第203話 情欲の黒薔薇②
ティアはフレジェトンタの町を一頻り案内してもらった後、エフレムに屋敷の中庭を見せてもらっていた。
色とりどりの薔薇が咲く庭園はエリエゼルのお気に入りで、日々庭師が丁寧に手入れを行っている、屋敷自慢の一角だそうだ。
確かに美しく選定された薔薇と、均一に切り揃えられた芝や石畳など、見事な庭だと感じた。
レオナはやや退屈そうだったが、フガクが戻ってくるまでは大してやることも無いし、町に自分たちだけで出るのは少し不安があったので仕方ない。
そんな時だ。
「ん?」
レオナが、ちょうどミユキ達が"お茶をしている"と言っていたテラスを見上げる。
ギィィイイイイイン……!!!!
甲高い金属音を木霊させながら、エリエゼルとミユキがテラスから飛び降りてきた。
エリエゼルは双剣でミユキの大剣を受け流し、ヒラリと身を翻してミユキの頬を刃の切っ先で刻む。
「ええっ!?」
ティアは驚愕した。
先ほどまで穏やかにお茶をしに向かった二人が今、真剣を手に斬り合っているのだから。
「何!? え、何!?」
「お姉様……!?」
レオナとエフレムもさすがに驚きを隠せないようだ。
尋常ではない気配が立ち込める。
二人は中庭に着地すると、間髪入れずに互いに向けて駆け出した。
だが、ティアが目視できたのはミユキだけだ。
エリエゼルは、気が付くと烈風が通り抜けるようにスルリとミユキに肉薄し、彼女に向かって2本の剣を薙ぐ。
ミユキはそれをかろうじてかわし、大剣で受け止めながらエリエゼルの腹に蹴りを叩きこんだ。
「ぐっ……!」
華奢なエリエゼルは呻き声を挙げ、口から血を吐く。
だが、その表情は悦に入っているとでもいうのか、目が蕩けて嬉しそうに見えた。
そして彼女は、再びティアの視界から消え失せると、ミユキの背後に表れて彼女の背中を斬り付ける。
「っ!」
続けざまに、低く身を屈めたエリエゼルの刃はミユキの胸と太ももを切り裂いた。
血が飛び散る中でも、エリエゼルにそれが一滴として吹きかかることはない。
ミユキは痛みに顔をしかめながら、かろうじて致命傷を避けている印象だ。
「あの二人何やってんの!?」
「しかも……あんなにミユキさんが斬られるなんて」
フガクほどではないが、ミユキもクエストの度にそれなりに傷を負う。
彼女は自ら身体を張って強敵を引き受けるためだが、エリエゼルもその類の相手だ。
いや、むしろエリエゼルの剣戟を、ミユキはかわすことすら諦めているような印象を受けた。
致命傷だけをどうにか避け、自らが倒れる前に相手を倒す、そんなギリギリの駆け引きを行っているように見える。
「ミユキさん! わたくし、とっても楽しいですわ!」
「私は……楽しくありませんっ!」
ミユキの大剣による暴風のような一撃を、花弁が舞うようにかわして切っ先でミユキを刻んでいくエリエゼル。
陶酔したような表情で、ミユキの強さを全身で味わっているという感じだった。
「あらそう? でもわたくしの刃は、否応なくあなたを切り裂いてよ……!」
エリエゼルは茨が絡みつくように、ミユキの周囲を舞うが如くつかず離れずを繰り返し、刃で白い肌に線を引いていく。
ミユキはその剣の舞を捉えることができず、苦戦を強いられていた。
だが、やられっぱなしでいる程彼女も弱くはない。
ミユキは刃が皮膚に当たる瞬間、わずかばかりエリエゼルの速度が落ちるのを見逃さない。
エリエゼルの手首を強く掴み、その脇腹に渾身の蹴りを叩き込んだ。
「ガッ……はっ……!」
エリエゼルは苦悶の表情を挙げて血を吐き出しても、決して止まることは無い。
