好きなタイプは上に立つに相応しい人
「私は、上に立つに相応しい人が理想かしら」
そうおっしゃる彼女に、私に入る隙はないのだと思い知らされた。
卒業パーティーで婚約破棄をされた瞬間に真っ先に考えたのは、我が伯爵家の領地をどうしようということで、次に考えたのはパトリシア様は大丈夫かしら、ということだった。
私が生まれたケイフォード伯爵家は建国時から続く由緒正しき御家柄だが、ここ最近は目立った功績もない貧乏貴族である。けれど、現当主の父は領民を一番に考えて尽くしている人格者であり、私たち伯爵家は領民から愛されていた。私も次期当主となる兄もそんな領民を何より大切に思って生きてきた。
父は良き領主になるようにと兄に厳しく教育を施し、期待に応えるように育った兄は聡明で思慮深く、高位貴族からの覚えめでたい。そして、私には領地を助けられるようにと国内有数の商家、ローウェル商会の跡取りとの縁談を持ってきた。金に困る貴族と箔を付けたい商家が縁を結ぶなんて珍しい話ではないし、領民を思えば最適な判断である。それでも、父は「金で売るような真似をしてすまない」と涙ながらに私に謝った。私にとっては父のその気持ちだけで十分で、領民のためになるなら政略結婚だろうとなんだろうと構わなかった。
婚約者であるジェリー様は女性的な美人で、商会では貴族の女性と接することも多いからか言動も女性的であった。私に対しても優しかったけれど、真面目だけが取り柄の面白みのない私を邪見に思っているのは分かっていた。政略結婚なんてそんなもの、私は責務を全うできればそれでいい、そう思っていた私を変えたのは王立学園の入学式のことだった。
領地は王都から離れているため、夜会にも殆ど出席したことはないため同級生の知り合いなんて婚約者のジェリー様くらいで、そもそも学園のある王都自体に来たことも数える程しかない。頼れる者のいない中で初めて尽くしの入学式は緊張の連続だった。そのせいで、うっかりとハンカチを落としてしまったのだ。
「青い髪の美しい貴女。ハンカチを落とされましたよ」
一瞬自分だと気づかなかったが、周りに青い髪は私しかおらず驚いて振り返れば、そこには天使がいた。
私よりも頭1つ分ほど小柄だがスッと背筋を伸ばした立ち姿は堂々としている。月のように丸く金色の瞳に肩にかかる程度の短い黒髪は無垢であどけなく見えるが、浮かべる笑顔は洗練されていて気品を感じさせる。
「貴女も新入生ですわね?私はパトリシア・フェアクロフと申します。よろしくお願いしますね」
「も、申し訳ありません!わ、私はフローレンス・ケイフォードです」
「あら、そんなに畏まらないで。同じ1年生ですもの、仲良くしていただきたいわ」
お名前を伺って慌てて頭を下げる。貴族社会に疎い私でも知っている、パトリシア・フェアクロフと言えばフェアクロフ公爵家の長女で第1王子ディミアン・オーリオルの婚約者である。
そんな尊い方でありながら、礼を欠いた私を責めることなくそっと手を握り、落としてしまったハンカチを手渡してくれる。
「白百合の刺繍が素敵なハンカチをもう落とさないようにね」
「あ、ありがとうございます」
「いいえ、気にしないで」
完璧なカーテシーをするとパトリシア様は去っていかれた。その背中を見送りながら、ドキドキと高鳴る胸の意味がこの時はまだ分からなかった。
それから、偶然にも同じクラスになったことにより、私は恐れ多くもパトリシア様と友人になり行動を共にするようになった。
彼女は試験では常に上位をキープする才女であり、王女教育を受けているため礼儀作法は誰よりも美しくて、それでいて柔軟な考えをする方で貴族も平民も分け隔てなく接っしていて、誰もが彼女に惹かれずにはいられなかった。
入学時は純真可憐な少女のような容姿だったが、気づけば私の背を越し艶やかで中性的な美女になっていた。その頃には自分の気持ちも認めざるを得ない程大きくなっていた。
