第197話 魔王と勇者と聖女の輪舞曲<ロンド>②
魔王はアリシア達が城を出た後、私室にて窓辺に置かれた椅子に座り、窓の外を眺めていた。
真っ赤な空から、血のような太陽が大地を照らしている。
ここはシェオル。
俺達のいる世界とは違い、荒れ果てた不毛の大地が広がる世界だ。
ちなみに、俺達のいる世界はシェオル側で『ステラ』と呼ばれるらしい。
流れ込んでくる魔王の知識によれば、魔族と人間は100年にも渡る戦いで互いに疲弊している。
魔族は人間に比べると遥かに数は少ないが、魔獣を御してステラへと侵攻を繰り返した。
人間たちはそれを迎撃するが、シェオルへの出入り口はウィルブロードの霊峰ウェルギリウスにある大門、通称『地獄の門』を通らなければ行き来ができない。
過酷な環境でも生きられる強靭な魔族とは異なり、人類は兵士をシェオルに送り込むだけでも多大な犠牲が出るという。
数で勝る人類と、生物として強い魔族。
長きに渡り一進一退の攻防を絶妙なバランスで継続してきた両者だが、ある人物の出現によってその環境は変わりつつあった。
聖女アウラの台頭だ。
アウラは、ウィルブロードに生まれた長命種、エルフの一族の女だった。
エルフは厳密には魔族だが、元来よりステラで生きる数少ない魔族だった。
さらにおおよそ200年に一度生まれるという、その身に奇跡を宿した稀有な存在、それが聖女だった。
アウラは人々の傷を癒し、この世ならざる精霊と言葉を交わし、守護の光で人類を導く希望とされていた。
それは『地獄の門』がある魔族との戦いの最前線、ウィルブロードだからこそのプロパガンダだったのかもしれないが、アウラは人類にとっては希望と呼べる存在だった。
「魔王様……お茶をどうぞ」
「ああ」
メルは言葉少なく、魔王の傍らにある小さなテーブルにティーカップを置く。
こうしてシェオルの闇の空を眺めて思索に耽るのは、魔王にとって珍しいことではなかった。
メルはただ魔王の後ろに控え、時には朝から日が暮れるまでただそこにいた。
魔王は、アウラとの会談に想いを馳せている。
「聖女はどのような女かな」
魔王の呟きに、メルは静かな吐息を漏らした。
こうして魔王がメルに意見を求めることはままあったが、メルの回答はただ魔王に随意するのみだ。
聖女アウラは勇者パーティとして魔王軍の戦線を一気にシェオルへと押し返し、ステラ側の前線基地をいくつも人類へと奪還した功績がある。
現状、聖女を筆頭とする勇者パーティにより魔王軍はやや劣勢に立たされていた。
「取るに足らぬ存在かと」
「ふ、勇者の一団だぞ。それは無理がある」
魔王ネメシスは、魔王の冠を戴いてからまだ十数年という若い王だった。
先王より力を継承し君臨するが、魔王としては歴代最も穏健派と言われていた。
人類に阿るわけではないが、魔族の血を流すことを嫌う王だった。
魔王には強大な力があるが、彼女はそれをステラへの侵攻に容易く使うことはない。
むしろ魔王は、人類と共存の道を歩むことこそが、魔族にとってよりよい未来が開けるものと信じていた。
だが、魔族と人類の禍根は深く、そう易々と手を取り合えるわけではない。
そんな時に降って湧いた千載一遇のチャンスが、このアウラからの申し出だった。
「人と魔族は共存共栄の道を歩むべきだ。それは人類に降る選択ではない。この不毛の大地で生きる我らが、血を流さず豊かな未来を得るために避けては通れぬ道だろう」
戦い、全てを奪うことはできない。
人類は魔族よりも遥かに数が多く、いかにステラに侵攻して領土も奪おうとも終わりなき戦の道が待っているだけだ。
それは歴史が証明している。
人類も同じだ。
人類にシェオルを手に入れる利点は無いとは言えないが、メリットは薄い。
しかし、魔族が来る以上戦いは避けられない。
多くの魔獣がステラに解き放たれた今、人類にとって魔族は敵でしかないのだから。
また、魔族との100年にも渡る戦いが、人類の繁栄に一役買っていることも無視できない。
戦争による物資の需要、人類の団結は彼らに仮初の平和をもたらし、魔族との戦争が続くからこそ得られた利益もおおいにあるだろう。
「魔王様の御心のままに……」
メルはそう言って、背後で目を伏せ頭を垂れる。
「メル、私はお前の考えを聞いている」
「……」
振り返らず、窓の外を見たまま言う魔王に、メルがスッと瞳を開いた。
メルはそれを魔王の命と捉え、言葉を返す。
「それは戦い続けるよりも、はるかに困難な道です。ですが魔王様は、これを好機と捉えておられます。メルは……魔王様の進む道ならば、微力ながらお傍でお支えするのみです」
「……」
そう。これは好機なのだ。
人類の希望とされる勇者パーティの筆頭、そのアウラが魔族との和平を望んでいる。
そして今、魔族の王は自分だ。
互いの思惑が一致する今だからこそ、現状を打破できるかもしれない。
「メル……会談は2週間後だったな」
「調整中ではありますが、使者にはそのように伝えました」
「同胞たちの動きを探れるか。手放しに賛同ということはあるまい」
「御意に」
魔王は血を流すばかりの時代を終わらせ、魔族の繁栄へと繋がる道へ進む覚悟を決めた。
俺は記憶の中で、彼女がどれほど頭の中で考えを巡らせ、リスクを秤にかけ、それでも決断したのかがありありと分かった。
「それからガシュラを呼び戻せ」
「かしこまりました」
是が非でも成功させなければならない。
理想を理想のままで終わらせないためには、誰かが血を流してでも先へ進める必要がある。
ネメシスは、その役目を担うことを決意していた。
「メル。私の傍で、人と魔族の変わりゆく様を見届けるがいい」
「はい……メルは最後まで、魔王様のお傍におります」
最後に、メルの深い闇色の瞳を見つめて笑いかけた魔王。
メルは胸に手を当て、深く頭を下げて恍惚とした表情を浮かべた。
この日から魔王は、アウラと魔王の、いや人類と魔族による『人魔会談』の準備に取り掛かることになった。
魔王は赤い空を見上げる。
どれほど血に染まろうとも、この空をいつか青に変えてみせる。
魔族の王として、そして未来を紡ぐ者として。
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