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七月のトロイメライ  作者: 結木さんと
怖がりな女の子
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怖がりな女の子 3





 咄嗟に言葉が出なかった。


 いつから彼女はその疑問を抱いていたのだろう。

 金曜日の放課後――ぼくに声をかけた時には、すでに考えていたのだろうか。


 すぐに返事をしたほうがいいことはわかっていた。

 危機を回避するなら、対処はいつだって即座に行わなければならない。


 でも、正しい反応が思い浮かばなかった。

 うまく考えがまとまらない。


 いずれこうなることは想定していた。

 ようやく終わるのだ。誤解から弾劾されるとしても、説明を信じてもらえて難なく解決するにしても。奇怪な状況に巻き込まれて、常に綱渡りをしているような日々は、これで。

 みんな本来の居場所に帰って、ぼくも平和で無難な放課後を取り戻す。

 すべて元通り。この上ない大団円だ。

 あとは茅崎さんの質問に「はい」と答えるだけでいい。

 ここで嘘をつく必要はない。正直に事情を説明しさえすれば、それで全部終わる。


 だというのに、ぼくは何も答えられなかった。

 茅崎さんは返事を待っている。

 唾を飲み込む。渇いた喉に刺すような痛みがあった。

 浅く息を吸って、ようやく口を開いた。


「あ……あの……」


 かすれた笛の音のような声が出た。

 慌てて咳払いをする。心臓が今にもこと切れそうに脈打っていた。


「……し、知ってた、よ…………けど、それは」

「ごめん!」


 急に、空中をさまよっていた意識が地に足を着けた。

 そしてまたすぐに混乱した。

 目の前で茅崎さんが頭を下げている。………………なぜ?

 情報の奔流が目まぐるしい。冷静になる暇がまったくない。

 どうして、茅崎さんが謝るのだろう?

 完全に機能停止したぼくに、彼女は顔をあげて言った。


「それ、あたしのせいかも……」


 独白の意味はやっぱり理解できなかった。

 茅崎さんのせい、とは。


「えっ、と……? ……ご、ごめん、話が全然見えなくて……」

「うーん。実はあたしもまだよくわかってないんだけど、なんとなくこれが原因なんじゃないかと思ったことがあるってゆーか……とりあえず、先に遠原に確認したかったんだ。思い出してみたら、あんたはなんか知ってそうだったからさ。……それで、あたしらって元々は別に友達じゃなかったよね?」


 これは、どういうことだ……?

 思い出した、ということは、茅崎さんはもう正常に戻っているのか?

 状況はまだ掴めない。

 けど、風向きは変わったような気がする。


「……うん。ぼくらは、今年の四月まで知り合いですらなかった」

「そっか」


 夕焼けのせいだろうか。頷いた茅崎さんが少し寂しそうな顔をしたように見えた。


「あの、ぼくも聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「じゃあ交互に質問しよっか。遠原からでいいよ」

「わかった、それじゃあ」


 考える。停止していた頭が再び働きはじめた。

 何から訊ねよう。それこそ、知りたいことなら山ほどあった。


「茅崎さんは、いつ元の記憶を思い出したの?」

「ついさっき、かな。図書館を出る前ぐらい。とはいっても、まだぼんやりしてるんだけど。こう、二つの記憶が頭の中にあって、どっちが正しいのかわかんない、みたいな」


 わりと直近だな。何かきっかけがあったのか。

 いずれにせよ、彼女の記憶は複雑な状態にあるようだ。きっと混乱もしているだろう。それで今まで普段通りに振る舞っていたのだから、すごい精神力だと思う。ぼくには無理だ。すぐ顔に出るから。


「次はあたしね。これって、みんなも同じ状態だと思う?」

「確実とはいえないけど……たぶん。ぼくは去年ずっと一人で文研の活動をしてたけど、伊瀬さん達にはどうも違う記憶があるみたいなんだ」

「あー、それわかる。あたしもそうだったし。なんか、一年くらい前からいっしょにいた気がするんだよね。不思議なんだけど」

「それって、けっこう鮮明に覚えてる感じ?」

「ううん、今ちゃんと考えてみたら、すっごい曖昧。顔もはっきりとは思い出せなくて、みんなでなんかした場面もぼんやり覚えてるぐらい。……でも」


 茅崎さんはよく思い出そうとするように視線を上向けた。


「…………すごく楽しかった、気がする」


 わずかに声音が弾むのを感じた。


 よく覚えていないけれど楽しかった記憶。


 もしかするとそれが、正しい過去を思い出すことを妨害している原因だろうか?

