第17話 見失った先
エドワードは、人混みの中を足早に進んでいた。
視線の先には、つい先ほどまでアンジェの背中があったはずだった。
「アンジェ!」
呼びかけても返事はない。
角を曲がり、通りを見渡し、それでも姿は見つからなかった。
冬の夕刻。
行き交う馬車と人波の中へ、彼女の姿は完全に溶け込んでしまっていた。
エドワードは足を止め、苛立ったように髪をかき上げる。
アンジェの涙が脳裏へ蘇った。
『今、生きてあなたを信頼してる人を見てくださいよ!』
真っ直ぐな声だった。
「……信頼、か」
自嘲気味に呟く。
十年前の出来事は、今もなおエドワードの中に深く残っている。
失った名誉。
裏切り。
踏みにじられた誇り。
あの日から、自分はずっと過去ばかり見ていたのではないか。
そのせいで――今、自分を信じてくれている人間たちを蔑ろにしていたのではないか。
今回の事業に協力してくれた者たち。
迷惑ばかりかけているのに、なお気にかけてくれる弟夫婦。
そして、アンジェ。
彼女はいつだって、過去の噂でも公爵という肩書きでもなく、“エドワード”自身を見ていた。
「……っ」
胸の奥がざわつく。
エドワードは短く息を吐くと、すぐに踵を返した。
嫌な予感がした。
感情的になって飛び出したアンジェが、無事に帰宅している保証はない。
「伯爵邸へ向かう」
◇
突然現れた公爵に、伯爵邸の執事は目を丸くした。
「こ、公爵閣下……!? いかがなさいました」
「アンジェ嬢は戻っているか」
前置きのない問いに、執事は困惑したように瞬きをする。
「……お嬢様は、まだお戻りではありません」
その瞬間、エドワードの表情が険しくなった。
「戻っていない?」
「は、はい……」
執事も異変を察したのだろう。
彼は視線を横へ向けた。
そこには、青い顔をした侍女のサラが立っていた。
サラは不安げに唇を噛みしめている。
執事は低い声で命じた。
「サラ。旦那様をお呼びしろ」
「は、はい……!」
サラは慌てて駆け出していく。
ほどなくして姿を見せた伯爵も、エドワードの表情を見るなり顔色を変えた。
「何かあったのですか」
「アンジェ嬢がまだ帰っていない」
「……なんですと?」
伯爵の顔に焦りが浮かぶ。
もちろん、この場の誰も、アンジェがイヴリンの馬車に乗ったことなど知らない。
「すぐに人を出します。あの子は無茶をすることがありますから……」
伯爵が使用人へ指示を出そうとした、その時だった。
廊下の向こうから激しい足音が響く。
「旦那様!!」
飛び込んできたのは、イヴリンの護衛を務めていた騎士だった。
顔面は蒼白で、肩で息をしている。
「何事だ!」
伯爵の怒声に、騎士は息を乱しながら報告した。
「イヴリンお嬢様の馬車が……連れ去られました!」
空気が凍りついた。
「……何だと」
「護衛が襲撃を受け、馬車を奪われました……!」
伯爵が絶句する。
だが次の言葉が、さらに場を凍らせた。
「そ、それと……アンジェお嬢様も、同じ馬車に乗っていたと……!」
エドワードの瞳が見開かれる。
愛しく想った相手が、この手からこぼれ落ちる感覚。
自分はまた、失うのだろうか…?
目の前が真っ白になるようだった。
その時脳裏に浮かんだのは、アンジェの言葉だった。
『あなたを想っている人が……目の前にもいるでしょう!!』
――目の前の人間を見ろ。
まるでそう言われている気がした。
十年前の自分なら、怒りと焦りのまま飛び出していただろう。
だが、今は違う。
エドワードは一度だけ目を閉じ、震えていた手をぎゅっと握った。
そして静かに口を開いた。
「最後に馬車が確認された場所は」
低く冷静な声音だった。
護衛の騎士がはっと顔を上げる。
「南通りを抜けた先です!」
「憲兵隊に連絡を。街道に検問を敷く。馬車の特徴を共有してくれ」
矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
そして動揺するリンデン伯爵に言った。
「伯爵家の配下を貸してください。襲撃地点の痕跡を確認し、追跡班を編成します」
「もちろんです」
リンデン伯爵は頷いた。
青ざめていた顔がエドワードの毅然とした指示により赤みを取り戻す。
そしてエドワードは伯爵にだけ聞こえるよう小声で囁いた。
「使用人全員の所在確認を。情報が漏れている可能性がある」
伯爵はハッとしてエドワードを見てた。
そして目線だけで了承を伝える。
その場にいた全員が慌ただしく動き始めた。
エドワードの胸の内では、焦燥が焼けるように渦巻いている。
それでも彼は、感情に呑まれなかった。
今度こそ。
大切なものを、見失わないために。




