第196話 魔王と勇者と聖女の輪舞曲<ロンド>①
――暗闇の中を歩く音が響く。
足音は確かに自分のものなのに、景色も匂いも見覚えがない。
どこかの部屋に入り、石の玉座に腰掛ける。
誰かが呼ぶ声が、頭の奥で反響していた。
「――……ま」
俺はその声を振り払おうとした。
だが次の瞬間、玉座に座っていたのは――俺自身だった。
「魔王様?」
ハッとなって我に返る。
正確には、俺ではない。
俺は”魔王様”と呼ばれた人物を、俯瞰するように頭上から見ていた。
「……ああ、少し考え事をしていた」
毛先の赤い、白く長い髪。
豊満な身体を覆う黒いドレスは艶やかな光沢を放ち、腕の先から伸びた爪は血のように真っ赤だった。
間違いない。
あの肖像画に描かれていた人物であり、俺を異世界へと呼び寄せた女神によく似た女。
そして、俺の記憶の中に幾度も登場した魔王……ネメシスだ。
「お疲れが溜まっておられるのやもしれません。一度お医者様をお呼びしましょうか」
そう言って床に膝をつき、魔王の顔を覗き込んだのは、床まで届くほど長い黒髪を揺らした長身の女だ。
心配そうに眉を潜め、黒く塗られた目元に不安な色を見せているその女は。
「心配には及ばんよ、メル。すまん、話の腰を折ったな」
そこで「メル」と呼ばれた女を見て、俺は驚いた。
彼女は、俺が先ほどまで会話を交わしていたはずのメルエム=メハシェファーその人だったからだ。
とはいえ、印象として顔色が幾分か良く表情も明るいためか、若く見える気がする。
「しかし……魔王様のお身体に何かあっては、メルは……」
泣きそうな顔になっているメル。
こんなに表情豊かな女性だっただろうか。
すると、魔王は細くしなやかな指先をメルの顎に這わせて、クイッと自らの方に顔を向けさせる。
メルは頬を赤らめ、揺らめく瞳で真っ直ぐに魔王を見つめた。
「私にはお前の憂い顔の方が身体に毒だ。いつものように笑顔を見せてくれ、メル」
まるで舞台の一幕を見ているように、魔王はメルにそう告げて微笑んだ。
女性同士の妖しいやり取りに、俺は無いはずの喉をゴクリと鳴らす。
「ああ……魔王様……!」
メルはうっとりとした表情で顏を綻ばせる。
辺りを見ると、その部屋には何人かの亜人がいた。
見慣れた光景なのか、魔王の戯れだからなのか、メル以外は誰も彼も無反応だ。
不思議と、俺はここがどこだか分かる。
多分、俺の中にある魔王の記憶だからだろう。
ここはシェオルにある魔王城。
その上部にある玉座の間だった。
灰色の石で作られた巨大な部屋には赤黒い絨毯が敷かれ、かがり火によって室内が煌々と照らされている。
玉座は巨大な正面の扉から階段を数段上がったところに設置されていた。
「では魔王様、彼らをお通ししてもよろしいですかな?」
そう言って魔王に声をかけたのは、緑の肌の小鬼バルカスだった。
彼は魔王配下の参謀であり、魔王の腹心の一人だ。
ゴブリンらしい恐ろしい顔つきをしているが、表情に敵意などは見られない。
有能な男で、魔王からも重用されているようだ。
「聖女の代理……と言ったな」
「はっ」
「よかろう、通せ」
俺の中で、状況がどんどんクリアになってくる。
必要な知識が、必要なだけ思い出された。
今、魔王への謁見を望む来客を通すか、魔王はお伺いを立てられていたのだ。
相手は、”聖女の代理”を名乗る者達らしい。
俺の背後には、2人の馬の顔をした亜人が巨大な槍を持って控えており、謁見の間の左右には白銀のリビングアーマーが4体微動だにせず立っている。
魔王城『テネブリス・フォートレス』。
闇に閉ざされた赤い空のシェオルに映える、”暗黒の城”だ。