私は同性のパトリシア様を愛してしまった。
男性のジェリー様にすら愛されないつまらない私の思いなど受け入れてもらえるはずもない。そう分かっていても、パトリシア様に笑いかけられる度に、指が触れる度に、飛び出してしまうんじゃないかと心配になるくらい心臓は飛び跳ねた。
いつか私の気持ちが届かないだろうか、そう期待してしまいそうになると、私はある日のお茶会を思い出す。
放課後はよく仲の良い令嬢で集まってお茶会をした。その日は私とパトリシア様とロイズ様とベラ様がいらっしゃった。ロイズ様は表情の変化は乏しいが感情豊かで好奇心旺盛な愛らしい令嬢だ。ベラ様は人目を引く迫力のある美人で面倒見も良いから他の令嬢の憧れの的だった。言い出したのはロイズ様だったはずだ、「好きな殿方のタイプは?」と。
「私はね、王子様みたいな人。殿下じゃないですよ、絵本に出てくるようなお姫様を颯爽と助けてくれる人です」
ホワンと頬を染めて話す様子は実に可愛らしい。ロイズ様の婚約者であるクラーク様はいかにも王子といった金髪碧眼の美形ではあるが、ロイズ様を颯爽と助けてくれるかと言われると少し首を傾げてしまう。入学してからの付き合いの私から見てもクラーク様のロイズ様への対応は冷ややかで、ロイズ様もクラーク様の前だとより一層表情が硬い。
「私は小動物みたいな方かしら。そういう子を可愛がるのは好きよ」
ゆったりと微笑むベラ様、ベラ様に憧れる令嬢が見たらその美しさに卒倒してしまうだろう。ベラ様の婚約者のキャロル様は並の令嬢よりよっぽど愛くるしい容姿をされていて、うるうるとした瞳は庇護欲を誘う。けれど、ベラ様がキャロル様を可愛がっている所は一度だって見たことがない。
「フローレンス様は?」
「え、ええっと……」
興味深そうに私の見上げてくるロイズ様に言葉を詰まらせる。
殿方ではないけれど、好きなタイプなんてパトリシア様その人しかいない。が、そんなこと言えるわけもないし、けれど嘘も言いづらい。
頭をフル回転させて、パトリシア様とジェリー様の共通点を考える。
「あー、あっ!中性的な人、かしら」
「なるほどー、ジェリー様って女性っぽくて親しみやすいですもんね」
「見た目はともかく、中身はちょっとわざとらしいけれどね」
ベラ様の鋭い言葉に苦笑しつつも、なんとか誤魔化せたと安堵する。
ふと顔を上げるとパトリシア様としっかり目が合って心臓が跳ねる。私は目を逸らせず、パトリシア様も目を逸らさず、ゆっくりと美しく微笑む。
「私は、上に立つに相応しい人が理想かしら」
私を見ながら言われたその言葉に、もしかしたら、と微かにあった期待がしぼんでいくのが分かった。
ディミアン殿下は王太子であり、頭脳明晰、剣の腕も確か、尊大な態度を納得させる技量を持ち合わせた方だった。そんなディミアン殿下のことを政略結婚というだけでなく、愛してらっしゃる。そう思い知らされるのは頭を殴られるような衝撃だった。
それでも、私は好きな方の幸せを願おうと思ったのだ。自分は報われなくともパトリシア様が愛のある結婚をされるなんて喜ばしいことだと納得しようとした。
しかし、パトリシア様の思いをディミアン殿下は裏切られた。
私たちが3年生になったとき、ニーナ・スワン男爵令嬢が編入された。最終学年になって編入してくるなんておかしな話だが、なんでもニーナ様は男爵の庶子であり今まで平民として生きてきて、女手一つで育ててくれた母が亡くなり男爵に引き取られたので学園に編入してきたのだとか。それならば、1年生から入るべきだと思うが、3年の編入試験に合格したのだとか。平民として育ちながらそのような才を持つとはどんな令嬢なのか、そう気になって近づいた令息たちは軒並みニーナ様に骨抜きにされてしまった。その中には、ジェリー様、クラーク様、キャロル様、そしてディミアン殿下も含まれた。
