第18話 裏切りと狼煙
イヴリンとアンジェが連れて来られたのは、埠頭近くにある古びた倉庫だった。
表向きは長年使われていない荷倉庫。
だが中へ足を踏み入れた瞬間、アンジェは違和感を覚える。
倉庫の奥――積み上げられた木箱の向こうから、絶えず水音が聞こえていた。
目を凝らせば、床の一部が大きく開かれている。
そこには海へ繋がる細い水路と、小型船を直接横付けできる隠しドックがあった。
暗がりの中には、紋章も掲げていない船が停泊している。
密輸船だ。
アンジェは思わず息を呑んだ。
「降りろ」
覆面の男が銃口を向ける。
アンジェはイヴリンを庇うように前へ出ながら、ゆっくり馬車を降りた。
周囲の男たちがひそひそと話している。
「ローザンヌ男爵も焦ってるらしいぜ」
「公爵が港の流れを調べ始めたからな」
アンジェははっとした。
ローザンヌ男爵。
エドワードが最近進めていた事業でも、何度か名前を聞いた人物だった。
港湾管理にも関わる貴族で、エドワードに対しても愛想よく協力的に振る舞っていた。
だが裏では、密輸に手を染めていたのだ。
そして、その事実が露見しないように、エドワードへ妨害工作を仕掛けていた。
その時、倉庫の奥から一人の男が姿を現した。
四十路半ばほどの、荒んだ男だった。
痩せた頬に無精髭。
かつての貴族らしい面影も、今では薄汚れて見える。
その姿を見た瞬間、イヴリンが目を見開いた。
「……ギルベルト?」
信じられないような声だった。
「ギルベルト・レイブン……?」
アンジェが驚いてイヴリンを見る。
「お母様、この人……」
「……元婚約者よ」
「ええっ!?」
アンジェは思わず声を上げた。
ギルベルトは口元を歪める。
「久しぶりだなぁ、イヴリン」
濁った目には、長年煮詰めた怨嗟が宿っていた。
「お前が駆け落ちなんぞしたせいで、俺は伯爵家の婿養子になり損ねた。伯爵になる道も潰えた」
ギルベルトは吐き捨てるように続ける。
「その上、十年前の騒動だ。貴族位まで剥奪された」
拳を震わせながら叫ぶ。
「全部、お前とエドワードのせいだ!!」
だがイヴリンは怯まない。
「……自業自得でしょう」
「なに?」
「婚約中から浮気ばかり。努力もしない。自分が選ばれる側だと信じて疑わなかった」
ギルベルトの顔が引きつる。
「あなたとの結婚なんて、あの人とのことがなくても願い下げだったわ」
「っ……!」
「十年前の件だって同じ。身から出た錆ではないの?」
ギルベルトの顔が怒りで歪む。
「黙れぇぇぇ!!」
怒号が倉庫中へ響いた。
男は隠しドックの方を振り返りながら笑う。
「ふん! 生意気な口が聞けるのも今のうちだ。俺にはローザンヌ男爵って後ろ盾がある!」
その声には卑屈な誇らしさが滲んでいた。
「表では善人ぶって公爵に協力してるが、裏じゃ港を使って密輸で荒稼ぎしてる男さ」
アンジェは拳を握る。
エドワードが進めていた事業。
港湾調査。
度重なる妨害。
全部繋がった。
「公爵様が余計なことを嗅ぎ回るから、男爵様も困ってたんだよ」
ギルベルトは嗤う。
「だから俺が仕事を請け負った。業務妨害、脅し、人攫い……何でもな」
かつての貴族は、完全に裏社会へ堕ちていた。
「お前らは奴隷として密輸船に乗せてやる!!」
その時だった。
「ギルベルト様」
倉庫の入口から女の声が響く。
現れた人物を見て、アンジェは目を見開いた。
「……サラ?」
伯爵家の侍女、サラだった。
彼女は視線を伏せたまま、小さな鞄を抱えている。
ギルベルトが鼻を鳴らす。
「遅かったな」
「……人質用の服を用意しました。目立たぬ格好へ変えた方が良いかと」
サラは台の上へ鞄を置いた。
アンジェは愕然とする。
協力者は、サラだったのだ。
サラは二人へ近づき、小声で囁く。
「こちらへ……」
そして別室へ移動させようとする。
だが。
「必要ねぇ」
ギルベルトが吐き捨てた。
「ここでやれ。妙な真似されたら困る」
サラは一瞬だけ唇を噛む。
「……せめて物陰へ」
「勝手にしろ」
サラはアンジェとイヴリンを倉庫の隅へ連れて行った。
積み上げられた木箱の陰。
隠しドックから少し離れた場所だった。
その瞬間。
――ドォンッ!!
凄まじい爆音が倉庫を揺らした。
「なっ!?」
台の上の鞄が激しく爆発する。
煙が一気に広がり、男たちが悲鳴を上げた。
「憲兵隊だ!!」
「武器を捨てろ!!」
倉庫の扉が破られる。
銃を構えた憲兵隊、そして伯爵家の兵士たちが雪崩れ込んできた。
さらに隠しドック側の水路からも別働隊が突入する。
逃走路は完全に塞がれていた。
怒号。
発砲音。
剣戟。
倉庫は一瞬で制圧戦の場へ変わる。
アンジェは呆然とサラを見る。
サラは震える息を吐きながら、小さく頭を下げた。
「……お迎えが来ました、お嬢様」




