第221話 白き絶望③
ミユキは、大地に転がりモゾモゾと動くことしかできなくなったフガクを見ていた。
フェルヴァルムの右腕を切り落とし、そこで彼の身体は限界を超えて動かなくなったのだ。
当然だ。
身体に負担をかける『神罰の雷霆』を5発も撃ち、それ以外の技も常に使用状態にあった。
ただでさえ肉体を削る技なのに、限界以上に使い続ければ身体が異常を示すに決まっている。
それほどのことをしなくては、まともに戦うこともできないほどフェルヴァルムは強かった。
彼女はフガクに何かを期待している。
それはミユキも分かった。
だが、フガクはその期待に応えられなかった。
そして振り下ろされるのは、断罪の刃。
赤い剣が彼の首と胴体を切り離そうというその時だった。
「待ってください!!」
ミユキは、気が付くと声を張り上げていた。
ピタリと、フガクの首に刃が押し当てられた状態で止まる。
わずかに血が零れたが、フェルヴァルムは手を止めたようだ。
「……何かしら」
フェルヴァルムの赤い瞳がこちらを向く。
それだけで、動悸が激しくなり手はカタカタと震える。
だが、フガクが殺されるのはもっと恐ろしい。
ミユキは一歩前に出て、彼女と戦うべきかを逡巡する。
『聖餐の血宴』を使えば、フェルヴァルムと渡り合える可能性はある。
だが、ミユキのそんな一瞬の思考を見透かしたように、フェルヴァルムは言葉を放った。
「あなたがやると言うのなら、フガクとそちらの彼女も殺すわ」
「!」
フガクにホーリーフィールドをかけ続けていたティアに視線が向けられる。
駄目だと思った。
『聖餐の血宴』ではフェルヴァルムと戦えるかもしれないが、フガクとティアを守りながらというわけにはいかない。
だからミユキは、一歩前に足を踏み出した。
ここからできることは、一つしかない。
「ミユキさん……?」
ティアが訝しみ、フガクの視線だけがこちらに向けられる。
ミユキは、一歩一歩、フェルヴァルムの前へと近づいていく。
ドクドクという心臓の音が次第に早まっていく。
背中はぐっしょりと汗で濡れ、恐怖が全身を駆け抜けていく。
かつて与えられた痛みを思い出し、ミユキは泣きながら逃げだしたい思いでいっぱいだった。
だが、逃げない。
そこにはフガクとミユキがいる。
二人は大切な仲間だ。
大事な恋人と、大事な親友とも呼べる相手だ。
そんな二人に、無様な姿は見せられない。
やがてミユキは、フェルヴァルムの前に対峙する。
彼女は口元に笑みを滲ませたまま、ジッとミユキを見つめていた。
「ミユ……キさん……なにを……」
フガクの声が聞こえる。
ミユキはそちらを見下ろし、微笑みを返した。
「……フガクくん。もう、十分です。私のために、戦ってくれてありがとうございます……」
「ミユキさん! 何をするつもり!」
ティアが叫ぶ。
ミユキは振り返り、彼女にも笑顔を向けた。
「ティアちゃん。フガクくんのこと、お願いします」
視線を、フェルヴァルムへと向ける。
最初の彼女は、心優しいシスターだった。
親を失った幼かった自分を助け、育ててくれた母であり、姉だった。
いつしか彼女は自分を殺そうとするようになり、それが途轍もなく恐ろしかったけど、魔王の呪いだと言うのなら少しだけ腑に落ちた。
「ミユキ……あなた」
彼女から逃げるように、ずっと生きてきた。
出会えば、刃を向けられる。
大好きだったシスターに剣を突き付けられるのは、死ぬことよりも恐ろしいことだ。
自分を生かし、育ててくれた恩人が、得体の知れない怪物に変わっていく様を見たくなかった。
だから、逃げた。
長い間戦いの中に身を隠し、その中でティアと出会い、フガクと出会った。
だから、もう逃げない。
彼らを守るためなら、自分の恐怖心なんて、ほんの些末な感情だ。
失うものの大きさは、この命よりも重いのだから。
「フェル、あなたと行きます」
胸の奥に灯った恐怖を、ひとつ息で焼き尽くした。
ミユキの告げた言葉に、その場の誰もが目を見開いた。
フェルヴァルムすらも、その言葉に驚いているようだった。
「ミユキさん馬鹿言わないで!!! 何のためにフガクが……!」
「……ティアちゃんごめんなさい。でも、あなたたちを失いたくありません」
激高するティアに、ミユキはもう一度笑いかける。
ティアはそれ以上何も言えないようだった。
彼女にも分かっているのだ、ここでミユキが取れる選択肢は二つ。
フェルヴァルムに戦いを挑み、フガクとティアを失うか。
自分の身を差し出し、二人の助命を乞うか。