「魔王様、相手はこれまで同胞を幾たびにも渡り葬ってきた勇者の一団です。くれぐれもご注意を」
魔王の玉座の脇に立つメルが、小さな声でそう告げた。
だが、魔王は気にする素振りもなく頬に拳を添え、ゆったりと玉座に座っている。
何のことはないと、そんな余裕の胸中だった。
「随分と待たせてくれたわね! 別に魔王討伐に来たわけじゃないのよ!」
ヒステリックにそう声を挙げながら、ズカズカと謁見の間に女が入ってきた。
身体のラインを強調した黒いドレスに、大きな魔女の帽子。
赤い瞳に青みがかったその銀髪を、俺はどこかで見たことがある。
魔王の記憶には無いので、あくまで俺フガクが見た人物だ。
「やめろアリシア。俺たちはアウラの使者で来たのだぞ」
それを後ろからたしなめているのは、鎧を着た大柄な戦士風の男だった。
大木のような筋骨隆々とした大男で、顔は髭で覆われ目つきは百戦錬磨を思わせる鋭さだ。
「黙りなさいガスパール! 墓石で殴るわよ!」
「控えなさい! 魔王様の御前ですよ!」
メルが怒りを露わにして使者、主に女の方を叱りつけている。
魔王は愉快そうに口角を吊り上げ、尊大に座ったまま動かない。
にしても、今の名前。
あのアリシアとガスパールだろうか?
俄かには信じがたい。
二足歩行の黒ライオンのはずのガスパールは普通に人間の姿をしているし、アリシアは随分と若く、かなりワガママそうなお嬢さんだ。
いや、先日会ったときもちょっと片鱗はあったが。
「魔王、あんたに伝言があって来たわ!」
アリシアは腰に手を当て、ビシッと人差し指で魔王を指しながら声を張り上げた。
こいつは絶対ツンデレキャラだと思いつつ、俺は事の成り行きを見守る。
その態度に、メルの眉間に皺が寄る。
階段の下にいるバルカスも呆れたような雰囲気を見せていた。
「まずは名乗りなさい! 聖女の使者は礼節も知らぬと見えます! 主の度量が知れますよ!」
メルがブチギレているのを魔王は内心楽しんでいるようだが、表情には出さない。
あくまでも喋るのはメルとバルカスの仕事のようだ。
指摘されたアリシアはぐっと不快そうな顔をしたが、その後ろからアリシアの頭をガスパールの巨大な手が押さえつけた。
「すまない。聖女の名代として罷り越した、ガスパールだ。こやつはアリシア。魔王よ、礼儀を知らぬ小娘だが、寛大な心で許してもらいたい」
落ち着いた大人の貫禄で、ガスパールが無理やり頭を下げさせ、己も下げた。
普通魔法使いが落ち着いた対応で交渉とかして、戦士は粗野くらいなのがちょうどいいんじゃないかと思うが、こいつらは逆だなと思った。
かなり不愉快そうなメルが、魔王の意思を確認する。
魔王はヒラヒラと手を振ってこたえた。
「魔王様は許すと仰っています。シェオルの空の色よりも深い御心に、頭を垂れて感謝なさい」
「自分で喋りなさいよ! いいこと? 私たちは聖女の提案を持って仕方なくここを訪れてるんだからね! あんたたちの対応しだモガッ!
ため息をついたガスパールが、アリシアの背中からモフモフの真っ黒いポメラニアンを取り出して顔面に押し付けた。
何だあれ。
「ガスパールと言いましたね。彼女ではなく貴方が用件を伝えてください。手短に」
くっくっと魔王は愉快そうだったが、メルはかぶりを振ってガスパールにそう言った。
ガスパールもそう思ったのか、素直に頷く。
「……では、そのまま伝えろと言われたので、そのまま伝える。ごほんっ!」
何故か咳払いをするガスパール。
その場にいた魔王、メル、バルカスは彼の次の言葉に聞き入った。
「こんにちわ! 魔王様! 聖女アウラです!
