●18
「お疲れ様でしたあ!」
「お疲れ、エヴァン。明日もよろしく」
「こちらこそよろしくお願いしまーす!」
勤務時間の終わったエヴァンが、元気よく帰っていった。
一方でダイアナは泣きそうな顔をしながらキッチンで立ち尽くしている。
「わたくし、仕事を増やしてばかりでしたわ……」
「勤務初日なんて誰でもそんなもんだ。落ち込むな。次から気を付ければいい」
「こんなに何も出来ないなんて、わたくし、自分で自分にガッカリですわ」
ダイアナはしゅんとした様子で、溜まった洗い物を眺めた。
あれからダイアナにはずっと洗い物をまかせていたのだが、手が滑らないように慎重に洗っていた結果、洗い物の増えるスピードにダイアナの洗い物の速度がまったく追いつかなかったのだ。
それにしても。
文字の読み書きが出来る点や口調、それに佇まいから感じていたことだが……。
「もしかしてダイアナは、良いところの令嬢なんじゃないか?」
俺の質問に、ダイアナがハッとした様子で顔を上げた。
その反応が答えだ。
「どうして令嬢がアルバイトなんてしてるんだ? あー、家庭に複雑な事情があるなら別に言わなくてもいいぞ」
家が傾きかけているだとかそういった事情があるなら無理に聞いてはいけないと思い、言葉を付け足した。
しかしダイアナが働こうと思った理由は、家が傾きかけているとかそんなものではなかった。
「わたくし、普段は身の回りのことをすべて侍女にやってもらっていて、自分では何も出来ないんですの。令嬢なのだからそれで良いと周りは言うのですけれど、本当にそれで良いのかと考えることがありますの。だって本当に何も出来ないんですのよ、わたくし。今日一日で分かってもらえたと思いますけれど……」
「うーん」
下手に否定するのも白々しいと思い、俺は困ったような顔で相槌を打つことで返事を誤魔化した。
「わたくしは何も出来ない令嬢を脱却したいと思っているのですけれど、屋敷では何もやらせてもらえませんの。料理をしてみたいと言っても、怪我をするかもしれないからダメ。掃除をしてみようとしても、掃除は使用人の仕事だからダメ。だからわたくしはただ紅茶を飲んでお菓子を食べているだけ。こんなのって健全ではありませんわ」
ダイアナのような優雅な暮らしを望んでいる人はこの町にあふれているだろうが、その優雅な生活をしているダイアナはダイアナで悩んでいるらしい。
贅沢な悩みだと言ってしまえばそれまでだが、本人にとっては深刻な悩みなのだろう。
ただ優雅な生活を享受しているその辺の令嬢よりも、ダイアナは自立心が強いのかもしれない。
だからこそ何も出来ないままの自分を歯痒く感じ、このような労働の場に身を投じているのだろう。
「……ここで働いてることを、ダイアナの家の人は知ってるのか?」
「侍女にだけは伝えていますわ。さすがに誰にも何も言わずにここへ来ることは出来ませんので。侍女には真実を口止めした上で、屋敷には買い物や観劇など適当な理由を報告してもらっていますの」
「そうか。まあ、あまり結果を焦るな。毎日皿洗いをしてればそのうち速度は付いてくる……って、そうだ!」
令嬢なら、実際にはやらせてもらえないとしても、得られる知識があることに思い至った俺は、ダイアナに提案をしてみることにした。
「令嬢なら、紅茶の淹れ方を侍女から習うことが出来るよな!? 今この店では正しい方法で紅茶を淹れられてないんだ。令嬢の家でされてるような正しい紅茶の淹れ方をしたら、紅茶の味がもっと良くなるかもしれない!」
「紅茶の淹れ方……そのくらいでしたら、聞くことが出来ると思いますわ。みんなはわたくしが怪我をしたり、わたくしに掃除をさせたことをお父様に知られるのが怖いだけだと思いますので」
「じゃあ次に働きに来るときまでに、紅茶の淹れ方を習っておいてくれ。それで紅茶のオーダーが入ったら、ダイアナの家の淹れ方で紅茶を淹れてほしい。きっと俺が淹れるよりも美味しい紅茶になるはずだ」
俺の提案を聞いたダイアナは、自分でも役に立つことが出来ると感じたのか、顔をぱあっと綻ばせた。
良かった。勤務初日の小さなミスに必要以上に落ち込んでいたから、心配をしていたのだ。
「……で、ダイアナは帰らないのか? ここは夜間営業をしてるわけじゃないからまだ夕方だが、そろそろ帰らないと心配されるんじゃないか?」
「仕事が終わった頃に馬車がここに来る手はずになっているんですの。うわさをすれば、ほら」
言われて店の外を見ると、立派な馬車が店までやって来るところだった。
「ここで働いた後にあの馬車で帰っていくのは変な感じだな。あの馬車での送迎だけで、ここの給料がチャラになりそうだ」
「問題ありませんわ。お金には困っておりませんので」
そう言ってダイアナは優雅に微笑むと、立派な馬車に乗って帰っていった。
どうやら俺は、とんでもない人物を雇ってしまったらしい。




