★19
「痛……くない?」
恐る恐るぎゅっと瞑っていた目を開くと、わたくしの上には誰かの腕が乗っていました。一瞬ぎょっとしましたが、その腕は切り離されているわけではなく身体と繋がっているようでした。そしてその身体は。
「おじさま!? 大丈夫ですの!? おじさま!」
わたくしの上に乗っていた腕の持ち主、おじさまがわたくしの横で倒れていました。
おじさまは先程までかなり離れた位置にいたのに、どうやってここまでやって来たのでしょう。
……って、そんなことよりも。
「おじさま、返事をしてくださいませ! 死んじゃダメですわ!」
「あ、あはは。殺さないでくれよー、お嬢様」
わたくしが半泣きになりながらおじさまの手を握ると、おじさまの目がゆっくりと開きました。
「おじさま! 良かったです。わたくし、おじさまが死んでしまったのかと!」
「へーきへーき。土の塊は軌道を逸らしたから」
言われて確認をすると、土の塊はわたくしたちから離れた位置で崩れていました。
決闘を観戦していた人たちはわたくし以外全員逃げていたらしく、怪我人はいないようです。
観客に怪我人はいない……ですが、おじさまは。
「おじさま、手から血が……」
「このくらい唾でも付けとけば治るから気にしなさんな」
「わたくしが逃げられなかったせいで……申し訳ありません」
「お嬢様が謝る必要はないって。あんなの、逃げられないさ」
おじさまは逃げられないと言ってくださいましたが、鈍くさいわたくし以外の人間は無事に逃げています。と言うことは、普通なら逃げられるものだったのです。
するとわたくしの心の内に気付いたのでしょうか。おじさまがおどけた調子で言いました。
「おじさんこそ、ごめんねー。咄嗟に避けちゃった。おじさんが避けたら観客に魔法が飛んで行くことが分かり切ってるのにねー。反射って怖いね。おじさんのおっちょこちょい」
おじさまが努めて明るく振る舞っているのに、わたくしが暗い顔をしているわけにはいきません。
無理やりに笑顔を作ると、わたくしもおじさまに向けて明るい調子で言いました。
「おっちょこちょいのおじさまも、わたくしは好きですわ」
「お嬢様は本当に趣味が悪いよねー」
そのとき、広場の真ん中でスキンヘッドの審判が声を張り上げました。
「場外! 勝者、ローラン・エル・ユペール!」
この宣言に、パチパチとまばらな拍手が起こりました。
観客のほとんどは先程の攻撃の際に逃げてしまっており、この場に残っている人はごくわずかだからです。
「あちゃー。場外ルールのことを忘れてたわー」
おじさまは自身の額に手を当てると、空を仰ぎ見ました。
「俺が勝つ方に全財産賭けてたのに。残念過ぎる」
おじさまは決闘前にした賭博の話をしているのでしょう。
まさか全財産を自分に賭けていたとは知りませんでしたが。
「全財産だなんて……そういう一か八かの賭け方をするのは良くないのではなくて?」
「いいや。一か八かの賭け方をするから、ギャンブルは楽しいんだぞー」
「おじさまはギャンブルに向いていないのではないでしょうか」
「そうとも言う」
おじさまはゲラゲラと笑いながら、自身の服を破いて手の傷に巻きました。なんだか手慣れた仕草です。
「アリーゼ! 怪我は無い!?」
「あっ、ローラン」
広場の端で話し込むわたくしたちの元へ、ローランがやってきました。ローランはおじさまに蹴られた箇所が痛むらしく、ふらふらした足取りです。
なおローランの後ろからは、ローランを手当てしたいのだろうユペール伯爵家の人々がついて来ています。
「申し訳ない! この通りだ!」
わたくしの前にやって来たローランは、がばっと頭を下げました。
しかしそんなことをする必要はありません。
「頭を上げてください、ローラン。戦闘に事故は付きものですわ」
「だけど、もう少しでアリーゼが大怪我をするところだったんだ。僕の魔法のせいで……」
「ですが、わたくしは大怪我などしておりません。それどころか怪我一つありませんのよ」
わたくしはローランの前でくるりと回り、自身が無傷であることを見せつけました。
ところがローランの頭は上がりません。
「怪我が無かったとしても、アリーゼを危険な目に遭わせた罪は重い!」
「んもう。わたくしが良いと言っているのですから、この件は気にしなくていいんですのよ。わたくしは少しも怪我をしていない。それがすべてですわ」
「……ありがとう、アリーゼ」
やっと顔を上げたローランは、次はわたくしからおじさまに視線を移しました。
「そこの浮浪……いいえ、すみません。クリスさん」
「そこの浮浪者でいいって。おじさんが浮浪者なのは事実だし」
「いいえ。アリーゼを守っていただいたのに、そのような呼び方は出来ません」
「ローラン、おじさまは名前を呼ばれることがお嫌いなようなんですの。ですので……えっと、何とお呼びするのがよろしいでしょうか?」
わたくしがおじさまに尋ねると、おじさまは興味が無いとばかりに肩をすくめました。
「何でも良いって。金輪際、呼ぶこともないだろうし」
「……僕は、あなたのことを見誤っていたようです。あなたの外見ばかりを見ていて、中身、人間性を見ていませんでした。恥ずかしい限りです」
決闘前とは打って変わって礼儀正しくなったローランに、おじさまが苦笑しました。
「おじさんはただの、クズでダメ人間の浮浪者だってばー。人間性もサイアクなの」
「いいえ。あなたは身を挺してアリーゼを守ってくださいました。愛する人のために身体を張ることが出来るのは素晴らしいことです」
「お嬢様は、おじさんの愛する人じゃないけどねー?」
「アリーゼがあなたを選ぶと言うのなら、僕は引かざるを得ません。そのつもりはなかったにせよ、アリーゼを攻撃してしまった僕と、アリーゼを守ったあなたとでは、比べることすらおこがましいですから」
「坊ちゃんも大概人の話を聞かないねー。お似合いだと思うよ、坊ちゃんとお嬢様」
「いいえ。僕は未熟でした。アリーゼの隣に立つ資格などありません」
わたくしの隣に立つ資格が無いなんて、なんて悲しいことを言うのでしょう。
ローランはこれまでもわたくしの大事な友人であり、これからも大事な友人ですのに。
「ローランは、今も昔もこれからも、わたくしの大事な幼馴染ですわ。おじさまとわたくしの結婚式にだって、もちろん招待するつもりですのよ」
「クリスさんとアリーゼの結構式……うっ。想像しただけで血の涙が」
急に感極まったらしいローランが男泣きを始めました。
それにしても血の涙とはなんでしょう。涙を拭くために目を擦りすぎて目の端が切れてしまう、という表現でしょうか。
「結婚式ってなあ、お嬢様。前にも言ったけど、お嬢様の恋はただの現実逃避だと思うぞー?」
涙を流すローランの横で、わたくしの恋をまがい物だとのたまうおじさまに、わたくしは胸を張って言ってやりました。
「では、逃避する必要が無いくらいに現実を充実させて、それでもおじさまのことが好きだと言ってみせますわ!」
「ははっ、そうかい。頑張りたまえよー」
「んもう。冗談だと思っていますのね! わたくしは本気ですのに!」
わたくしがぷりぷりと怒ってみせると、おじさまが晴れ渡る空を見上げました。
「……こんな可愛いお嬢様に惚れられるなんて、俺もまだまだ捨てたもんじゃないねー」
わたくしもおじさまを真似て空を見上げてみました。
雲一つ無い晴れ渡った空は、迷いの無くなったわたくしの心のようだと感じました。




