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屋敷に帰ったわたくしは、一人で作戦を立てることにいたしました。
本当はブランカにも手伝ってほしかったのですが、ブランカはわたくしとおじさまの恋には反対のようでしたので、仕方がありません。
ちなみにブランカには、お父様におじさまとのことは内緒にしてくれるように頼んであります。最初はお父様に報告が必要だと言っていましたが「ブランカがひったくりに遭ったことがおじさまとの出会い。ブランカはわたくしとおじさまの恋のキューピッド」と言うと、途端に黙りました。
自分がわたくしをおじさまと引き合わせたことがお父様に知られるとマズいと感じたのでしょう。
「それにしても。おじさまは一筋縄ではいかない方ですわね。きっと今日と同じように攻めても、おじさまはわたくしになびいてはくれませんわ」
今日のツレナイ態度のおじさまを思い出して、わたくしは溜息を吐きました。
あの様子から考えて、日を改めれば心変わりをするというわけでもなさそうです。
「……はあ。恋愛なんて初めてで、勝手が分かりませんわ」
ふかふかのベッドに横たわりながら、わたくしは窓の外を眺めました。
同じ空の下にいるというのに、おじさまとわたくしはあまりにも遠いのです。
わたくしがふかふかのベッドに横たわっている今、おじさまは固い地面の上に布を敷いて背中を痛めながら寝ているのでしょうか。
こんなにも環境の違うわたくしたちが愛し合うことなど、無理な話なのでしょうか。
「恋愛小説では、身分の違う二人が結ばれますのに……」
わたくしは、昔読んだ身分違いの恋のお話を思い出しながら呟きました。
あのお話に出てくる公爵令嬢のヒロインは、護衛騎士と身分違いの恋をして……。
そこまで考えたわたくしは、がばっと身体を起こしました。
「そうですわ! 分からないのなら、先人の知恵を借りればいいのではなくて!?」
わたくしは棚に並んでいる恋愛小説を手に取るとペラペラとめくり、参考になる箇所を探しました。
しかしこういうときに限って、身分差モノの恋愛小説はありませんでした。
「確か『公爵令嬢と護衛騎士』の恋愛小説は、シュザンヌに貸しているんでしたわ」
面白い恋愛小説を読んだ後は、友人のシュザンヌに読んだ後の恋愛小説を貸しています。逆にシュザンヌからわたくしが恋愛小説を借りることもあります。
こうすることで、わたくしたちは数多くの恋愛小説の感想を共有しているのです。
「ですが、まさか恋愛小説の貸し借りが仇になるとは思いませんでしたわ」
手元に無いとなると、あとは記憶頼りです。
あの話に出てくる公爵令嬢は、恋について何と言っていたでしょうか。
「公爵令嬢が言っていたのは、確か『恋には駆け引きが必要』『押してダメなら押し倒せ!』だったはずですわ」
押し倒すことがどう恋の駆け引きになるのかは分かりませんが、本に書いてあったのだから間違いはないはずです。
「貴族令嬢が男性を押し倒すなんてはしたないですが、おじさまはお淑やかではない女性が好みのようですものね。振り向かせるためには頑張らないといけませんわね!」
おじさまの好みの女性になりきって、セクシーでエロティックにおじさまを押し倒しましょう。
「うーん。セクシーでエロティックとは、どうすればいいのでしょう」
以前観た演劇にそういった女性が出てきたような気がしますが、わたくしとは似ても似つかない容姿だったような……。
いいえ。セクシーでエロティックになろうとする気概さえあれば、わたくしでもセクシーでエロティックな女性になれるはずです。
「とにかく押し倒せばいいのですわ! セクシーでエロティックは、押し倒してから考えることにいたします!」
* * *
「……ということですので、押し倒されてくださいませんこと?」
「嫌だけど?」
おじさまを押し倒そうとして両手を押したところまでは良かったものの、いくら押し倒そうとしてもおじさまはビクともしません。
昨日は寝転んでいたのに、今日はおじさまが座っていたことも運が悪いです。おじさまが最初から寝転んでいてくれたら、話はもっと簡単でしたのに。
「少しだけ、少しだけでいいんですの。押し倒されてくださいませ。恋愛小説に『押してダメなら押し倒せ!』って書いてありましたのよ」
「なあ、お嬢様。それは読む本が悪いか、何かを間違えて覚えてると思うぞ」
「つべこべ言わずに押し倒されてくださいませ!」
わたくしは全体重を手にかけました。それでもおじさまは動きません。
涼しい顔をしながら、自身の近くに置かれた酒瓶を眺めています。
「うーん。大胆なのは嫌いじゃないけど、さすがにこれはなー。両手がふさがってると酒が飲めないから離してくれないかなー」
「くっ、ビクともしませんわ!?」
「そりゃあお嬢様とおじさんじゃ腕力が違うからねー。お嬢様の細腕に力負けするわけにはいかないって」
さすがのわたくしでも、このまま何時間続けてもおじさまを押し倒すことが出来ないことは分かります。
