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第2話 憑き物が落ちた王子様

「……思ったより普通の人だった」


面会を終えたアンジェの第一声に、イヴリンは盛大にむせた。


「アンジェ!!」


「だって本当に」


アンジェは困惑していた。


もっとこう――。


傲慢。

尊大。

「俺は王公太子だぞ」とでも言いそうな男を想像していたのだ。


なのに実際に現れたエドワード・イーゼルト公爵は、妙に静かだった。


王城の離宮。


冬の陽光が差し込む談話室で、彼は立ち上がって一礼した。


「本日はありがとうございます、マルス嬢」


長身だった。


銀に近い淡金の髪。

青灰色の瞳。

彫刻みたいに整った顔。


なるほど、これは社交界が騒ぐ。


だが。


「……」


目が死んでいる。


いや、死んでいるというか。


妙に悟っている。


達観している。


まるで“期待すること”をやめた人間の目だった。


「遠路はるばるイーゼルトへようこそ」


穏やかな声だった。


礼儀正しい。


落ち着いている。


だがアンジェは逆に怖くなった。


(この人、本当にあの婚約破棄事件の当人?)


十年前。


当時十七歳だったエドワードは、まさに“太陽”のような王子だったという。


正義感が強い。

頭脳明晰。

剣も政治も優秀。


ただし。


思い込んだら一直線。


周囲が見えなくなるほど。


男爵令嬢との恋もそうだった。


「身分差に負けない真実の愛」だと、本気で信じていた。


その結果が、国家規模の大惨事である。


「あの」


アンジェは単刀直入に聞いた。


「どうしてこの縁談を受けたんですか?」


普通ならもっと遠回しに聞くべきだろう。


だがエドワードは気を悪くした様子もなかった。


「弟の勧めです」


「王太子殿下の?」


「ええ」


ルーカス・イーゼルト。


現王太子。


兄とは対照的に、穏健で現実的な人物として知られている。

近年は海外交易にも力を入れており、ミゼルカ国との関係強化にも積極的だ。


「マルス商会との関係は、今後のイーゼルトに利益が大きいので」


「……なるほど」


アンジェは納得した。


確かに筋は通っている。


「兄上も少しは社交に出てください、と言われまして」


エドワードは淡々と言う。


「私は断ったのですが」


「断ったんですか」


「私と結婚したい女性などいませんから」


即答だった。


アンジェは瞬いた。


「……自覚あるんだ」


「かなり」


変に取り繕わない。


「ですので」


エドワードは静かに紅茶を置いた。


「一度お会いして、正式に断っていただければ十分です」


「え」


「そのほうが、弟にも“努力はした”と言えますので」


アンジェは思わずまじまじと彼を見た。


この人。


本気で“断られる前提”で来ている。


しかも傷ついた様子もない。


当然のように受け入れている。


「……あの」


アンジェは恐る恐る聞いた。


「そんなに嫌われてる自覚あるなら、なんで平然としてるんですか」


「平然?」


エドワードは少し考えた。


「慣れました」


さらりと言った。


「昔はそうではありませんでしたが」


その言葉に、アンジェは少しだけ目を見開いた。


エドワードは窓の外を見た。


雪が静かに降っている。


「若い頃は、自分が正しいと思っていました」


静かな声だった。


「正しいことをしているのだから、周囲はいずれ理解すると」


「……」


「愚かでした」


自嘲も怒りもない。


ただ事実として認めている。


王家。

派閥。

貴族。

国家。


王太子の行動は、個人の恋愛では済まない。


その結果、多くの家が潰れ、多くの人間が人生を狂わされた。


エドワード自身もまた、そのひとりだった。


「今は?」


アンジェは聞いた。


「仕事をしています」


「仕事?」


「公爵領の運営。学校支援、貧民街の冬季支援、あと交易港の整備などを」


淡々とした口調だった。


だが聞けば聞くほど、働きすぎでは? と思う。


「休みとかないんですか」


「必要ありませんので」


「いや必要でしょうよ」


思わず突っ込むと、エドワードは少しだけ目を丸くした。


その反応が妙に人間らしくて、アンジェは拍子抜けした。


「……昔は」


エドワードがぽつりと言った。


「多くを欲しがっていました」


王位。

理想。

愛。


全部、自分の信じる形で手に入ると思っていた。


「ですから今は、このくらいでちょうどいい」


静かな声だった。


「働いている間は、余計なことを考えずに済みますから」


アンジェは黙った。


その言い方が、少し苦しかった。


反省しているのはわかる。


罪悪感があるのもわかる。


でも。


(なんかこの人、自分を罰し続けてない?)


そう思った瞬間、むくりとおせっかい精神が頭をもたげた。


ミゼルカ商人は放っておけない生き物である。


特にアンジェはその傾向が強かった。


「あの、公爵閣下」


「はい」


「今度、港を案内してください」


エドワードが瞬いた。


「港?」


「交易港。整備してるんでしょう?」


「……していますが」


「私、ミゼルカ育ちなんで、港とか市場とか大好きなんです」


アンジェは身を乗り出した。


「あと貧民街支援の話も聞きたいし、学校も見たいです」


「……」


「ほら、せっかくイーゼルト来たんだし」


エドワードは困ったように沈黙した。


まるで理解できないものを見る顔だった。


「……なぜですか」


「はい?」


「なぜ、わざわざ」


事故物件なのに。


たぶん、彼はそう言いたいのだ。


アンジェは少し考えてから、にっと笑った。


「なんか放っとくと仕事しかしなさそうだからです」


「……」


「あと、公爵閣下ってたぶん、思ったより面白い人ですよね」


エドワードは完全に固まった。


数秒後。


彼はゆっくり視線を伏せ、小さく息を吐いた。


それは困ったような、諦めたような笑みだった。


「……変わった方ですね、あなたは」


「よく言われます」


「では」


エドワードは静かに言った。


「もし本当にお嫌でなければ、次は港をご案内します」


断られる前提だった男の声音に、ほんの少しだけ戸惑いが混じっていた。

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