第222話 絶望という名の希望
ティアは、去っていくミユキの背中を見て、彼女にもフガクにもかける言葉を見つけられなかった。
ミユキの選択は、自分とフガクを助けるために不可避なものだとは分かっている。
それでも、彼女が身体が震えるほどに恐れる相手と共にシェオルへ向かうことを、止められない自分の弱さに腹が立った。
自分にも、フガクやミユキのような力があったなら。
3人で戦える選択肢もあったはずなのにと。
ティアは、座り込むフガクを見て、彼の精神状態が心配だった。
恋人であり、運命共同体であるミユキを失った彼の感情は察して余りある。
同時に、彼はこれからどうするのだろうと気になった。
こんな時だというのに、打算ばかりが頭を過る自分に嫌気が差す。
彼はこのまま、シェオルにミユキを追う旅に出るのではないかと。
ウィルブロードの聖庁まで共に行けると思っていた。
ここで彼と別れることになるのは、正直嫌だなと思ってしまったのだ。
「……フガク、大丈夫?」
そんな自分の心を隠すように、ティアはフガクの傍らに寄り添いそっと肩に触れる。
こんな時だというのに、胸がドキリと高鳴った。
フガクは答えない。
憂いを帯びた横顔は、疲労と痛みで歪み、苦しそうだった。
「今、治療するね……」
努めて平静を装い、ティアはフガクの身体にヒーリングを施していく。
とにかく、身体がズタズタに傷ついている。
今思えば、彼にホーリーフィールドをかけたことは正しかったのかと疑問が浮かんだほどだ。
『神罰の雷霆』のせいで皮膚が爛れ、一部炭化しているところすらある。
フェルヴァルムによって刻まれた傷は、ヒーリングでの完治はまず無理だ。
気休め程度の回復しかできないことにも悔しさを感じた。
「ありがとう……ティア……」
淡い金色の粒子が彼の肌に散り、雨のように降り注いだ。
光が彼の傷を包み、焦げた皮膚がわずかに再生する。
傷も少しだが塞がっていき、浄化の作用で化膿などは防げるはずだ。
精神的にも肉体的にも、まだ喋るのも辛いはずだが、フガクは薄く笑ってそう言った。
そんな言葉だけで、頬が熱くなる自分の”女”の部分が嫌になる。
「いいよ……ごめん、私何もできなかった」
思わず謝っていた。
何で謝るんだろうと自分でも思ったが、彼らのあまりにも壮絶な戦いと悲壮な結末に、何もできない自分が本当に歯がゆかったのだ。
「何で謝るのさ……ティアのおかげで、僕は最後まで戦えたのに……」
フガクは、安心させるように笑みを返してくれた。
駄目だ、今そんな優しい顔を見せられたら……。
ティアは返事をせず、無言で治療を続けた。
それから10分ほど経過後、ティアはフガクの身体をゆっくりと起こして立ち上がらせた。
「大丈夫……?」
「うん……痛みがだいぶマシだ、ありがとう」
フガクはまだよろよろと歩いているが、どうにか歩けるくらいには回復したらしい。
傷跡はほとんどが残った。
もう誰がどこから見ても歴戦の勇士のような有様だ。
あんな戦いが人間にできるのかと思うほど、フガクは限界を超えて戦っていた。
「ここで待ってる? 私、レオナを探してくるけど」
フガクとフェルヴァルムの戦いが始まってから今治療を終えるまで、大体1時間程度だ。
その間レオナが戻ってこなかったのが気にかかる。
何かあったのかもしれないと、ティアは嫌な胸騒ぎがしていた。
「いや……一緒に行くよ」
フガクはやや辛そうだったが、ティアと並んで教会を出る。
路上には相変わらずまばらに村人が倒れていたが、先ほどと特に変わった様子は無い。
ただ、何組か冒険者や商人の馬車が村に入ってきて、その異様な光景にどよめきが起こっているのが見てとれた。
どうやら自分たちと同じように、ツェリナにたどり着いた人々がいるようだ。
「あ、雨だ……」
ポツリと、鼻先に雨が一滴落ちて来た。
ここに来たときから曇っていたから、いつ降ってもおかしくない状況だ。
早くレオナを見つけなければ。
ズルズルと足を引きずるフガクと共に歩いていると、向こうから一人、長身の男性が歩いてきた。
金色の髪を三つ編みにした、眼鏡をかけた男だ。
スラリとした体にヒールのあるブーツで一見女性のようだったが、よく見れば男だと分かる。
「あれ……あそこにも歩いてる人がいる」
「本当ね……」
彼は髪が少し乱れ、服も一部が切り裂かれたように破れていた。
自分たちと同じように、村の外から誰か来たのか、あるいは……
「……」
「……」
すれ違い様に、互いの視線が交差する。
翡翠色の、輝くような目をしていた。
「……ねえ」
ティアは、すれ違いざまに声をかける。
男はピタリと足を止め、こちらを振り返らなかった。
「……何かな」
柔らかな声色。
だが少し警戒のようなニュアンスも感じられた。
「怪我しているけど、大丈夫? 外から来たの?」
「……今しがた着いたばかりさ。何が起こってるのかな、ここで」
「さあ……私たちも着いたばかりだから」
「そっか……まあ、ボクらも気を付けないとね」
そう言って男は、ゆったりと歩いて村の出口へと向かっていった。
殺気や敵意は感じられない。
だが、あまりにも平然と歩く姿には若干の違和感があった。
「ティア、どうしたの……?」
その男の背中を見送る。
