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第13話 王太子妃のお茶会

王宮からの招待状を見た瞬間。

アンジェは真顔になった。


「……行かなくてもいい?」


「だめです」


即答したのはイヴリンだった。


数日後、アンジェは緊張しながら王宮の一室へ通されていた。

王太子妃フリージア主催のお茶会。

少人数、非公式。

そう説明を受けていた。

だが。

一対一とは聞いてない。

緊張しないほうがおかしい。


(なんで呼ばれたの!?)


内心で叫びながら席につく。

するとフリージアが穏やかに微笑んだ。


「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」


「し、してません」


「カップ持つ手が震えているけれど?」


「気のせいです」


完全に震えていた。

侍女が静かに茶を注ぐ。

ふわり、と香りが広がった。


アンジェはぴくりと反応する。


「あ」


フリージアが目を細める。


「分かる?」


アンジェは恐る恐る一口飲んだ。

そして。


「……ミゼルカ南方茶園の春摘みですか?」


フリージアが少し驚いた顔をした。


「正解です」


アンジェの顔が一気に明るくなる。


「うわぁ……! これ今年のやつですよね!? しかもかなり高級品!」


「王太子殿下が交易ルートで取り寄せたの」


「さすがです……!」


そこからだった。

空気が一気に和らいだのは。


「ミゼルカでは今、香料入り茶が流行ってるんです」


「まあ、面白そう」


「でも混ぜ方失敗すると悲惨ですよ。前に父様が――」


気づけば普通に盛り上がっていた。

茶葉。

菓子。

各国の流行。

市場価格。

輸送事情。

王宮のお茶会とは思えない会話である。

だがフリージアは楽しそうだった。


「あなた、本当に商会の娘なのね」


「? はい」


「貴族令嬢なら宝石や恋愛の話をするところだもの」


アンジェは少し首を傾げる。


「宝石も好きですけど、相場の話のほうが面白いです」


「ふふ」


フリージアが笑った。


「エドワード公爵と話が合うわけだわ」


アンジェは微妙な顔になった。


「合ってるんですかね、あれ」


「とても」


即答だった。

フリージアは静かに紅茶を口にする。


「イーゼルトは昔から、貴族が商いを下に見てきました」


「そうみたいですね」


「けれど実際には、皆こっそり商人と繋がっている」


アンジェは頷く。

港湾改革でも嫌というほど見た。


「癒着が多い理由、分かる?」


「……表向き認めてないから、裏でやるしかない?」


「正解」


フリージアは微笑んだ。


「表で健全に結びつけないから、裏で腐るの」


だから彼女は女子教育を推進している。

視野を広げるために。

古い価値観だけに縛られないために。


「女性が教養を持てば、家の在り方も変わります」


フリージアは静かに言う。


「貴族も、商人も」


そしてふと、アンジェを見る。


「あなたはマルス商会を継ぎたいの?」


アンジェは少し瞬いた。


「……できれば」


「まあ」


「父様はヒューにも選択肢を与えたいみたいですけど、ヒューはアーチャー家がありますし」


アンジェは苦笑する。


「正直、商会の仕事好きなんです」


フリージアは少し考え込むように目を伏せた。

そして。

さらりと言った。


「ならエドワード公爵と結婚して、お二人で継げばいいのでは?」


アンジェは盛大にむせた。


「げほっ」


「大丈夫?」


「だ、大丈夫じゃないです……!」


フリージアは本気で言っている顔だった。


「公爵は一代限りの爵位ですもの」


臣籍降下した元王子へ与えられた、公爵位。

子へ継承されるものではない。

つまり。

次代を考える必要が薄い。


「王家との繋がりも保てる。交易政策とも相性がいい。マルス商会にも利益がある」


「完全に経営目線……」


「恋愛だけで結婚するほど、皆暇ではないでしょう?」


それはまあ、そうだ。

妙に納得してしまう。

だが、アンジェはふと気になった。


「……王太子妃殿下は」


少し迷ってから聞く。


「公爵閣下のこと、どう思ってるんですか?」


十年前。

婚約破棄された相手だ。

普通なら恨んでいてもおかしくない。

フリージアは静かにカップを置いた。


「彼って、昔から本当に真面目だったわ」


くすり、と小さく笑う。

そして砂糖を一匙入れ、ティースプーンでくるくるとかき混ぜながら続けた。


「ちょっとした悪戯ですごい怒るのよ」


「……はあ」


「紅茶に蜘蛛を入れただけなのに」


アンジェはぎょっとして、反射的に自分の紅茶を見た。

フリージアは吹き出した。


「安心して。今日は入っていません」


「今日“は”!?」


「子供の頃の話ですわ」


楽しそうに肩を揺らす。


「庭で見つけた小さな蜘蛛でしたの。毒もない種類で」


「いや問題そこじゃなくないですか……?」


「当時の私は、彼がどこまで冷静でいられるのか気になっていたのよ」


さらりと言う内容ではない。

アンジェは思わず遠い目になった。


「でもエドったら全然動じないのだもの」


フリージアは少し懐かしそうに目を細める。


「最初は固まって、それから真顔でカップを見つめて」


『……フリージア。命を粗末に扱ってはいけない』


