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第3話 港町と、事故物件の素顔

イーゼルト王都の港は、美しかった。


冬の海は鈍い銀色で、巨大な貨物船がゆっくりと波を割る。

石造りの倉庫群。高い時計塔。整然と並ぶ荷馬車。


ミゼルカの港のような喧騒はない。


だが代わりに、精密さがあった。


「すごい……」


アンジェは思わず呟いた。


「動線が全部分かれてる」


荷下ろし区域。

検品区域。

保管倉庫。

貴族向け高級品の搬入口。


人と荷の流れがぶつからないよう、計算され尽くしている。


「五年前に再整備しました」


隣を歩くエドワードが説明する。


黒い外套姿の彼は、やはり貴族というより役人に見えた。


「以前は事故が多かったので」


「へえ……」


アンジェは感心した。


「これ、公爵閣下が?」


「設計者は別です。私は予算確保と各派閥の調整をしただけで」


「それ一番大変なやつでは?」


「そうでもありません」


いや絶対大変だったでしょうよ。


アンジェは呆れた。


だがエドワードは本気でそう思っているらしい。


「こちらは新しい税管理棟です」


「税?」


「密輸対策です。以前は貴族経由の横流しが多かったので」


「うわぁ、イーゼルトってほんとそういうの多い」


「……耳が痛いですね」


少しだけ苦笑する。


その表情に、アンジェは内心驚いていた。


初対面の時より、ずっと話しやすい。


というより。


(この人、仕事の話だと急に饒舌になるな……?)


さっきから説明が止まらない。


港湾税率。

輸入品規制。

冬季航路。

倉庫の回転率。


しかも内容がかなり具体的だ。


アンジェは目を丸くした。


「公爵閣下って、現場めちゃくちゃ見てるんですね」


「見ないと改善できませんので」


「でも貴族って普通、現場なんか来ないでしょう?」


「昔の私は来ませんでした」


エドワードは淡々と言った。


「紙だけ見て理解した気になっていた」


その言葉に、少しだけ苦味が混じる。


「実際に来ると、机上では見えないことが多いです」


そう言って、彼は岸壁の向こうを示した。


「あちら、今は人が少ないでしょう」


「うん?」


「冬は北側区域の使用率が落ちます。風向きの問題で荷運びが遅れるので」


「へええ……」


「ですが税は一律だったため、以前は中小商人の負担が大きかった」


だから区域ごとに徴税率を調整したのだという。


アンジェは思わず感心した。


ただ働き者なだけではない。


ちゃんと見て、考えて、改善している。


しかもそれを自慢げに言わない。


「……なんか」


アンジェはぽつりと言った。


「公爵閣下って、思ったよりずっと市政向きですね」


エドワードが少し目を瞬く。


「そうでしょうか」


「そうですよ。人がどう動くかちゃんと見てるし」


アンジェは倉庫街を見回した。


「あと、商人が嫌がるポイント分かってる」


「嫌がるポイント?」


「ずばり待ち時間です」


即答だった。


「“時は金なり”って言いますよね。でも商人は時間をお金で買うこともあります。それだけスピードを大切にしてるんですよ」


エドワードがわずかに目を見開く。


アンジェは続けた。


「多少税が高くても、流れが早くて確実に届くなら人は集まるんですよ」


「……なるほど」


今度はエドワードが感心する番だった。


「それは考えていませんでした」


「ミゼルカだと常識です」


「勉強になります」


真面目に返されて、アンジェは少し照れた。


こんなふうに会話が弾むと思わなかった。


事故物件だの、元王太子だの。


もっと気まずくなると思っていたのに。


気づけば二人で倉庫街を歩きながら、あれこれ話し込んでいる。


「あそこ、導線もったいないです」


「どこですか?」


「荷馬車の転回。壁壊して抜け道作ったほうが早い」


「……それは権利的に難しいですね」


「えー」


「倉庫街と輸送路、それぞれ別の貴族が利権を持っています。そこを無闇に突き崩すのは反発を生みます」


 エドワードは倉庫街を見渡して思案してからアンジェの顔を見た。


「ですが、別案はあります」


いつの間にか、アンジェは笑っていた。


エドワードもまた、初対面よりずっと表情が柔らかい。


穏やかで。


静かで。


妙に居心地がいい。


そのことにアンジェは少し困惑した。


(いや待って)


相手は事故物件である。


イーゼルト社交界きっての。


なのに。


(なんで普通に楽しいの……?)


一方エドワードもまた、内心で困惑していた。


こんなふうに誰かと話したのは、いつ以来だろう。


利害でも義務でもなく。


ただ会話そのものが楽しいなど。


「……明日でしたね」


不意にエドワードが言った。


「アーチャー家へ行かれるのは」


「あー……」


アンジェの顔が少し曇る。


現アーチャー子爵ハロルド・アーチャーとの正式面会。


ヒューの継承問題。

親族との顔合わせ。

そして“戻ってきた分家”としての挨拶。


避けては通れない。


「緊張します?」


「まあ、それなりに」


アンジェは肩をすくめた。


「いきなり親族ですって言われても、実感ないし」


エドワードは静かに頷いた。


その横顔を見ながら、アンジェはふと思う。


――不思議だ。


アーチャー家が断絶寸前になった原因。


それは数年前の後継者廃嫡騒動。


そしてその騒動の発端を辿れば。


十年前の婚約破棄事件に行き着く。


あの男爵令嬢を巡る混乱で、アーチャー家の嫡男もまた不正に関わり失脚したのだ。


つまり。


目の前の男の起こした事件が、巡り巡ってヒューに爵位を運んできた。


なんとも奇妙な縁だった。


アンジェがそのことを口にしようか迷っていると、エドワードが先に言った。


「……申し訳なく思っています」


静かな声だった。


アンジェは目を瞬く。


「え?」


「アーチャー家の件です」


エドワードは海を見たまま言った。


「直接ではないにせよ、原因の一端は私ですから」


まただ。


またこの人は、全部自分の罪として抱え込む。


アンジェはなんだか複雑な気持ちになった。


確かに原因ではある。


でも。


(この人、一生こうやって生きるつもりなのかな)


冬の海風が吹く。


その横顔は静かで。


なぜだろう。


その顔を見ていると、胸の奥が少しだけ痛んだ。

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