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エピローグ 世界の果てまで

 新航路を進む船は、青い海を悠々と進んでいた。

 白い波が船腹を叩き、潮風が帆を揺らす。


「綺麗……!」

 アンジェは欄干へ身を乗り出し、目を輝かせた。

 遠くには海鳥が飛び、水平線の向こうへ船が消えていく。

 これまで閉ざされていたイーゼルト国の海路は、今、新しい時代へ向けて開かれようとしていた。


「アンジェ」

「はい?」

「乗り出しすぎです」

「きゃっ!?」

 ぐらり、と身体が傾く。

 その瞬間、背後から腕が伸び、アンジェの腰をしっかり支えた。

 エドワードだった。


 彼は眉を寄せる。

「海へ落ちたばかりでしょう」

「う……すみません」

「本当に反省していますか?」

「してます!」


 だがエドワードは疑わしそうな顔をしている。

 アンジェは思わず頬を膨らませた。

「そんなに心配しなくても大丈夫ですって」

「貴方は“絶対大丈夫”と思っていても事件に巻き込まれるので、油断できません」

 呆れたように言いながら、その腕は離れない。

 むしろ逃がさないように、そっと引き寄せられる。

 アンジェの顔が熱くなった。


 船はこのままミゼルカ国へ向かう。

 もっとも、二人は途中の経由港で降りる予定だった。

 新航路整備の視察を行い、その後イーゼルトへ戻ることになっている。

「いつか本当にミゼルカへ行きましょうね」

 アンジェが笑う。


「賑やかで楽しい国なんですよ。市場も活気がありますし、ご飯も美味しいですし!」

「貴方の生まれた国を見てみたい」

 エドワードは穏やかに微笑んだ。

「貴方が見てきた景色を、隣で見てみたいんです」

 その言葉に、アンジェは嬉しそうに笑う。

「案内しますね!」

「では、新婚旅行はミゼルカにしましょうか」

「……はい?」

 アンジェが固まる。


 エドワードはさらりと続けた。

「朝、市場へ出かける貴方を迎えに行って、夜は同じ部屋へ帰る」

 アンジェの頬が赤くなる。

「眠る前に、今日も貴方が無事だったと安心したい」

「エ、エドワード……」

「たぶん私は」

 低い声が甘く響く。

「貴方が死んだら、生きていけません」

「そ、それ重いです……!」

「ええ、自覚はあります」

 真顔で頷かれた。

「ですが、もう手放す気はありません」


 アンジェは真っ赤になりながら視線を逸らす。

(この人、本当に甘い言葉を言う時だけ破壊力が高い……!)

 けれど、その言葉が嫌ではない。


 昔のエドワードは未来を語らなかった。

 そんな彼が今は、“一緒に見たい景色”を話してくれる。


 そのことが、アンジェにはたまらなく嬉しかった。


「エドワード」

「はい」

「もっと広い世界を見に行きましょう」

 アンジェは笑った。

「二人で」

 エドワードは静かに目を細める。

 そしてアンジェの手を取り、指先へそっと口づけた。

「ええ」

 その声は、どこまでも甘かった。





「貴方となら、世界の果てまで」







 そう言って、エドワードがゆっくり顔を寄せてくる。

 アンジェは一瞬ぽかんとして――次の瞬間、ぶわっと顔を真っ赤にした。


「ま、待ってください!!」

 慌てて両手でエドワードの胸を押し返す。

 エドワードがぴたりと止まった。

「……嫌でしたか」

「ち、違います!!」

 アンジェは大慌てで首を振る。


「そうじゃなくて、その……! 私はあなたと違って恋愛初心者なんです! こういうのはもう少し、お手柔らかにお願いします……!」

 するとエドワードは、きょとんとした顔をした。

「……私だって初めてですが」


「はい?」


 アンジェは固まる。


「このように女性へ触れたいと思ったのも、口づけしたいと思ったのも、全部貴方が初めてです」


 アンジェはぱちぱちと瞬きをした。


「あ、あの……十年前の彼女は?」

「婚約者のいる身で、他の女性に不貞はしません」


 エドワードは静かに答える。

「彼女とは、手を繋いだ程度です」


 アンジェは青ざめた。


(キスもしない恋を十年……!?)


 愛が重い。

 重すぎる。


 もし自分が先に死んだら、この人はまた何十年も抱え続けるのではないか。

(……絶対に長生きしよう)


 アンジェは真剣な顔で決意した。


 そんな彼女を見つめながら、エドワードが不思議そうに首を傾げる。

「アンジェ?」


「……私、絶対に死にません」

「はい?」

「健康に気をつけます」


 エドワードは困惑していた。

 だがアンジェは本気だった。

 そんな彼女を見て、エドワードはふっと笑う。


「では約束してください」

「え?」

「何十年先でも、私の隣にいると」


 アンジェの胸がじんわり熱くなる。

 アンジェは少し照れながらも、小さく笑った。


「……はい」


 するとエドワードは満足そうに頷き、さらりと言った。


「では毎朝、健康管理は私が行います」

「はい?」

「長生きしていただかないと困るので」

「愛が重い!!」


 船の上へ、エドワードの穏やかな笑い声が響いた。

 青い海はどこまでも広がっている。

 過去に囚われていた公爵と。

 そんな彼を未来へ引っ張り出した少女。


 二人だからこそ辿り着けた場所があり。

 二人だからこそ、これから見られる景色がある。


 船は新しい航路を進んでいく。


 寄り添う二人を乗せながら、未来へ向かって。

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