第202話 情欲の黒薔薇①
ミユキは今、屋敷2階のテラスにて、エリエゼルとティータイムをしているところだった。
薔薇が咲く庭園が見渡せるそのテラスで、二人は向かい合って座っている。
「そう……ミユキさんは、フガクさんと恋人でいらっしゃるのね」
大輪の薔薇が咲き乱れる、美と毒とを同居させたようなその光景は、まるでテラスに座すエリエゼルそのもののようだった。
花々の奥で隠れる棘があるように、彼女の笑みもまた、刺し傷の予兆を秘めている。
「ええ……ほんの最近からですが」
ガラス張りの扉の前にはシエラが控えているが、ほぼ二人きりの状況にミユキは緊張を感じていた。
優雅に紅茶を飲むエリエゼルの姿は、一見すると何のことは無い淑女のティータイムだ。
だが、彼女の視線はずっとミユキの全身を上から下まで確かめるように這っており、正直良い気分はしなかった。
何を確認されているのだろうか。
ミユキも温かい紅茶を口に含み、その深い味わいに感動する余裕もなく、この時間が早く過ぎ去ってくれることを望んでいた。
フガクの状態も気にかかることだし。
「ミユキさん、貴女のお噂はかねがね伺っておりますわ」
「まあ……どんな噂でしょう」
ミユキはとぼけるように笑みを浮かべる。
言われずとも分かっているし、この後に来そうな話の展開も分かる。
だが、それに気づいてしまえばもうそこに辿りつくしかなくなってしまうのだ。
ミユキは自らの内心を悟られぬよう、努めて平静を装った。
ただ、カップの中の紅茶の水面が、静かに揺れているの。
「『人喰い』と、そう呼ばれていらっしゃるそうね」
「……大げさなあだ名ですよね。私、人を食べたことなんてありませんよ」
エリエゼルの右目が、嬉しそうに、獲物を目の前にした猛禽類のように細められた。
猛禽類が獲物を前に笑顔を浮かべるかはともかく、狩りの寸前のような雰囲気だ。
ミユキは、できるだけ明るく和やかな雰囲気にしようと頑張ってみる。
「ふふ、面白い方……ますます素敵」
エリエゼルが艶めかしく笑い、ミユキも額に汗を浮かべながら微笑んだ。
戦場で剣を抜く直前のような胸のざわめきと、羽音もなく落下してくる猛禽の圧で押しつぶされそうだ。
(私、食べられるんでしょうか……)
そんな一抹の恐怖心も芽生えつつ、ミユキはエリエゼルが何をどうしたいのか、意外と最後の1歩は踏み込んでこないなと思った。
舌なめずりをしながら慎重に食べごろを見極められているような感覚に陥った。
「エリエゼルさんは、ロングフェローの軍ではどのようなお立場なんですか?」
何とか自分の話題から逸らそうと、ミユキは話を振ってみる。
「わたくしは、ロングフェロー王国の機動部隊の長ですわ……そうね、遊撃隊のようなものかしら」
「なるほど……普段はフレジェトンタに?」
何やら大仰な役職だが、こんなところで優雅にお茶をしていていいのだろうかとミユキは思った。
王都にいたヴァルターやゼクス、シュルトなどの騎士たちは皆忙しそうだったのを思い出す。
「ええ、わたくしは特務将校ですから、平時はあまりやることがありませんの。月に2度ほど王都で訓練教官をしたり、騎士団のお仕事をお手伝いしたりといった程度ですわね」
「では、普段はこちらのお屋敷で鍛錬などを?」
「そうね、公爵がいらっしゃらないからその代わりを少々。あとは兵に剣術の指南といったところかしら。機動部隊なんて聞こえはいいけれど、部隊にはわたくし一人だから」
そんな仕事があるのかと思ったが、それだけエリエゼルが国内でも特別視されていることの裏返しなのだろう。
しかも、一人だけの遊撃隊というのは、ミユキはかえって恐ろしいと思った。
それは、部隊が”一人だけで成立する”ということなのだから。
