第22話 王冠へ至る道
港は祝賀の熱気に包まれていた。
イーゼルト国とミゼルカ国を結ぶ直通航路――その開通記念式典。
長年停滞していた海運を一変させる歴史的事業に、貴族、商人、記者、市民までが詰めかけている。
埠頭には色鮮やかな旗が並び、楽団の音楽と人々の歓声が海風に乗って響いていた。
停泊した大型船のデッキには、代表者たちが並んでいる。
中央に立つのは、エドワード・イーゼルト公爵。
隣にはマルス商会会長アダム・マルス。
そして婚約者であり、マルス商会の娘でもあるアンジェ・マルス。
三人が姿を見せるたび、岸壁から歓声が上がった。
「ミゼルカとの直通船で注文が殺到してる」
「港の荷量、もう先月の倍らしい」
「景気まで変わるんじゃないか?」
商人たちが興奮気味に声を上げる。
一方、少し離れた場所では、貴族たちも小声で囁き合っていた。
「しかし、今となっては完全な優良物件だな……イーゼルト公爵」
「ミゼルカとの新航路開通の立役者で国民の支持が大きい。貴族の間でも評価が高まっているし、次代の王の覚えもめでたい」
「うちの娘もなんとか会えないかと騒いでいる」
「それが、もう婚約済みだからな」
惜しむようなため息が漏れる。
だが別の貴族が呆れたように肩を竦めた。
「お前たち、少し前まで“事故物件公爵”と散々言っていたではないか」
「いや、しかし十年前のことを考えるとだな」
「まさかここまで立ち直るとは思わなかった」
「いや、立ち直らせたのはマルス商会の令嬢か」
視線が自然とアンジェへ向く。
貴族の令嬢とは違う、溌剌とした笑顔。
大勢の人々を前にして堂々とした立ち振る舞い。
そして公爵との仲睦まじい様子。
「今やイーゼルトでも経済の大きな利益をもたらした大商会の娘だ」
「先日妃殿下に贈った真珠のブローチが、国中でブームになっているらしいぞ。流行の火付け役になったと」
「庶民だけでなく貴族からも縁を求めるものが殺到するのでは?」
「こちらも惜しいことをしたな」
さらなるため息が漏れた。
海風がアンジェの髪を揺らす。
そのアンジェと目を見交わすエドワードの表情は穏やかだった。
かつて過去に囚われ、自分を責め続けていた男の面影はもう薄い。
その姿を遠くから見つめながら、王太子ルーカスは静かに目を細めた。
「すべてあなたの望み通りになりましたね、殿下」
背後から声がかかる。
振り返れば、そこにはリンデン伯爵が立っていた。
娘と孫が帰国したばかりの老伯爵は、どこか呆れたような顔をしている。
ルーカスは穏やかな笑みを崩さない。
「さて、何のことでしょう」
「白々しいですな」
リンデン伯爵は肩を竦め、海へ視線を向けた。
「十年前から、ずっと貴方の掌の上だったのでしょう」
ルーカスは否定しない。
その沈黙を見て、伯爵は静かに口を開いた。
「……娘が駆け落ちする前のことです」
ルーカスが目を向ける。
「当時、私は王宮財務の不正を追っていました」
帳簿改竄。
横領。
架空事業。
腐敗は王宮の奥深くまで広がっていた。
「そして、陛下に目を付けられた」
リンデン伯爵は苦い顔で続ける。
「娘を、国王派の貴族――ギルベルト・レイブンと婚約させられたのです」
婚約破棄など許されない。
逆らえば伯爵家そのものが潰される。
「だから駆け落ちを黙認しました」
静かな告白だった。
「表向きは醜聞でしたが、あれしか娘を守る方法がなかった」
ルーカスは穏やかな表情のまま聞いている。
「そして私は、殿下と手を組んだ」
伯爵の声が低くなる。
「国王派を瓦解させるために」
十年前の騒動。
エドワードは、自分が全てを壊したと思っていた。
だが実際は違う。
彼は“利用された”のだ。
若く真っ直ぐで、感情的だったエドワードは、人々の目を集めやすかった。
だからこそ、格好の囮になった。
王宮内の不正。
国王派の癒着。
腐敗した貴族たち。
その膿を暴き出すために。
「……兄上には酷なことをしました」
ルーカスが初めて、わずかに笑みを薄めた。
「ですが必要だった」
「ええ。その結果、王宮の膿は取り除かれた」
表向き、先代国王は病床に伏している。
だが真実は違う。
長年に渡る不正を黙認し、助長した責任を問われ、実質的に蟄居状態となっているのだ。
そして間もなく。
ルーカスが王となる。
新しい時代が始まる。
その時。
高らかな汽笛が港へ響いた。
歓声が大きく沸き起こる。
新航路の船が、ゆっくりと動き始めていた。
人々の祝福の声を聞きながら、リンデン伯爵はぽつりと言った。
「……今回の誘拐騒ぎも、殿下の差し金でしょう」
「何のことでしょう」
「ギルベルトを上手く誘導した」
ルーカスは微笑んだままだ。
「伯爵家には、サラ以外にも貴方の配下が潜り込んでいた。そしてローザンヌ男爵の配下にも。ギルベルトとサラを引き合わせ、誘拐へ誘導した者がいたはずです」
その結果。
密輸組織とローザンヌ男爵を一網打尽にできた。
「見事でしたよ、殿下」
リンデン伯爵の言葉に、ルーカスは小さく苦笑した。
「私の思う通りにならないものもありましたよ」
最大の誤算。
それは、エドワードが十年もの長い間、死んだ工作員の男爵令嬢を想い続けたことだった。
ルーカスは兄の愛情深さを見誤っていた。
王族には向かない兄。
玉座から遠ざけることは、兄のためでもあった。
不幸になれと思ったことなどない。
だが、良かれと思った選択が、時に人を深く傷付けてしまうこともある。
特に恋や愛などという、不確かなものは。
「アンジェ嬢のことも賭けでした」
しかし今回は、賭けに勝った。
エドワードは過去の呪縛を越え、人を愛せるようになったのだから。
「あなたには感謝しております。長年の私の悲願を叶えてくださった」
リンデン伯爵は深く頭を下げる。
「……ただし」
低い声になった。
「帰ってきたばかりの娘と、会ったばかりの孫を危険な目に遭わせた件については、大変腹を立てておりますが」
ルーカスがわずかに目を逸らす。
「それについては申し訳ない。最善は尽くしたのですが」
「“危険はない範囲で誘導した”とでも?」
「はい」
「貴方は昔から、そういう顔で無茶を言う」
リンデン伯爵は頭を抱えた。
だがその目には、どこか安堵も滲んでいる。
視線の先では、アンジェが何かを話し、エドワードが穏やかに笑っていた。
その光景を見つめながら、ルーカスは静かに呟く。
「兄上には、幸せになっていただきたいのです」
船は未来へ向け、ゆっくりと港を離れていった。