私はジェリー様との間に愛があるわけではない、卒業後に結婚さえしてくれればいいと思い然して気に留めなかった。しかし、パトリシア様は違う、ディミアン殿下を愛していらっしゃるのだ。ディミアン殿下とニーナ様が親し気にされている所を目撃する度にパトリシア様の様子を窺ったが、いつも「私は平気だから心配しないで」と微笑まれる。パトリシア様がそうおっしゃるのなら大丈夫なのだろう、安易にも私はそう思ってしまった。
それが間違っていたと分かったのは卒業パーティーのことだ。
卒業パーティーは通常のパーティーと同様に同伴するのは夫婦や婚約者、いない者は親族である。それなのに、私もパトリシア様もロイズ様もベラ様も、全員婚約者にすっぽかされてしまった。何かおかしいと感じながらも、パトリシア様と気軽に話せるのもこれが最後になると思い、このひと時を楽しんでいた。それを壊したのも、婚約者たちだった。
突然舞台に上がった婚約者たちは私たちに対してニーナ様をいじめたという身に覚えのない罪を糾弾しだしたのだ。そして、散々ニーナ様と私たちを比べてこき下ろしたかと思えば、婚約破棄すると宣言したのだ。
ジェリー様に婚約破棄されたら、我が領地はどうなってしまうのだろう。事実はどうあれ不名誉な婚約破棄をされた私に家を助ける結婚なんてできるかしら。
そして、パトリシア様はこの言葉をどんな思いで聞いてらっしゃるの。俯き扇子で顔を覆われたパトリシア様のお顔は最後まで見ることはできなかった。
その混乱のまま終わった卒業パーティーは、誰かと話すこともできないまま私の身は領地へと届けられた。
私を出迎えた両親と兄は「お前の無実は分かっている」と抱きしめてくれて、3人の優しさが嬉しくて、自分の無力さが情けなくて、わあわあと大泣きしてしまった。
国王陛下から処断は追って知らせると告げられ私は領地で特に罰を受けることもなく過ごしているが、婚約破棄はあれだけの観衆の中で行われたので覆すことはできなかった。領民からは「お嬢様がそんなことをする人じゃないって私たちが一番よく知っています」と励まされ、早くこの人たちのために私も何かできないかしら、と気持ちだけが焦っていた。
そんなことをぼんやりと思い返していると、ノックというにはいささかけたたましく部屋のドアが叩かれる。
「どうしたの?何かあったの?」
「お、おじょ……お嬢様、これを」
真っ青な顔をした侍女が持ってきたのは新聞と一通の手紙だった。訝しげに思いながら新聞の侍女が指をさす部分に見て、目の前が真っ暗になった。
「パトリシア様が、自殺……?」
そこには第一王子ディミアン殿下との婚約を破棄されたパトリシア・フェアクロフ様が傷心のまま命を絶たれたと書かれていた。
嘘だ、何かの間違いだ、そう思いながら手紙を見ると、それはフェアクロフ公爵からだった。恐る恐る封を切ると、中に入っていたのはパトリシア様の葬儀の案内状であった。
喪服を着て馬車に揺られる私の目は真っ赤だろう。あの手紙が届いてから寝ても覚めても涙が止まらない。私の涙腺は壊れてしまったのだろう。
今もただぼんやりと虚空を見上げながら涙を流している。このまま公爵に会うのは失礼だと分かっていてもどうにもならない。向かいに座る父が気遣わしげに私の手を握ってくれるが、握り返す気力すらなかった。
到着した公爵家はうちとは比べ物にならない豪奢な屋敷だった。
泣き続ける顔をヴェールで覆い中に入ると一人の青年に出迎えられた。その姿を見て私は息をするのも忘れてしまった。
スッと背筋を伸ばした立ち姿は堂々としていて、月のように丸く金色の瞳、後ろに撫でつけられた黒髪は艶やかで、洗練された微笑みは天使のようだ。
「ぱ、パトリシア様……?」
「お久しぶりです、フローレンス様」