踊り狂う人形のように、自らの鮮血を薔薇園にまき散らしながらミユキの首筋を真一文字に切り裂いた。
深く血管を斬られたのか、ドクドクと血が溢れる傷口をミユキは左手で押さえながら、大剣を横に薙ぐ。
それをヒラリと交わして、エリエゼルはミユキと距離を取った。
彼我の距離は15m。
どちらも瞬き一つの間に相手を切り裂く間合いだった。
「本当に素敵……わたくしこんなに身体が痛いのは久しぶりだわ。貴女に本気で蹴られたら、わたくし絶命は免れませんわね」
心底嬉しそうにエリエゼルは言った。
「……じゃあもう辞めたらいかがです」
それを心底嫌そうに返すミユキ。
ボトボトと大地に垂れ流される血が痛々しい。
二人の会話を茫然と見守るティア。
ふと見ると、エフレムがいなくなっていた。
だが今は構っていられない。
ティアは、ミユキの首の傷が決して浅くないのが見て取れた。
「ミユキさん! 何やってるの? 何でエリエゼル様と斬り合いなんか……」
「ティア様、わたくしがお願いしたのよ。わたくしどうしても我慢できなくって……"貴女方を斬る"と言ったら、ミユキさんは快く応じてくれたわ」
ティアは、エリエゼルのその表情に戦慄を覚えた。
彼女には、何の殺意も無いし、ミユキへの敵意もない。
本当に、斬り合うことが目的なのだ。
親しい友人と食事をするように、愛しい恋人と抱き合うように、エリエゼルは感情表現の一つとして相手を斬る。
何でそんなことを?と思ったが、今はそれどころではないと切り替えた。
彼女たちを止めなくては、ミユキの出血量は冗談では済まない。
「ミユキ……アタシも加勢しようか」
「……いえ。多分、レオナでは無理です」
「ちっ……だろうね」
ミユキがそこまで断言するのも珍しいことだ。
それだけエリエゼルが尋常ではないということ。
ミユキの言葉に、レオナも自覚があったのか押し黙る。
加勢に入ったところで、すぐに切り刻まれて地面に転がるのがオチだと思ったのだろう。
それほどまでに、エリエゼルの力は圧倒的だった。
「じゃあ、もう一回しましょう」
まるで睦言のように、エリエゼルは囁きと共にミユキの右側に現れて二刀を振りかざす。
ミユキは目を見開き、身体を急速に捩じって大剣の腹でその刃を受け止めた。
キィィイイイン!という高い音が響き渡り、ティアは思わず顔をしかめた。
止めると言ったって、どう止める?
レオナすら迂闊に入れないような闘争の渦中に、自分なんかが入り込めるわけがないだろうと思った。
「何がそんなに楽しいんですか!」
大剣では相性が悪すぎると踏んだのか、ミユキはそれをもはや盾として扱っていた。
エリエゼルの花びらのような舞は、蝶のようにヒラリとかわしてしまう。
「わたくしは美しいものが好き。そして、命が生と死の狭間で煌めく瞬間こそ、この世で最も美しい光景です!」
ミユキの叫ぶような問いに、エリエゼルは狂気を孕んだ瞳を輝かせながらそう答えた。
ただ無垢な少女のように、どうか分かって欲しいと願うかのように。
「お願いですから会話をしてください!」
だが、当然ティアに、そしてミユキにもきっとそんなことが理解できるはずもない。
ミユキはエリエゼルの剣を紙一重で交わしつつも、流れ出る数多の血液が徐々に動きを鈍らせる。
ティアはミユキの白い肌に新しい赤が刻まれるたび、心臓が冷たい手で握りつぶされるように締め付けられた。
同時に、冷静にエリエゼルの戦い方を分析する。
本人が意識しているかは知らないが、エリエゼルの戦法は意外にシンプルだ。