怪しいが、他にも人が村に入ってきているようだし確信とまでは言えない。
一先ずは置いておくことにした。
そして。
「レオナ!!」
フガクが声をあげ、痛む身体を引きずるようにして駆け寄る。
少し歩いたところにあるカフェの軒先で、レオナを見つけた。
体中から血を流し、意識を失っている。
ティアも傍らに膝をつき、脈をとる。
「……大丈夫、生きてる。レオナ、レオナっ」
脈はあるし、心臓も動いている。
軽く肩を叩き、レオナに声をかけてみるが、反応が無かった。
「……他の村人と同じだね」
「ええ……でも、なんでこんな傷を……」
足はパックリと刃物で斬られた痕があり、口から血を流している。
全身そこかしこに傷があり、確実に何者かと一線を交えた後だ。
一体誰と……いや、恐らくは。
「ティア、もしかしてさっきの男と……」
「そうね、可能性は高いけど……とにかくレオナの治療を先にしよう」
さっきの眼鏡の男はもうどこかに行ってしまった。
こちらも追えるような状態じゃないし、どうにもできない。
まずはレオナの傷を治療するのが先決だ。
「一旦店の中に動かそう。ここだと雨に濡れる」
フガクと共にレオナをカフェの中まで運び、ティアはヒーリングをかけていく。
フガクに比べれば傷の数も深さもマシではあるが、それでも常人なら大怪我の部類だ。
とはいえレオナが意識を失うレベルとは思えないため、目覚めないのは別の原因があると見たほうがいいだろう。
「ねえ……フガク」
そんなことを思いながら、ティアはフガクに問いかける。
早いうちに、はっきりさせておきたかった。
「ん? どうしたのティア?」
「……ミユキさんのこと……追いかけるの?」
本当はもっと、彼の気持ちに寄り添った訊き方をすべきなのかもしれない。
だが、率直に聞くことしかできなかった。
「あなたは、私の旅から抜けて、ミユキさんのところに行くの?」と。
自分の中にも、きっと焦燥があったから。
手と、唇が震えた。
そうなれば、自分はレオナと二人旅。
あるいは、レオナが目覚めなければどうなるのだろう。
そんな心配ばかりが脳裏を駆け巡る自分の勝手さに、視界が滲んだ。
こんな打算的な女に、フガクも嫌気が差すのではないだろうか。
(私は……自分のことばっかりだ……)
自分の復讐の旅を続けなければならない。
そんな考えがどうしても先行して、フガクの想いに寄り添ってやれない。
ミユキを失ったことは自分にとっても大きな痛手だ。
だけどそれは、”戦力”という意味でなのかもしれない。
彼女のことは好きだし、友人だと思っているけど、もしかしたらただ自分のために戦ってくれる人だからなんじゃないか。
そんな風に思えてくる自分が、泣きたいほどに、嫌いだった。
「うん……行く」
「……そう」
ティアは瞳を閉じた。
フガクと離れる。
その事実は、思った以上に自分の胸に突き刺さった。
フガクもいない、ミユキもいない。
ここまでの旅路で得たかけがえのない仲間。
その二人を失って、自分はこの先……。
「……君をウィルブロードまで送り届けた後に」
「え……?」
ティアは思わずヒーリングの手を止め、フガクを見つめる。
「ごめんティア……必ず君の復讐の旅に戻ると約束するから……聖庁に着いたら、ミユキさんの元に行かせてほしい」
彼もまた真っすぐにこちらを見つめていた。
「どうして……」
「……?」
フガクは、恋人であるミユキを今しがた失ったばかりだ。
タイムリミットもある言い方だったから、今すぐにでもここを発って追いかけたいはずだ。
なのに。
「ウィルブロードまで……行ってくれるの……?」
どうして彼は、そんな当たり前のように、自分の旅の最後まで付き合うと言ってくれるのか。
どうしてそんなに優しくするのか。
まるで迷いなく、それが当たり前だと言うかのように。
「え? そりゃそうでしょ。まあシェオルの入口がある霊峰『ウェルギリウス』って、ウィルブロードの北の方でしょ。方向も一緒だ……し」
ティアは、フガクの手を両手で握った。
このくらいは許してほしいと、心の中でミユキに謝った。
この気持ちを彼に気付かれないよう努力するから、だから少しだけ、彼にもたれかかることを許して欲しいと。
「……ありがとう」
ティアはフガクの手を自らの額に戴き、震える声でそう告げた。
不安だった。
仲間を二人も失って。レオナも意識が戻るか分からない中で。
広大な大地を、旅の始まりのように一人で歩くことが。
いつの間にか自分の中でも、彼ら3人の存在は途方もなく大きなものになっていたのだと気づく。
フガクも、手を握り返してくれた。
温かい。
この優しい視線と、温かさを一身に受けられるミユキが羨ましいと思った。
「ウィルブロードに行こう、ティア。君とレオナを安全な場所まで送り届けて……―――」
もうフガクは、出会った頃の頼りない異世界転移者なんかじゃない。
倒れそうなとき支えてくれる、支えたいと思える、信頼できる仲間なんだとティアも自然と笑みが零れた。
「――そして僕は、シェオルに行く」
フガクは決意を口にする。
フェルヴァルムに敗北して、ミユキを奪われ、傷ついたレオナを前にして。
それでも彼は心折れていない。
ティアは彼とならきっと、彼らとならきっと、旅の果てまで辿り着けると確信した。