低い声を真似る。

アンジェは思わず吹き出しかけた。


「怒ると言うより、説教?」


フリージアは肩を竦める。


「ええそう。“怖がらせるためでも、生き物を弄んではいけない”って、一時間くらい」


「長い」


「長かったですわ」


けれどその声音は、どこか優しかった。


「昔からああいう方でした」


困っている人を放っておけない。

間違っていると思ったことには真っ直ぐ怒る。

不器用なくらい誠実で。

そして一度抱え込むと、全部自分の責任だと思ってしまう。


「だから周囲は、あの方を“理想的な王子”だと思っていました」


フリージアは静かに紅茶を飲む。


「けれど、本当はあまり王族向きではなかったのかもしれません」


「……王族向き?」


「王族は時に、割り切らなければいけませんもの」


助けられない人間を切り捨てることも。

政治のために感情を飲み込むことも。

汚れた相手と手を組むこともある。


「でもあの方は、“全員を救えるはずだ”と本気で思っていた」


だからこそ。


壊れた時、誰より深く傷ついた。

フリージアは静かに目を伏せた。

アンジェは黙って耳を傾ける。


「十年前の“男爵令嬢”のことは聞いている?」


「……そんなには」


フリージアは静かに頷いた。


「あの女性は、他国の諜報員でした」


思わぬ事実にアンジェは息を呑む。


「ですが、その事実は公にはされませんでした」


「え?」


「情勢と外交の問題です」


フリージアの声は静かだった。


「もし“他国が王族へ工作員を送り込んでいた”と明らかになれば、国際問題になってしまう」


下手をすれば外交関係が崩れる。

戦の火種にもなりかねない。

だから。

表向きには。

“愚かな男爵令嬢が、身分違いの恋へ溺れ、貴族社会を混乱させた”

そう処理された。


「彼女は国外追放になったと発表されました」


アンジェは眉を寄せる。

“発表された”。

その言い方に違和感があった。

フリージアは少し沈黙し、そして静かに続けた。


「……実際には、亡くなっています」


部屋の空気が静まった。


「毒を呷って」


アンジェは息を止める。


「自害、ですか……?」


「おそらく」


断定はしなかった。

だが。

その声音で十分だった。

フリージアは遠い目をする。


「あの女性は、とても上手だったの」


怯えたように笑う。

守ってほしそうに助けを求める。

誰かに必要とされることへ異常に長けていた。


「公爵は昔から、困っている人を放っておけない方でした」


真っ直ぐで。

正義感が強く。

疑うことを知らなかった。

だから深く入り込まれた。


「ただ」


フリージアは少しだけ表情を曇らせる。


「途中から、彼女も苦しんでいたように見えました」


アンジェは目を瞬く。


「……苦しんで?」


「ええ」


フリージアは静かに言った。


「きっと本当に、公爵を愛してしまったの」


その言葉に、部屋が静まる。

工作員として近づいたはずだった。

けれど。

真っ直ぐで不器用な王子を騙し続けるうちに、情が移った。

だがもう遅かった。

多くを巻き込み。

多くを壊し。

彼女自身も、戻れない場所まで来ていた。


「大勢の前で婚約破棄をしたことは、間違いなく多くの人を不幸にしました」


フリージアは静かに言う。


「関係者は処罰され、家は潰れ、人の縁も壊れた」


アーチャー家も、その余波を受けた一つだ。


「ですが同時に、あの事件で露わになったものもあったのです」


王族への癒着。

不正。

賄賂。

特権意識。

“伝統”の名で長年見過ごされてきた、この国の膿。


「公爵は不正そのものには加担していませんでした」


むしろ。

正義感が強かったからこそ、最後に激しく燃え上がった。

結果として。

隠れていたものまで一気に表へ引きずり出したのだ。


「そして公爵は、そのことを知っています」


フリージアは静かに目を伏せた。


「“騙された被害者”になることを、あの方は自分に許していない」


愛したこと。

信じたこと。

救えなかったこと。

そして。

最後に彼女を死なせたこと。

全部まとめて、“自分の罪”だと思っている。


アンジェは、港で働き続けるエドワードの姿を思い出した。

眠る時間も削って。

淡々と仕事をする姿。

あれはきっと。

罰なのだ。

今もずっと。


しばしの沈黙のあと。

フリージアは静かに紅茶へ口をつけた。


「私とルーカス殿下は、この十年、その後始末を続けてきました」


穏やかな声だった。


「壊れたものを、少しずつ立て直してきたのです」


教育改革。

法整備。

人事の刷新。

そして今。

外国との交易推進。


「閉じた貴族社会だけで権益を回している限り、また同じことが起きます」


だから外を入れる。

他国。

商人。

新しい価値観。


「交易の推進は、最後の仕上げなのですよ」


フリージアの灰銀の瞳が静かに細められる。


「この国を、“開けた国”へ変えるための」


アンジェは、静かに息を呑んだ。

港湾改革。

商会との提携。

それは単なる金儲けではない。

十年前から続く、“国の建て直し”の一部なのだ。

そして。

その中心に、今もエドワードがいる。


罪を背負ったまま。

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