第205話 魔王と勇者と聖女の狂詩曲<ラプソディア>②
それから1ヶ月後。
魔王は光龍祭の開催初日、開幕の挨拶のためにウィルブロードの町『アウリフェリア』を訪れていた。
ここは聖女アウラ生誕の地として観光地ともなっており、アウラが聖女となってから『アウリフェリア』と名を変えたのだ。
聖女アウラはウィルブロードの”巫女”で、聖庁のトップとして国内外でも大きな影響力を持っている。
特にここアウリフェリアにおいては英雄として称えられ、多くの人々が彼女を慕っているようだった。
「ネメシス様、素敵なご挨拶でした」
開幕のスピーチを行い、ガシュラ、メルと共に室内に戻って来た魔王。
それを、アウラがにこやかに出迎える。
部屋の隅にはガスパールも控えていた。
メインの催しものなどが行われる中央広場は人でごった返し、その広場を見下ろせる老舗宿の2階が、魔王の控室だった。
広場には人間だけでなく、魔族の兵士や商人などが数は少ないが参列しており、互いに物珍しそうに交流が進んでいる。
「盛況で何よりだ、アウラよ」
魔王は宿の中からシェオルとは違う透き通る青い空を仰ぎ、太陽の眩しさに目を細める。
静謐な空気と、活気のある雰囲気は、シェオルとは全く異なるものだった。
人間は魔族よりも寿命が短い。
だからこそ、人々の営みは滾るように熱く、老いてもなお生命の輝きが感じられる。
彼らの生きる様は、きっと魔族たちにも新たな価値観を与えてくれるだろう。
魔王はそう思いながら、静かに微笑み階下を見下ろした。
「魔王様……窓のお側は……」
メルがそう嗜め、魔王は肩をすくめて室内に引っ込んだ。
ガシュラがそっと壁に寄り、窓の外を確認する。
「ガシュラ、不審な点は?」
「……見たところ、問題はない。が、人が多すぎるな」
「メルさん、ガシュラさん、どうかしたんですか?」
メルが魔王の”凶兆”を見て以来、二人はずっとこんな調子だ。
二人の剣呑な雰囲気に、アウラが訝しむ。
「案ずることは無い。私は十数年ぶりにステラへ出たからな、警戒しているのだ」
魔王は自らの死の予言など、アウラや人間たちに伝える必要はないと思っていた。
悠然と椅子に腰かけて、アウラに余裕の笑みを見せてやる。
魔王になる前はもう少し自由にステラに赴いたものだが、窮屈になったものだとうそぶいた。
大体、殺すならば先ほど衆目の前に出たときは大チャンスだったはずだ。
魔法もあれば弩もある。
人混みに紛れれば逃げることもできるだろう。
あえてタイミングを外して油断を誘っている可能性もあるが、不思議と魔王は死の予感を感じていなかった。
「魔王よ、刺客でも放たれたか?」
すると、今まで黙っていたガスパールが、部屋の隅から声をかけた。
ガシュラもジッとガスパールを見据えている。
彼らはこれまで剣を交えており、既に顔見知りどころか殺し合った仲だ。
互いに警戒しながらも、こんなところで馬鹿な真似はすまいという不思議な信頼関係も感じられた。
「刺客など、私が魔王になったときから放たれている。アウラ、お前こそ狙われているのではあるまいな?」
「うーん、どうでしょう。私あんまりそういうの無くって」
ガスパールがギョッとした顔をしているので、そんなことはないようだ。
肝が据わっているのか、能天気なのか。あるいはその両方かもしれないが。
まあそれくらいの方がいい。
「今日はあの豪胆な女魔法使いはいないのだな」
キンキンと甲高い声で不遜な言葉を吐き散らす魔法使いアリシアを思い出す。
メルとは完全に犬猿の仲になっているので、いたらうるさそうだと内心苦笑した。
「アリシアですか? 彼女は今日は勇者と一緒に町の警備にあたってくれています」
「勇者も来ているのか」
「はい。でも、王からの別命で間もなくここを発つんですけど」
魔王は勇者を一目見ておきたいと思ったが、どうやら無理そうだ。
「あ、そうだネメシス様。さっき祭の屋台で色々と食べる物を買ってきたんですけど、よかったら一緒にどうですか?」
そう言うと、アウラはテーブルの上に串焼きやら焼き菓子やらを並べ始めた。
買ってきたばかりのようで、湯気が立ち香ばしい匂いや甘い香りが漂っている。
「ほう、見たことの無いものばかりだ」
魔王も興味深げにそれを覗き見る。
「お待ちください魔王様。メルが毒見をいたしますので」
「えー、毒なんか入ってませんよ」
「貴女が入れるとは思っていません。大体、ご自身も毒見が必要な身だということをお忘れなく」
メルの言葉に、アウラは驚いたようだった。
「貴方が入れるとは思っていない」というのは、アウラに対する信頼の言葉だ。
メルもこの2ヶ月程度の付き合いの中で、アウラという女について少し分かってきたらしい。
結局、毒は一切入っていなかった。
毒見の際辛い香辛料が利いた食べ物にメルは顔を真っ赤にさせており、それを笑いつつ魔王も屋台の食事に舌鼓を打った。
外から聞こえてくる祭の喧騒は、魔族と人間の繁栄を祝福するかのような賑やかさで、その日は多少の小競り合いはあれど平和に1日が過ぎていった。
