第14話 王宮回廊と、危うい気持ち
王宮で港湾利権に関する手続きを終えた頃には、外はすでに夕刻へ差しかかっていた。
長い廊下を歩きながら、エドワードは小さく息を吐く。
以前なら。
彼が王宮を歩けば、周囲は露骨に視線を逸らした。
あるいは腫れ物を見るような目を向けた。
だが今は違う。
遠巻きではあるものの、向けられる視線は以前よりずっと穏やかだった。
港湾改革の成果。
ミゼルカとの直通航路の推進。
王宮と貴族、港湾管理者との折衝。
少しずつだが、“事故を起こした元王子”ではなく、“働いている公爵”として見られ始めている。
――だからといって、居心地が良いわけではないが。
エドワードは無意識に眉間を押さえた。
そしてふと、アンジェのことを思い出す。
(今頃、公太子妃殿下との茶会か……)
思わず遠い目になる。
フリージアは穏やかに見えて、かなり癖のある人物だ。
知性も強さもある。
しかも面白がる時は徹底的に面白がる。
下手をすると、アンジェは今頃すっかり気に入られて振り回されているかもしれない。
招待状を受けたとエドワードに報告してきたアンジェの顔を思い出し、エドワードはくすりと笑った。
『……港町のおじさんに怒鳴られたときよりコワイです』
本気で怯えた顔をしていた。
あれは面白かった。
さらに思い出す。
港町の食堂でのことだ。
サラを追って店を飛び出したあと、戻ってきたアンジェは…
酒樽のように酔い潰れた男達と、その中心に座るエドワードを見て、ぽかんとしていた。
『……何してるんですか?』
『飲み比べ勝負を挑まれた』
『なんで受けたんですか!?』
周囲の男達が次々沈んでいく中、最後まで平然と酒を飲み続けていたエドワードを見て、アンジェが目をまん丸にしていた。
しばらく固まったあと。
耐えきれなくなったように吹き出していた。
『ふ、ふふっ……! なんですかそれ……!』
あの時の笑顔を思い出した瞬間。
胸の奥に、じんわりと温かなものが広がった。
不意打ちのような感覚に、エドワードはわずかに目を伏せる。
――最近、あの娘のことを考えすぎだ。
何度蓋をしても。
不意に蘇る。
――これは、危うい気持ちだ。
その時だった。
「兄上」
前方から、穏やかな声が響く。
顔を上げると、王太子ルーカスが数名の側近を伴って歩いてきていた。
淡い金髪に、柔らかな微笑み。
昔から変わらない顔だ。
エドワードは軽く一礼する。
「王太子殿下」
するとルーカスが苦笑した。
「公の場ではないのだから、そんな呼び方をしなくてもいいでしょう?」
「王宮は公の場です」
「昔は普通にルーカスと呼んでくれたのに」
「昔の話です」
ぴしゃりと返す。
だがルーカスは気を悪くした様子もなく、むしろ面白そうに笑った。
「この後、少し食事でもどうです?」
「結構です」
即答だった。
「忙しいので」
「兄上はいつも忙しいですね」
「実際忙しいので」
エドワードは淡々と返す。
するとルーカスがふっと目を細めた。
「アンジェ嬢とは、下町の食堂で食事をしていたのに?」
エドワードの眉がぴくりと動く。
「……どこでそれを」
「港町は噂が早いですから」
穏やかな笑顔だった。
だが。
昔からルーカスはこういう男だ。
柔らかく笑いながら、きっちり情報を掴んでいる。
エドワードはじっと弟を見る。
変わらない。
昔と同じ、穏やかな王太子。
人当たりが良く。
誰に対しても柔らかく。
感情を荒げることなど滅多にない。
エドワードは小さく嘆息した。
「わざと困らせて反応を見るような真似はやめなさいと、昔から言っている」
ルーカスが明るく嬉しそうな声色で言った。
「いいですね、兄上の説教。昔からそれを聞くのが好きでした」
エドワードは少々げんなりした顔で、軽く会釈した。
「……では失礼します、殿下」
「兄上」
呼び止める声にも振り返らず、そのまま歩き出す。
王宮の窓から差し込む夕陽が、長い廊下を赤く染めていた。