エリエゼルが軍属の騎士なのに、割と暇で優雅な生活を送っていることが分かった。
さすがは公爵令嬢といった印象だ。
「わたくしは、貴女のことが知りたいわ。ヴァルター様は”受け”の達人、守りに入ったあの方を斬るのは、わたくしでも骨の折れる作業です。一体どのようにお斬りになったの?」
「お斬りになる」なんて言葉一生言うことないだろうなと思いつつ、ミユキは答えに詰まる。
斬るというより殴って倒した感じなのだが、上手く説明できない。
語彙力に自信の無いミユキは、「びゃッ!と避けてガッ!と心臓殴りつけました!」としか言いようがないのだ。
こういうとき、フガクやティアの豊富な語彙力から繰り出されるツッコミが羨ましいと思った。
「そうですね……ある程度斬られるのは受け入れるしかなく……あ、でもヴァルターさんの剣の刃を握って受け止めたのは驚かれていたので、それが隙だったと言えばそうかもしれません」
ミユキはヴァルターがこれまでに戦ってきた相手のどれとも違う、定石からは完全に外れた暴力的な戦闘によって彼を降した。
まともに剣術でやり合えば勝ち目が無いと、早々に切り替えられたのがよかったのかもしれない。
「握った? 刃を?」
「ええ。ちょっと切れましたけど、刃を引かれなければギリギリ大丈夫かなと思ったので。でもすごく痛かったのでもうやりたくないです」
ミユキは、ともすれば指が全部飛ぶような紙一重の防御を、その痛みを思い出しながら語った。
エリエゼルは、目を輝かせて話を聞いてくれている。
「素晴らしいわ。わたくしにはとても真似できないお話です。それで? 貴女はヴァルター様をそのまま?」
斬ったのかと訊かれた。
ミユキは首を横に振る。
「いえ、ヴァルターさんに受けられそうな気がしたので、剣を投げてそのまま心臓を叩きました」
「拳で?」
「ええ……はい」
ミユキは、「しまった」と思った。
あまりエリエゼルが興味を持ちそうなことを言わない方がいいのに。
「ああ……わたくしもう我慢できません。ねえミユキさん」
エリエゼルは恍惚とした表情で、ミユキに甘えるような笑みを浮かべた。
普段清廉な女性の蕩けた表情は、ミユキであっても思わず頬を赤らめるほどドキリとするが、話の内容が内容だ。
その次に飛び出てくる言葉が何であるか、ハラハラしながら続きを待つ。
「は、はい……」
その声音は、黒薔薇の花弁が開くときに零す甘い香りのように、抗えぬ誘惑を孕んでいた。
しかし同時に、その花弁の奥に隠された棘が、触れた瞬間に血を吸うのだと分かってしまう。
「わたくしと、斬り合って」
まるで愛の告白だった。
エリエゼルの隻眼は透き通るほど純粋で、恋に落ちた女性のような熱と、新しい玩具をもらった子どものような輝きが同居している。
そこには殺意も、害意も、ましてや憎しみも無い。
あるのはただ、「あなたと斬り合いたい」という、エリエゼルの無垢な欲望だけだ。
「……その提案は、お受けいたしかねます……」
当然断る。
まるでお茶に誘うような気軽さで、エリエゼルはミユキとの斬り合いを望む。
ミユキの回答に、エリエゼルは笑みを崩さない。
「そう……残念」
エリエゼルは目を伏せ、長いまつ毛が見えた。
心底残念そうな顔をしているが、それでも口元に微笑を称えたままだ。
「……貴女のお仲間を斬れば、少しはやる気になってくださる?」
上目遣いで小首を傾げる仕草で告げられたエリエゼルの言葉に、ミユキのカップを持つ手に力が込められ、ピシリとヒビが入った。
「……私がそれを、許すとでも?」
ミユキの目に、わずかばかりの敵意が宿る。
脅してまで自分と斬り合いたいのか。
何なのだ彼女は。
まともな人間の感性ではないし、アレクシスが婚約を破棄した理由の一端が分かった。
