる朱に染まった人間と、これからも人間を殺すだろう怪物のいた丘を見ながら呟いた。
「いざ、新天地へ!」
数多の人間を殺した朱色の手をした怪物崩れの俺は、このときすでに呪われていたのかもしれない。
このあとの俺は、新天地でいきなり詐欺に遭い身ぐるみを剥がされ、ゴミを漁って何とか生き延び、やっと仕事を見つけたと思ったら冤罪で解雇され、またゴミを漁って何とか生き延び、魔物狩りで稼げるようになったと思ったら領主の妻を誘惑したとして町を追い出され、新たな町に入った途端に強盗団に身ぐるみを剥がされ、またまたゴミを漁って生き延び…………一言で表すなら、散々な人生だった。
しかし人間を殺していた頃よりも、空が晴れ渡って見えた。




