9話 ジェミールの天然逆襲
「安心しろ。
キスですら気絶するようなうぶなルリウスに、無体を強いるつもりは『まだ』無い」
ジェミールはそう言って、ルリウスを座らせると、植物由来の髪用石鹸を手に取る。
そして泡立てたそれを、問答無用でルリウスの髪に塗り込んだ。
「ルリウスの黒髪は、濡らすとより艶めいて美しいな」
「ど、どうも」
髪の絡まったところをほぐすために、ジェミールが軽く引っ張ると、ルリウスの肩がぞわりと跳ねた。
ジェミールが呟く。
「髪……正確には頭皮というのは、愛撫すれば感じる場所らしい。
ルリウスもそのようだな」
ジェミールは意味の分からない情報を吹き込んでくる。
くすぐったいやら恥ずかしいやらで、ルリウスの精神は限界に近かった。
「ちょ、ちょっとお静かに願えますか……!?」
「はいはい」
ルリウスの言葉に、ジェミールは笑って返した。
ルリウスの髪に付いた泡を、ジェミールがぬるくした井戸水で洗い流す。
その手付きは、絹で撫でられているかのように優しかった。
「ジェミール様の髪も洗いますよ!」
ルリウスは照れ隠しで叫んで立ち上がると、いつも侍従としてやっているようにジェミールの髪を洗いはじめた。
糠袋でジェミールの背中を洗い、前面は本人に任せ、水のかけ流しはまた手伝う。
全く、侍従まで裸になって風呂の手伝いをするなど前代未聞だ。
恋人として入るならばともかく。
「では出ましょ……」
「まだだ。ルリウスの体を洗っていない」
「えええ!?」
ジェミールはルリウスの手を引くと、また椅子に座らせて、糠袋で背中を擦りはじめた。
「そ、そんなの主君のやる仕事ではありません!
どうかおやめに……」
「やめない。
それより、ルリウスの腰は細いな」
「えっと、それは褒め言葉と受け取っても構いませんか?」
「無論」
ごちゃごちゃと揉めているうちに、ジェミールの手がルリウスの体の前に回ってきた。
「ジェミール様、困ります!」
ルリウスが体を折ると、背後でジェミールがくすっと笑うのが聞こえた。
「恥ずかしがり屋のルリウスのために、少し後にとっておこう」
怒涛の入浴が終わると、ルリウスは何故かジェミールのベッドに寝かされていた。
「暖めてやる。
面白い話をして寝かしつけてやろうか?」
「い、いえ……それには及びませ……」
「構うな。毎日私の世話をしてくれてありがとう。
そうだ、子守唄でも歌おうか」
陸で死んだ海鳥を仲間が悼む
哀れな海鳥の魂は五〇年を四回数えて
故郷に帰ってくると恋人を見つける
ジェミールが歌ったのは、二人が再会した時にルリウスが歌っていたあの歌だった。
正確な歌詞、音程。
ジェミールはよほどあの歌を気に入ってくれたのだろうと分かる。
自分は愚痴を言ってジェミールに嫌われる作戦を実行していただけなのに、何故こうなっている。
意味が分からなさすぎて疲れたのか、ルリウスはそのまま意識を手放した。
「ルリウス、昨夜はジェミール様の部屋に泊まったんだってな」
翌朝、すれ違ったイオが冷やかしてくる。
「変なことは何も無かったですからね!」
一応訂正して、その場は終えた。
この作戦も、失敗だ。
その夜、風呂の時間。またもやジェミールはルリウスの服を脱がせかけたが、ルリウスはぷいっとそっぽを向いてやった。
「子ども扱いされるのは嫌いです」
「子ども扱い?」
「入浴の手伝いはともかく、寝かしつけなんか領主様でもやってもらわないじゃないですか。子守唄なんてまるで赤ちゃんです」
「それもそうだな」
ジェミールはしばらく考えた後、ルリウスの後頭部に手を添えると、少し強引に唇を重ねてきた。
しかも、舌を入れてくる。
嫌ではない。それが恐ろしかった。
こいつの前世はグラーリドなのに、その思いがどうしてもよぎる。
「大人扱いしてみたが、どうだっただろうか」
「っ……どっちもまだ駄目です!」
照れ屋の恋人を装ってどうにか誤魔化したが、策略に嘘を重ねていくルリウスに対してジェミールの表情は真剣そのものであった。
「ほお、『まだ』な。
その言葉、覚えておくからな」
ジェミールはくすくすと笑った。
その夜はジェミールの部屋ではなく、私室で眠った。
ジェミールは違うが、前世のグラーリドは既婚者だったはず。
あんなふうにして、女を腰砕けにしたのか?
風呂でいちゃついたり、寝かしつけたり、激しいキスをしたり。
ルリウスは悶々としながら眠りにつく。
この感情の正体には気付かなかった。
その日の午後からだろうか、ジェミールの様子が少しおかしかった。
午前中に衆議と会食した時まではいつもの様子だったのに。
「ジェミール様、お茶をお持ちしました」
「……うむ……ありがとう……」
どうにもジェミールに覇気が無い。
ルリウスのことを見ようとしない、見られないといった雰囲気だった。
まさか、嫌われた……?
『やった、これで解雇そして処刑ルート回避だ!
そのはずなんだ……』
元の目的は達成したはずなのに、ルリウスは何故か不安になる。
何より、ジェミールのあんな暗い面持ちは見ていられなかった。




