第200話 魔王と勇者と聖女の輪舞曲<ロンド>⑤
そして、和平会談の当日。
魔王は魔王城『テネブリス・フォートレス』の大ホールにて、魔族側中央の席に座っている。
そこは天井の高い大広間――人間の王宮とはまるで違う、黒と赤を基調とした異界の空間だった。
漆黒の大理石の床は、鏡のように来訪者を映し出し、歩けば靴音が低く反響する。
中央部には血のように赤い絨毯が敷かれ、黒檀の長テーブルが鎮座した。
両側には無数の燭台が並び、炎は青白く揺らめいて壁を照らす。
壁面には巨大な竜や魔獣のレリーフが刻まれ、爪痕のような装飾が大広間を囲んでいる。
高みに掲げられた旗は黒地に赤糸、魔王の紋章を描いた不気味な意匠。
そこに風も無いのに揺れるような気配があり、旗の影がまるで生き物のように蠢いていた。
(この女が……聖女か)
魔王は正面の席に座った女をジッと見つめていた。
青白い銀髪を二つくくりにして、蒼と白を基調にした冒険者風の出で立ちであったが、どこか楚々とした雰囲気を醸し出している。
表情は柔和で快活そうな印象も受けるが、恐らく会談用に見た目を整えてきたのだろうと推測された。
アウラ=アンテノーラ。
彼女こそが、人類の代表としてこの『人魔会談』に臨んだ聖女だ。
彼女の腰には、どこかで見覚えのある水色の意匠の剣が下げられていた。
「王よ……いかがされましたか?」
魔王の顔を覗き込み、心配そうに見ているのは、赤い肌に頭から角を生やしたオーガの亜人だった。
「ああ……すまない。少しボーっとしていた……」
この辺りは俺がかつてリリアナの血に触れたときに目撃した記憶だった。
今日までは、さほど大きな出来事は無かった。
密談をしていたバルカスやドラガンに動きは無く、城内をくまなく警備にあたるガシュラやその配下のおかげもあってか、実に平和な1週間だったようだ。
「王よ、皆揃いました」
バルカスの言葉に、魔王は首肯する。
人間側5席、魔族側5席の10人での会談だった。
魔族側は魔王を筆頭に、メル、バルカス、そして要職にあるオーガとリザードマンの亜人が座った。
人間側は聖女アウラと、後は代表国の王が2名、交渉役の役人が2名とのことらしい。
背後には護衛としてアリシアとガスパールをはじめ、人間の騎士が複数名控えている。
勇者は結局来なかった。
魔王たちの懸念はあっさりと晴れ、メルも少し拍子抜けしたという顔をしていたのが思い出される。
「よくぞ参られた。人魔会談の席に着いてもらえたこと、私も嬉しく思う」
魔王は、アウラや他の王たちを見渡しながらそう言った。
はじめは警戒を顔に出していた人間たちも、その理知的な声の響きと余裕に満ちた微笑に、わずかばかり目を丸くしている。
「こちらこそ。お会いできて光栄です。魔王様」
そんな中、終始慈愛に満ちた笑みを浮かべているアウラが柔らかく告げた。
魔王も特に他意なくその言葉を受け取る。
「貴殿のはたらきかけあってこその会談だ、聖女アウラよ」
その言葉に、アウラは薄く微笑む。
「もったいないお言葉です。この会談が、その後の人間と魔族のより良い未来につながることを望みます」
「ああ、私もそれを望んでいる」
俺がかつて見た記憶と、寸分違わぬやりとり。
やはり魔王の記憶は実際に起こったできごとなのだろう。
和平の会談は、滞りなく進んでいった。
魔王軍の前線基地からの撤退、魔族と人間の定期的な交流、物資の移動などが議題だ。
定型的で当たり障りの無い内容に、魔王は内心少しがっかりしていた。
もっと根本的な、互いの本質を曝けあうような話をしなければならないと思っていたのだ。
政治的な話に終始するなら、書面のやり取りで十分だ。
「魔王様もやはり、戦の長期化を憂慮されていたんですね。よかった……話に聞いていた通りの方で」
そんな中、アウラは会談の途中、胸に手を当て安心したような表情になってはにかんだ。
魔族側の消耗と、迎撃する人類側の甚大な被害は、どちらにとっても看過できない現状だった。
「やはりとは?」
「いえ、シ……勇者が言っていたんです。魔王様の領土的野心は薄く、恐らく魔族に血を流させることを嫌う王だって」
「ほう、何故わかる」
「それは……」
それは事実的を射ていたし、領土拡大は確かに目的としていない。
シェオル側からステラに領地を持って治めることは困難だと分かっていたからだ。
だが、会ったことも無い勇者にそれを看破されるというのは、やや警戒すべき事柄だと感じた。
シェオルから軍を出している以上、ある程度の軍事行動はさせているはずだが。
「……何ででしょう?」
アウラは頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。
俺がその場にいたらずっこけているが、魔王は訝しむようにアウラを見た。
「貴方が仰ったんでしょうに……」
メルも呆れたようにそう呟く。