最近、魔族と人間間の争いがすごくって、嫌ですよねー。私も心を痛めています。だから、一回私とあなたでお話しできませんか?
人間側の王たちも、魔族との無為な戦争は望んでいません!
私たちは、きっと共存できるはずです。魔族の人たちから聞いた魔王様のお人柄なら、きっとそう思ってくれるんじゃないかって!
私の頼れる仲間に伝言をお願いしたので、ぜひ良いお返事お待ちしてますね!
聖女アウラより」
筋肉ダルマのおっさんが、野太い声でキャピキャピした口調の言伝をし出した。
あまりの出来事に、魔王もメルも目を丸くしている。
この時の魔王の内心での感想は、”化け物か?”だ。
「ふむ、それが聖女アウラからの伝言だと?」
バルカスが困惑したような表情で問い返す。
別に本当にそのまま伝える必要無かったのではと言いたげで、同時に何でアリシアがメインで喋ってたのかも何となくわかった。
あのキャピッとした台詞はアリシアじゃないとキツいからだ。
「そうだ」
寡黙な戦士に戻るガスパール。
全く表情が変わらないのでこいつはこいつでちょっと変だ。
「だーから私が伝えるって言ったじゃない! ほら見なさい全員ドン引き!」
アリシアが顔面からポメラニアンを引きはがした。
背中の皮を持たれて大人しくなっているのはめっちゃ可愛いが、あいつは何なんだ。
よく見ると、背中からはもう一匹黒猫も顔を出していた。
「魔王様……いかがいたしましょう」
「魔王様、ここは少し検討した方がよろしいかと」
メルとバルカスがそのように進言するが、魔王は迷う素振りは無い。
スッと右手を挙げると、メルもバルカスも目を伏せ下を向く。
「相分かった。聖女アウラに伝えよ。その会談の申し出、この魔導王ネメシスが受けよう」
魔王は一切の逡巡も無く、ガスパールとアリシアに向けてそう言い放った。
その判断に、バルカスが焦ったように声を上げる。
「魔王様! もう少しご検討をされた方が……!」
「バルカス、魔王様のご判断です。口を慎みなさい」
メルは口を挟みかけたバルカスを一喝した。
メルにとっては魔王の判断が全てである。
魔王がそうと決めた以上、従う以外の意思は無いようだ。
「は……ははっ」
バルカスも食い下がらず、すぐに頭を下げて引き下がる。
魔王への忠誠と、その恐ろしさが彼の態度から伺えた。
「へ、へえ……そんなすぐ返事もらえるとは思ってなかったわ。それじゃ了承で伝えるわね」
「魔王よ、感謝を」
アリシアは意外な展開に狼狽え、ガスパールは静かに頭を下げた。
魔王は肘をついたままの姿勢から変わらなかったが、わずかに無言で首肯する。
「では後程今後の話をさせていただきます。あなた方はしばらく控えの間でお待ちなさい」
「また待たすモガモガ!」
「承知した。それでは失礼する」
またポメラニアンを顔面に押し付けられたアリシアが、ガスパールに引きずられるようにして謁見の間を出ていく。
ドッと疲れた顔をしているメルの表情に、魔王は楽しそうに微笑を滲ませた。
魔王と聖女の会談が行われることは、俺はかつて見た記憶の中でわずかだが知っていた。
だが、魔王が内心で平和を望む心優しき王だということに、これまで気付いていなかった。
俺のいる時代から400年前、世界は魔族と人類間の度重なる戦争により互いに疲弊していた。
それを、聖女だけでなく魔族の王もまた憂慮していたのだ。
魔王ネメシスは聡明で思慮深く、人の心の分かる王だ。
この時点で俺は、彼女が何故勇者を呪うに至るのか、まるで分からなかった。
<TIPS>