ミユキがどちらを選ぶかなんて、誰の目にも明らかだったのだ。
「そう……じゃあ来なさい」
フェルヴァルムは剣をフガクから離した。
「ミユキさん……どうして……」
フガクがよろよろと、腕で身体を起こし、蹲りながらそう言う。
ミユキは彼の傍に膝をつき、その頬に触れる。
「フガクくん……あなたが好きです……死ぬほど好きです」
涙が自然と零れてくる。
だが彼の顔を見ていると、笑顔も溢れてくるのだ。
だからミユキは泣き笑いながら、血まみれの彼の唇に、自らの唇を押し当てた。
フェルヴァルムと出会った日、彼と初めて口づけをした。
彼と運命を共にする覚悟を示すために。
"もしも自分が君を殺そうとしたときは、君が代わりに自分を殺してほしい"なんて。
そんな言葉を吐こうとしたから。
そんなこと、できるわけないと分かっていたから。
ミユキは、彼の唇を貪るように唇を動かした。
血の味が口の中に広がる。
二度目のキスも、血の味がした。
彼の味だ、覚えておこうと思った。
舌で彼の舌をなぞり、自らの記憶に刻みこんでいく。
柔らかな感触と、脳がしびれるような幸福感で、身体がふわふわと浮き上がるような錯覚さえあった。
これでお別れ。
これが生涯最後のキスでも構わないと、自らに言い聞かせるように。
やがて唇を離すと、二人の間には赤色が混じった銀の橋がかかった。
「……フガクくん、ありがとう」
そしてミユキは立ち上がり、フェルヴァルムの傍らに立つ。
二人が踵を返して歩き出そうとした時だった。
フガクの手が、フェルヴァルムの足首を掴んだ。
「……フガク、もう無理よ。今のあなたでは私には……」
バヂッ!!
「ッ!」
雷が、フェルヴァルムの身体を駆け巡る。
「無理だと言っているでしょう!」
一瞬よろけるフェルヴァルムだったが、すぐに赤い剣で、フガクの手の甲を大地に縫い留めるように突き刺した。
「―――君を必ず迎えに行く……」
フガクは地面に膝をつきながら、ミユキを睨むように見つめる。
「……!」
ミユキはフガクの言葉に、抑えきれないほどの感情が胸の奥から溢れてくるのを感じた。
それは濁流のように目から溢れ、ボトボトと雫となって大地を濡らす。
「だから待ってろフェルヴァルム……お前を絶対に……殺しに行くッ……!」
「……」
フェルヴァルムは口元に未だ笑みを滲ませている。
だが、その意味はこれまでとは少し違う気がした。
ミユキは唇を震わせ、彼のその顔を覚えておこうと懸命に涙を拭った。
「……まだ、死んでない」
「……え?」
フェルヴァルムのポツリとした呟きに、ミユキが思わず聞き返す。
彼女はフガクを見下ろし、フガクはフェルヴァルムに殺意のこもった力強い視線を向けていた。
「いいでしょう、フガク……」
交差する二人の双眸は、言葉は無くとも何かを語り合っているように見えた。
「……シェオルに来なさい」
「!」
フェルヴァルムがフガクに情けをかけた?
いや、そんなわけがない。
これは、最後通告だ。
ミユキは直感的に理解した。
彼らはまだ、”何かを諦めていない”。
それはミユキの運命なのかもしれないし、もっと別の何かかもしれないと思った。
「私にはもう時間が無い。だからミユキをシェオルに”封印”します。それを止めたいと思うなら、ミユキを救いたいと思うなら、フガク……―――」
本当に、あのフェルヴァルムの言葉なのかと、ミユキは言葉が出なかった。
それはまるでかつて自分を救ってくれたシスターのような、遠く幼い記憶に垣間見た、力強く、慈愛に満ちた声だった。
そして、フガクに向けて宣告する。
「――シェオルで、最後の決着をつけましょう」
その言葉に、フガクは力強く頷いた。
「ああ……必ずミユキさんを……返してもらう……!!」
フガクは、フェルヴァルムに敗北した。
これは絶望の底に突き落とされた、運命の終着点。
そのはずだった。
なのに、フガクとフェルヴァルムの間には、約束が生まれた。
宿敵同士で交わされる、最初で最後の約束だ。
ミユキは涙を拭い、フガクにもう一度笑いかける。
自分とっては、これは最後なんかじゃない。
もう一度会うための、再会の約束だった。
「フガクくん……私を助けて」
笑顔で贈ったその言葉に、フガクは小さく頷いた。
そしてミユキは旅に出る。
フェルヴァルムと共に、シェオルに向けた、自らの最期に向けた歩みを進める。
だが、この胸の中にはもう一片たりとも恐怖は無かった。
フガクが来る。来てくれる。
ただその時に想いを馳せて、ミユキはフガクたちに背を向けた。




