第220話 翠眼の死神②
右足の感覚を失ったレオナだが、頭の中は自分でも驚くほどにクリアだった。
おそらく毒の塗られた短剣で斬られたことが原因だ。
同じ短剣で肩も掠めているから、片腕が動かなくなる可能性も高い。
自分のタイムリミットはあとどれくらいだ。
レオナは自らの死が近づくほど、冷静になっていく。
焦れば死ぬ。
それは暗殺者として生きて来た中で、生存本能から自然と身に付いた思考法だった。
暗殺者は、死の瞬間こそもっとも生きる。
(こいつ……思ったよりかなり強い……。こいつを殺すには……どうすればいい)
ドラクロワは毒による攻撃だけでなく、そもそも基本の体術が化け物クラスの脅威だ。
手足のリーチも長く、こちらの心理を読んで先読みまでしてくる。
『翠眼の死神』の名前は伊達じゃない。
「さすがのボクでも、子どもをいたぶるのは趣味じゃないんだよね。もう飽きてきちゃったし、そろそろ終わらせよっか」
眼鏡の奥にある翠の瞳を薄く細め、短剣を手の中でクルクルと回しながら、ゆっくりと近づいてくる。
笑みを浮かべて、獲物を追い詰めるのを楽しむように。
暗殺者界隈でこの手合いはたまにいるが、そういう奴は大体早死にするか、サイコパスを気取って自分に酔っているのが大半だ。
だが、こいつは違う。
本当に世間話の感覚で死を弄ぶ。
筋金入りの殺し屋だ
「大丈夫大丈夫。運が良ければ助かるから」
「何を……言ってんの」
ケラケラと、慰みのようにそう言う。
殺す気が無い? 言動が支離滅裂にも程がある。
こいつは先ほど村人に使った薬の300倍の劇薬を撒き散らしていたのだ。
本当に、死のうが生きようがどっちでもいいということなのか。
レオナは何をするつもりなのか、近づいてくるドラクロワの動きを観察する。
「さっきボク言ったじゃない。セレスティアに贈り物をするって」
「アタシの首なんかティアは喜ばないし、別に悲しみもしやしないと思うけど」
レオナは、あえて起き上がらない。
相手も突然飛び起きてくる可能性は想定しているだろうが、この体勢の方が何をしでかしてくるか分からないので警戒心を煽れる。
自分はどんな体勢からでもナイフを繰り出せるし、どのみち白兵でこいつと渡り合うのは、この身体の状態ではもう無理だ。
隙をつき、『閃紅鮮花』で全弾ブチ込む以外に勝ちの目はない。
「そうだね。人間死んだら生ゴミだ。土に埋めて、いい感じのお別れの言葉を添えて"はいさようなら"。それじゃつまらないでしょ」
一歩、また一歩と近づいてくる。
レオナは相手に気取られぬよう、”その瞬間”を探る。
あと2歩以内に、こいつを殺す。
「ボクも君を殺すことに価値は感じてない」
「へえ……じゃあどうすんの」
「君には」
ドラクロワが一歩足を上げて踏み込もうとした瞬間。
レオナは片足で跳躍し、宙返りのように舞う。
世界が一瞬音を失い、自分の心臓の鼓動だけが、耳の奥で鳴っている。
ドラクロワは驚きの表情を浮かべた。
「死ねよ変態眼鏡……!! 『閃紅鮮花』!!!!」
本来は両手で全ナイフを引き抜くが、この距離なら半分でも殺し切れる。
そう踏んだレオナは、ナイフの雨をドラクロワに叩きつけた。
真っすぐに、人間のありとあらゆる急所を穿つために放たれる悪夢の弾丸。
この距離で、数十本のナイフをかわしきることなど、ミユキにだってできはしない。
「うっ……!!」
ドラクロワは腕で顔や心臓を庇い、その攻撃を受け止める。
ドラクロワの腕、脚、肩、腹、全てにナイフが突き刺さっていく。
レオナは上手く着地できずに地面に横たわる。
そして、ドラクロワがその体勢でこちら”向かってくること”に驚愕した。
「なっ……!?」
これだけのナイフを刺されればまともに動くこともままならないだろう。
失血と、神経や筋肉の断裂の痛みに悶絶してもおかしくないはずだ。
急所への一撃は免れたようだが、身体の状態は今の自分と大差なくなった。
それがレオナの見立てだった。
「でさ、話の続きなんだけど」
にも関わらず、気軽な調子で平然と、ドラクロワは歩いてくる。
すぐに身体を起こさなければ、そう思うのに、もう右腕も麻痺して動かない。
そしてドラクロワは眼前に立ち、ニヤケ面でこちらを見下ろしている。
「どういう……こと」
「あ、これ? ボクが言うのも何だけど、毒は薬でもあるし、本当の意味で人を殺すための毒なんて、実はそんなに無いんだよね。今ボクは、痛みを感じないだけ。まあ体にナイフが刺さる感触は最悪だし、今晩はベッドでのたうち回ることになるんだろうけど」
身体に痛みを麻痺させる毒が回っているということだろうか。
レオナは目を見開き、もはや打つ手がないことに歯噛みした。
ドラクロワは、口角を吊り上げ楽しそうに告げる。
「君に、夢の世界を贈ろう」
そしてドラクロワは、ポケットからまた一本のガラスのアンプルを取り出した。
「何をする気……?」
レオナの呟きと同時に、ドラクロワがその瓶をレオナの眼前に落とす。
割れたガラスから、無色透明の気体があふれ出て来た。
ああ、駄目だ……。視界が滲み、世界が遠ざかる。
レオナは己の意識が薄れていくのを感じた。
先ほどと同じ毒なのかは知らないが、意識を奪う類のものであるのは間違いない。
「それじゃ、おやすみレオナちゃん。君はこれから、セレスティアの足枷になってもらうよ」
ドラクロワの笑みが脳裏に焼き付き、ティアの姿を思い浮かべる。
「ティア、逃げろ」と叫びたいのに。
レオナの意識は黒く塗りつぶされていった。
「……っと」
すると、ふらりとドラクロワも膝を折る。
ドサリと、その場に尻もちをつくのが見えた。
「はは、ボクの身体もギリギリだったみたい。じゃあね、レオナちゃん。目が覚めたときまだみんな生きてたら、また遊ぼうね」
死神の微笑と翡翠の瞳の輝きが、レオナの見た最後の光景だった。
レオナは心の中で最後まで一つの言葉を握りしめる。
――目が覚めて生きてたら、こいつを殺す。
死神とのダンスは、そこで終わりを迎えた。