「でも、魔族の皆さんは魔王様のために戦っていたし、魔王様を慕っていました。魔王様ならきっと話し合いのテーブルについてくれる。そう思ったから、私は仲間に言伝をお願いしたんです」
屈託の無い聖女の笑顔に、魔王は嫌な気はしなかった。
元来好戦的な種族の多い魔族では、穏健派の魔王ネメシスの治世に不満を持つ者もいる。
だがそれでも、魔王は血で血を洗う戦いと報復の連鎖の先に、未来は無いと確信していた。
互いを疲弊させるだけの愚かな戦い。
しかし振り上げた刃は振り下ろさねばならないという錯覚と、互いに刃を突きつけ合ったままでは後にも引くことすらできない現状がある。
だからこそ、この会談には意味があった。
人類の希望と、魔族の王が互いに刃を一度仕舞って話をしようと言うのだから。
「魔王様……?」
「いかがされましたかな?」
押し黙った魔王に、メルは心配そうな視線を向ける。
他の王たちからも、不安そうな視線が向けられる。
アウラの言葉が、何か魔王の不興を買ったのかと思われているのだろう。
「あ、ご、ごめんなさい! 私何か変なことを……!?」
慌てふためくアウラの表情は、先ほどまでの楚々とした印象とは程遠い。
ころころと感情豊かに表情を変える様は、聖女ではなくごく普通の女性のように見えた。
「いや、気にせずともよい。だが聖女アウラよ。私は貴殿に問わねばならない」
「は、はい……! なんでしょう」
ゴクリと喉を鳴らすアウラ。
だいぶ素がでてきているなと魔王は思ったが、ちょうどいい頃合いだとも感じていた。
だからこそ、あえて試すような問いを投げてみる。
「貴殿は人間と魔族は手を取り合って、争いの無い、より良い未来を築けると本当に思っているのか?」
魔王は、アウラがどこまで現実を見ているのかが気になった。
理想を掲げることは誰でもできる。
魔王の問いに、おめでたい頭と表情で「信じています」と答えるのも簡単だ。
だが。
理想は理想でしかない。
人間と魔族の争いは100年にも及ぶ。
互いに家族を、友を、同胞を殺され、もはや戦いは泥沼も同然だ。
復讐が復讐を呼び、もはや始めはどちらの何が原因だったのかすら誰も覚えてはいない。
魔王はこの人魔会談の申し出を受けはしたが、それがただちに和平と停戦に結びつくとは欠片も思っていなかったのだ。
魔王は正面に座るアウラの赤い瞳を真っすぐに見つめる。
アウラは困惑した様子を見せたが、それでも目を逸らさなかった。
魔王は願う。
どうか、軽々に「信じている」とは言わないで欲しいと。
その道はきっと誰もが理想として志し、誰もが心折れた茨の道だ。
そこを歩くというのなら、裸足で毒の棘を踏み抜く覚悟が必要なのだから。
「はい、信じています」
魔王は落胆と共に、瞳を閉じた。
その様子に、会場の空気にも緊張が走った。
人間の王達や魔族側の列席者たちも、アウラは今何かの回答を間違ったのだと気づいた。
「そうか……では」
これで会談は終わりだ。
無駄とまでは言わないが、アウラはただ理想を語るばかりの聖女なのかもしれない。
とはいえ諦めるわけにはいかない。
魔王が今後どうしていくべきか、頭を悩ませたその時だった。
「……ですが、今すぐにとはいかないでしょうね。多分普通に無理だと思います」
魔王はスッと目を開けた。
アウラの言葉には、まだ続きがあったらしい。
「……な、何を。聖女よ、お主はその停戦のために我らを集めてここを訪れたのではないのか?」
「魔族側としても、同意せざるを得ませんな。ではこの時間はなんの時間ですかな」
「不敬な。魔王様の時間を無為に浪費させるとは、礼を欠いていると言わざるを得ませんよ」
人間側の王も、バルカスも、メルも、他の面々も、皆口々に疑問を口にした。
それはそうだ。
平和のための会談をしましょうと言われて、その言い出しっぺが「やっぱ無理かも」だなんて、総ツッコミが入るのが当然だろう。
俺も一瞬そう思ったが、魔王は再びアウラを見据える。
彼女は、最後まで聞こうと考えていた。
「待たれよ。聖女アウラ、その真意とは? 続きを述べよ」
魔王はざわつく場を制し、アウラに続きを促した。
悠然と椅子にもたれ、これ以上下手な言葉は許さないと、魔王は普段は抑えている覇気を全開にして問いかける。
大広間の空気が一瞬にして凍りつき、圧に押された王たちの呼吸が浅くなるほどのプレッシャー。
横で嬉しそうにしているメルと、目前のアウラ以外は皆冷や汗を流した。
青白い炎の燭台が吹きすさぶ風もないのに揺れ、魔族たちも緊張で尻尾や爪が打ち鳴らされる。
人間側の王たちは、ひとりは震える手で杯を落としそうになり、ひとりは咳き込み、もうひとりは顔を蒼白にして硬直していた
今下手なことを言えば、魔王は怒り狂いこの部屋の人間を皆殺しにするかもしれない。
そんな空気を纏っていた。
そして、聖女は口を開き言葉を紡ぐ。
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