何度も何度も斬り刻み、相手に血を流させることに徹する。
人間は血液を失えば死ぬのだ。
その絶対のルールに沿い、剣の切っ先を相手に幾度となく押し当てていくその戦い方は、まさに剣の舞姫だ。
華奢で小柄、力も弱いが、エリエゼルにはその常軌を逸した速度としなやかな肉体がある。
彼女は本当に人間なのかと疑いたくなるほどの敏捷性。
アルカンフェルやヴァルターのような、練り上げられた戦士とはまた違うベクトルでの強さ。
天性の肉体だけで殺戮をやってのける、まさに天才だ。
ただそこを通り抜けるだけで、刃が全てを切り裂いていく。
ティアは、夥しい量の血を流すミユキにこれ以上戦わせるのはまずいと、レオナと目くばせし合って無理やりにでも乱入するしかないと思った。
ただ、飛び込めば自分も薔薇の花弁のように斬り刻まれると、理屈抜きで悟ってしまう。
血飛沫を浴びる薔薇園を見つめることしかできない焦燥を感じた。
「さあ! わたくしに貴女の閃く様を見せてくださいな!」
エリエゼルがミユキに肉薄して刃で皮膚を撫でようとした瞬間のできごとだ。
ミユキは一歩前に飛び出て、エリエゼルとゼロ距離に密着する。
「……私は! もう結構ですっ!」
そして、ミユキはエリエゼルの身体を抱きしめて、地面に押し倒した。
「っ!」
エリエゼルは咄嗟のできごとに一瞬虚を突かれたような表情になったが、すぐに微笑を滲ませて刃を逆手に持ち替える。
ミユキの首に白刃を押し当てるが、ミユキは肩を振り上げてそれを振り払った。
エリエゼルに馬乗りになり、ミユキは拳を握りこんで顔面を思いきり殴りつける。
「ふぐっ……!!」
鼻っ面を砕くような膂力で殴られ、くぐもったエリエゼルの声が聞こえたが、彼女の目は細められている。
エリエゼルの整った鼻から血が噴き出し、近くにあった白い薔薇の花びらを赤く染めあげた。
ミユキも、さすがにエリエゼルの顔を砕いて殺す決心は持てなかったようだ。
エリエゼルはスルリとミユキの身体の下から抜け出ると、再び飛び出そうとする。
その瞬間だった。
「お姉様! お待ちください!!」
ドッッ!!
二人の間に、金色の槍ブリューナクが突き立てられた。
飛んできた方向を見ると、エフレムが赤い鬣のマンティコア・デュランに騎乗してこちらに駆けてくるところだ。
「エフレム! デュランを取りに行ってたの?」
「お姉様はデュラン無しでは止められませんし、逃げられません」
最悪逃げるつもりかと呆れるティアだったが、エリエゼルはエフレムを見つめている。
「エフレム……わたくしの楽しみを邪魔するつもり?」
エリエゼルは血だらけの顔で口元に微笑を滲ませてはいるが、その目はエフレムを射殺さんばかりに鋭く細められていた。
思わずたじろぐエフレムだが、ギュッと唇を引き結ぶ。
「さすがに屋敷で死人を出すわけには参りませんし、お姉様のお気に入りの薔薇園に被害も出るところです。刃をお納めください」
「……」
エリエゼルは無言で妹を圧するが、エフレムもデュランの上から姉を真っすぐに見つめ返す。
デュランはグルルと喉を鳴らし、エリエゼルを主の敵と認識するか少し迷っているように見えた。
「レオナ……今の内にミユキさんのところへ」
「よしきた……」
エフレムとエリエゼルが対峙しているうちに、レオナとティアは素早くミユキのもとへと駆けていく。
「ミユキさん、首を……!」
「ええ……すみません」
左手で血を流し続けるミユキに、ティアがすぐにヒーリングをかけていく。
その光景を見てエリエゼルはため息をつき、ようやく剣を鞘に納めた。