魔王も遅くまでウィルブロードの王や他国の使者と語り合い、交流を深めた。
そして、翌日。
魔王とアウラは二人、アウリフェリアの町が見渡せる丘の上、魔族との戦いで散った兵士たちの慰霊碑を訪れた。
小高い丘の上には巨大な石碑が立てられており、そこに旅立った者達の名が無数に刻まれている。
周囲には、遺体が埋葬された墓標がいくつも並んでいた。
北の大地の冷たい風が頬を撫で、魔王とアウラは高さ数メートルはあろうかという黒い石柱を見上げる。
「この石碑には、ウィルブロードの兵の名が刻まれておるのか?」
「いえ……ウェルギリウスの麓、人類の最前線で戦った者達の名前です」
地獄の門からあふれ出る魔族が率いる魔獣の軍団に、抗い死んでいった者達の魂を鎮めるための石碑のようだ。
ウィルブロードの北部は、魔族と人間との戦いの爪痕がそこかしこに残っている。
朽ち果てた村の痕、大地に討ち捨てられたままの錆びた鎧や剣。
どちらの軍のものとも分からぬ死体は土へと還り、踏み荒らされた大地はそこかしこクレーターのような跡もあった。
「そうか……この石碑に刻まれる名が、これ以上増えぬ世界を作らねばならんな」
「はい……必ず」
二人の髪を揺らす風が、ウィルブロードの蒼穹へと舞い上がっていく。
傍らで辺りを警戒するガスパール、ガシュラ、メルと、多くの兵達が周囲に展開している。
「我が『テネブリス・フォートレス』にも、歴代の魔王の魂を鎮める霊廟がある。機会があれば、お前も来るがいい」
「ぜひ、祈りを捧げに参ります。私のお祈り、実は結構ありがたいって評判なんですよー」
「ふ、かつての魔王が聖女に鎮魂を祈られるとは、驚きすぎて目を覚ますやもしれんな」
そう笑いながら、二人は踵を返して慰霊碑を後にした。
両側に墓標が立ち並ぶ石畳の上を歩いていく。
ふと、墓石を見た時、魔王は奇妙な違和感を感じた。
墓標の下には、遺骨を埋める石棺があり、石蓋で閉じられている。
一度閉めれば開けられることは、墓荒らしでもなければまず無いだろう。
しかし、明らかに――石蓋を動かした後があった。
「敵だガシュラ!」
そして魔王が声を荒げる。
ガンッ!!!
周囲の石蓋が10個以上、上空高く舞い上がり、そこから人影が躍り出た。
外套で顔も体も分からないが、全員弩を持っている。
魔王の叫びと同時に駆け出していたガシュラとガスパール。
だが、全員の処理はできない。
ガシュラもガスパールも、相手が何者であるかを確認する前に既に一人ずつ斬り捨てた。
しかし、まだ10人近く、弩を構えた刺客が宙からこちらを狙っている。
まさか遺骨を納める石棺の中に刺客が忍んでいるとは。
辺りからも兵たちが駆けてくるが、間に合わない。
一斉に放たれる弓。
魔王を庇おうとメルが飛び込んでくるが、魔王は手で彼女を突き飛ばしてそれを許さなかった。
狙いは――どちらだ?
聖女か、魔王(自分)か。あるいは両方か。
一瞬チラリとアウラに視線を向けたのは、果たして正しかったのか。
あるいは視認する前に周囲の全てを焼き尽くすべきだったのではないか。
だが、周囲には兵もいる。
魔王は一瞬の判断を誤ったと自覚した。
そこには、魔王を突き飛ばさんと飛び掛かってくるアウラの姿があった。
「アウラ……!」
「魔王様……!!」
魔王は衝撃と共にバランスを崩し、近くの墓標に手をつき倒れる。
そこに、メルが間髪入れずに魔王を庇うように覆いかぶさった。
「アウラァアアアアアッッ……!!!」
ガスパールの怒号のような叫びが聞こえ、周囲の刺客を既にガシュラが最後の一人斬り捨てたところだった。
「どけメル!!!」
「いけません魔王様っ……!」
魔王はすぐさま立ち上がり、近くで倒れるアウラの元へと駆け寄り、彼女を抱き起こす。
彼女の豊かな胸元、心臓の位置には、深々と鋭い矢が突き刺さっていた。
「聖女アウラ……! すぐに傷を治せ!」
魔王は叫び、アウラは口から一筋血を流す。
アウラは、虚ろな目をしながら魔王の頬に、慈しむようにそっと手を触れた。
だが聖女には回復魔法があるはずだ。
魔王は一縷の望みに賭けてそう声を荒げた。
「……ネメシス様……」
「何故だ! 何故私を庇った!」
あの弩は脅威ではあったが、魔王を絶命できたかは分からない。
アウラが庇わずとも、場は制圧できたかもしれないのだ。
アウラは当然そんなこと知る由もないが、自らの命をそんなに簡単に投げ出す必要は無かったのだ。
「未来には……貴女は必要な人……」
アウラは呻くように、囁くようにそう声を紡ぎ、やがて瞳からは光が失われていく。
「アウラ……! いいから癒しの力を使え!」
「いつか……未来に……」
最後まで言い切ることなく、アウラは瞳を閉じた。
魔王は奥歯を噛む。
いくら呼びかけても、身体を揺らしても、もうアウラは目を開けることは無かった。
メルも、ガシュラも、ガスパールも、周囲の兵たちも、魔王が聖女の身体に縋りつく様を黙って見つめていた。
――この日、聖女アウラが死んだ。