ですが引くわけにはいかないのです。引いたところで次の作戦など無いのですから。
恋の駆け引きに「引く」なんて選択肢はありません。
「ねえ、侍女さん。このお嬢様にきちんとした教育を受けさせてる?」
おじさまが、わたくしたちのやりとりを黙って見つめているブランカに尋ねました。
するとブランカはこの質問に苛立った様子で答えました。
「失礼な! アリーゼお嬢様はマナー講師にいつも褒められる優秀な生徒なんですよ!?」
「マナーを褒められるような令嬢は、往来で白昼堂々『押し倒されてください』なんて言わないと思うぞ」
「それは……」
ブランカが言葉に詰まったところで、代わりにわたくしが言葉を紡ぎました。
「んもう、おじさま。ブランカとではなく、わたくしと話してくださいませんこと? それともまさかブランカがおじさまの好みなんですの?」
「お嬢様に比べれば好みかなー。ちょっと堅物っぽいところが減点……いや、普段堅物な女性がベッドの上で乱れるのもそれはそれで」
「最低!」
おじさまの言葉を聞いたブランカが、おじさまのことを、虫けらを見るような目で見下ろしています。
そしてブランカは、わたくしに向かって懇願する声を出しました。
「アリーゼお嬢様。このような下品な男のことは忘れましょう。お願いです、忘れてください。こんな男、アリーゼお嬢様には相応しくありません!」
「嫌ですわ。わたくしはおじさまにぞっこんですの」
力尽きてしまいおじさまを押し倒すことは諦めたものの、引き続きおじさまの手を握りながらわたくしは言いました。
「彼にはひったくりからバッグを取り返してもらっただけですよね!? どうしてそこまで!?」
どうして。
それはわたくしにも分かりません。
ですが、なぜだか無性におじさまと一緒にいたいと思うのです。
そう、それはまるで。
「わたくし、おじさまに運命を感じてしまいましたの。スマートに泥棒を捕まえて、謝礼はいらないと言い放つなんて、この上なくカッコイイです。運命の出会いですわ!」
わたくしのこの言葉に反応したのは、ブランカではなくおじさまでした。
「ああ、そういうこと。お嬢様は、恋に恋するお年頃なのねー」
恋に恋するお年頃。
それはわたくしの恋が、ただのおままごとだという意味でしょうか。
そんなわけはありません。
おじさまの言葉は全肯定したいですが、こればかりは譲れません。
「違いますわ。この恋は本物です!」
「本物ねえ。偽物を知らずに本物を語られてもねえ」
「……恋愛経験が乏しいことは認めますが、最初の恋が本物ではないとは言い切れないのではありませんこと?」
「まあ、それは確かに。一発目で正解を引く確率はゼロじゃないもんな」
そう。確率の計算は得意ではありませんが、確率はあくまでも確率です。
どれだけ確率が低くても、一発で正解を引き当てることはあり得るのです。
「でもさ、お嬢様。おじさんみたいな人間に構うよりも、もっと有意義な時間の使い方があるんじゃないの?」
おじさまを言い負かしたと思って誇らしげにするわたくしに、おじさまは気分を害した様子も無く、何気ない調子で言いました。
「有意義な時間の使い方?」
「お嬢様には、やりたいことって無いの?」
「わたくしのやりたいこと……」
「誰にだって、やりたいことの一つや二つはあるだろ。若い頃は特にさ」
おじさまは、やりたいことがあって当然とばかりに述べました。
わたくしのやりたいこと。
それは、多くの貴族令嬢が好きな、あれです。
「わたくしのやりたいことは、買い物ですわ。買い物は退屈な日常に風穴を開けてくれるような気がしますもの」
「気がする? つまりお嬢様は買い物をしても退屈なままってことか?」
おじさまにそう言われて、わたくしは何も言い返せませんでした。
「それって、本当にやりたいことなの?」
わたくしの心の中を見透かしたように、おじさまがわたくしに問いかけます。
わたくしは買い物が好き…………本当に?
わたくしは買い物のどこが好きなのでしょう。買い物の何が魅力的なのでしょう。
すぐには答えが出てきません。答えがあるのかどうかも分かりません。
「お嬢様が本当にやりたいことは、別にあるんじゃないの? おじさんには、お嬢様が現実逃避をしてるようにしか見えないかなー。おじさんとの恋もその一環」
「わたくしは現実逃避がしたい、の、です?」
「おじさんにはそう見えるよー」
退屈な日常に風穴を開けてくれる気がするから、買い物が好き。
それはつまり買い物自体が好きなわけではなく、退屈な日常からの脱却方法になるかもしれないから、買い物が好き?
わたくしは買い物が好きなのではなくて、退屈な日常から脱却したいだけ?
おじさまへの恋心も、買い物と同じ理屈?
それって、それって……。
「まあ、余計なお世話だけどね。人生経験が豊富な先輩からのアドバイスだとでも思っておいてくれ」
「……おじさまは、それほど年齢を重ねているわけではありませんわよね?」
「あっはっは。確かにおじさんは、おじさん界の中では若輩者だな!」
混乱するわたくしを見ながら、おじさまが楽しそうに笑いました。