「……興覚めですわね。エフレム、後でわたくしの部屋にいらっしゃい」
「うぐっ……! は、はい……」
エフレムはビクリと肩を跳ね上げ、泣きそうな顔になっている。
デュランも心配そうにクゥーンと喉を鳴らした。
ティアはあとでエフレムを絶対労ってやろうと思った。
それはさておき、ミユキの傷は深い。
全身の刻まれた痕はかろうじて塞がりそうだが、首の傷はヒーリングだけでは無理だろう。
「エリエゼル様……お医者様を手配することは?」
「……そうですわね。シエラ!」
エリエゼルは、懐から取り出したハンカチで鼻血や口元の血を拭いながら、テラスからこちらを見下ろしていたシエラに呼びかける。
「はい! 既にお呼びしております!」
シエラは大きな声でそう応えた。
「ミユキさん。ありがとうございます」
「ええ……?」
ミユキは突如エリエゼルからお礼を言われ、もう何が何やらと言いたげに唸り声をあげた。
エリエゼルは先ほどまで殺そうとしていた相手に、慈しむような笑顔を向ける。
「貴女は、わたくしが見た中で最も美しい人。まるで荒れ狂う嵐、爆ぜる火山のようですのね。天災と戦うのはわたくしの流儀とは少し違うけれど、やはり貴女の強さはとっても魅力的」
エリエゼルはスッキリしたような面持ちでそう言っている。
ティアはミユキの治療をしながら語られるその言葉に、エリエゼルにも美学のようなものがあると知った。
彼女はまさしく狂人であるが、己の美学と矜持に忠実に生きているのだとすれば、理解できなくもないと思ってしまった。
なぜならそれは、復讐という生き方を選んだ自分と、そう大差ないと感じたから
「お姉ちゃんはなんでそんな人を斬るのが好きなの?」
レオナですら呆れたようにそう言う。
さっき命の煌めきがどうとか言っていたが、もう少し人に分かる言葉で説明して欲しいとは、確かに思う。
その言葉に、エリエゼルは楚々とした淑女の笑みに切り替わった。
平時と戦闘時のギャップがあり過ぎると、ティアは身震いする。
「お嬢さん、わたくしは人を斬るのが好きなのではありません。斬り合うのが好きなのです」
「どう違うんですかそれ……」
ミユキもため息をつきながらツッコミを入れている。
ティアも全く同感だった。
「……命を育むことは、生命の本能です。わたくしは、たまたまそれとは真逆の人間に産まれてしまっただけ。だけど、生命は本能を解き放つからこそ美しく輝くもの。わたくしは……ただ美しく在りたいの」
つまり、本能的な欲求、生命活動として斬り合っているというのか。
理解できなくて当然だ。
価値観がまるで違い過ぎる。
息を呑むティアやレオナに、エリエゼルは少し寂しそうに笑みを浮かべた。
「あなたも、深い業を背負っているんですね」
ミユキは、エリエゼルを憐れむようにそう言った。
彼女の中では、少し腑に落ちた部分もあったのかもしれない。
剣を交えた者同士でしか、いや生と死の狭間で斬り合った者同士にしか分からない何かがあるのだと思った。
エリエゼルはミユキの言葉に笑みを返し、屋敷の方へと歩いていく。
「……ミユキさん。然るべきときに、真の命の奪い合いをいたしましょうね。わたくしも、本気の貴女と戦いたいわ」
そう言い残し、エリエゼルは屋敷へと戻っていった。
ティアは、その願いにも似たエリエゼルの呟きに、彼女の渇きを満たせる相手など現れるのかと不安になった。
それはミユキであるのかもしれないし、もっと分かり合える誰かなのかもしれない。
だが少なくとも、全力のエリエゼルと戦う日など、お願いだから来ないで欲しいと思うのだった。