彼女はどこまでも欲望に忠実で、そのためならばどんな手段を厭わない悪の淑女。
フガクの言葉を借りるなら、”悪役令嬢”とでもいうのだろうか。
「素敵な目……わたくしの滾りを、どうか受け止めてくださいまし」
「やらないと言っています」
ミユキの圧を込めた言葉にも、エリエゼルは悦ぶばかりだ。
「あら……ティア様たちがお帰りになられたみたい」
エリエゼルはテラスの階下、中庭をエフレムに連れられて歩くティアとレオナの姿を見下ろした。
ミユキもチラリとそちらに視線を移す。
ミユキの手元で、カップの紅茶がわずかに揺れた。
そして、滴が縁からこぼれ落ち、ソーサーに落ちる――
ポトリ
その音だけが異様に大きく響き、一陣の風が吹いた。
「!!」
ミユキの首筋に、エリエゼルの刃が当てられている。
視線を移した刹那の出来事だ。
エリエゼルが椅子から腰を上げ、傍らに置かれた剣を手に取って引き抜き、ミユキの首に刃を這わせるまで1秒もかかっていない。
(……今度は見えなかった)
「シエラ、ミユキさんの剣を持っていらっしゃい」
その体制のまま、エリエゼルは視線を動かさずシエラにそう言った。
「はい、お嬢様。既にお持ちしております」
そう言うとシエラは、何故かミユキの大剣と、鞘に納められたロングソードのニ振りを、廊下から持ってくる。
何で?と思った。
ここに来たときからこうなることを分かっていたのだろう。
有能なのだろうが、勝手なことをしないで欲しいものである。
「本当は……お母様のお部屋でお誘いしようと思ったの」
エリエゼルは感情の読めない笑みを浮かべたまま言葉を紡いでいく。
淡々と、それが当然のことであるかのように。
「でも……空腹は最高のスパイスと言うでしょう。貴女の美味しそうなところ……全て余すことなくいただきたいと思いました。だから、お茶にお誘いしたわ。貴女をもっと知りたくて」
「何を……言っているんですか」
ミユキは首筋にかかる刃の冷たさを感じながら、エリエゼルを見下ろす。
どこまで本気?と一瞬考えたが、無駄だ。
エリエゼルは全くの本気で、自分を斬ろうとしている。
「貴女になら……斬られたい。そう思えたから、わたくしはここまでしています」
賭けてもいい、下手な動きをすれば彼女は迷い無く自分の首に当てた刃を引くだろう。
彼女の目がそう言っている。
そして彼女は、間違いなく自分より速い。
「ミユキさん、もう駄目。わたくし、今貴女と斬り合えないなら、他に何を斬ってしまうか分からないわ」
片手で自らの頬に触れながら、胸の昂ぶりに浮かされるかのような、熱を帯びた視線でミユキを見上げる。
「……まるで首輪の外れた犬ですね」
さすがのミユキも、こんな一方的な脅しには怒りが湧いた。
「自分がしたいから、この情欲を発散したいから、貴女の身体を貸してくれ」なんて、はしたないにも程がある。
彼女が男だったら、確実に「変態」と罵っているだろう。
ミユキは嫌悪感を露わにして、シエラに向かって手を伸ばした。
「公爵もよく仰います。見境の無い発情期の獣だと……でも、ごめんあそばせ――」
シエラは大剣を持つのがやっとだったが、ミユキは軽々とそれを受け取る。
その姿に、エリエゼルは一際喜びを露わにして目を細めた。
「――わたくし、あなたを最後の一滴まで味わいたいの」
「そんなに斬り合いが好きなら、これ以上やりたくないって言わせて差し上げます!」
ミユキは大剣を受け取り、エリエゼルを冷徹に見下ろし声をあげた。
仲間たちを斬ると言われたら、黙っているわけにはいかない。
ミユキはいつになく、怒りのために剣を振るうことになった。
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