 誰だって居心地のいい場所からは離れがたいものだ。そういう暗示のようなものがかけられているのかもしれない。肝心の問題は、それをどうすれば元に戻るかなのだけど。


 熟考していると、ふと周囲が静かなことに気付いた。

 茅崎さんは黙ってぼくを見ていた。

 どうやら気を遣ってくれたらしい。


 夕間暮れの堤防に気詰まりな沈黙が落ちる。

 ……反射的に質問してしまったけれど、さっきのは一回にカウントされるのか。


 こういう時に会話下手は困る。話しが詰まったあとの切りだしかたが思い浮かばない。

 茅崎さんの様子を窺っていると目が合って苦笑された。


「あたしはもういーよ。あとは遠原の知りたいことを訊いて? ちゃんと答えられるかわかんないけど」


 そう言われるとこちらの質問したい意欲も萎む。

 情報はほしいが、今この瞬間である必要はない。どうせすぐにどうこうできる問題でもないのだ。むしろ穏便な解決にわずかながらも希望が見えた現状、できるだけ安全マージンをとって取り組んでいきたい。


 なにより、もうそれなりに遅い時間だ。

 暗くなるまで女子を引き留めるのは、防犯面から考えても褒められた話ではない。


「じゃあこれで最後にするよ」

「うん」

「さっき言ってた、茅崎さんのせいっていうのはどういうこと?」

「う……」


 忘れていたのか気まずそうな顔をする。

 あるいは話しづらい内容なのだろうか。


「無理に言わなくてもいいよ」

「うーん……まぁ、話すのは別にいいんだけど…………笑わない?」


 内容によります――とは言いづらいので、素直に頷いておいた。

 何かこちらのツボを突いてくる動機じゃないといいけど。


「……去年のお願いなんだけど」

「お願い?」

「星灯祭の、あるじゃん、ほら。お札燃やすやつ」


 歯切れも悪く茅崎さんが言い淀む。

 もちろん知っている。なにしろ今日はその行事について調べていたのだから。


「あれでさ、あたし…………居場所がほしいって、書いたんだ」


 言葉の意味を噛み砕くのにしばらく時間がかかった。

 居場所――――茅崎さんが?

 ぼくの知る限り、コミュニケーション能力の塊みたいな茅崎さんは友達も多く、その手の悩みとは無縁のように思えていた。

 そういうのはぼくらのような人種が求めるものだ。

 主に、行くあてのない昼休みあたりに。

 それとも彼女は人知れず苦悩していたのだろうか……。


「いや、あんた絶対なんか誤解してる時の顔してるから先に言っとくけど、別に重たい事情とかないから。フツーに気楽に過ごせる場所がほしいって意味だったから」


 釘を刺すように茅崎さんが言った。

 ぼくは絶対に誤解している時の顔があるらしい。さすがに顔に出過ぎでは? 内容よりもそっちのほうがショックだった。


「まさかあんなのが叶うと思わないじゃない。お祭りの願い札なんか、この歳になって真面目に書いてる人いないし」

「茅崎さんは、本当に願いが叶ったんだと思う?」

「だって他に考えられないでしょ。あんな催眠術みたいなことできるやついる?」


 無理だろう……おそらく、人間では。

 結局はそこに行き当たって堂々巡りになる。

 手段について考えるのはそろそろ不毛な気がしてきた。


「まあ誰がやったにせよ、みんなが正しい記憶を思い出せば解決するわけだし……」

「ね、遠原。そのことなんだけどさ、ひとつお願い聞いてくれない?」


 茅崎さんが唐突に手を合わせて申し出をした。

 神様にしか叶えられない願いでなければ、と返そうかと思ったが、悲しいくらい似合わないのでやめておいた。


「みんなにはまだ言わないでほしいんだ。去年の記憶が偽物だってこと」

「え……どうして?」


 訊き返したが、そもそもぼくから明かすつもりはなかった。茅崎さんの事例もあり、余計なことをしなくても自然と思い出すのではないかという希望的観測を抱いたからだ。危機回避のため、できるだけ余計な行動はとらないようにしたい。

 しかし、情報の秘匿を茅崎さんに頼まれる理由がわからなかった。


「こうなってからのこと、ずっと思い出してたんだけどさ。みんな楽しそうじゃなかった?」

「それはまあ……うん」


 ずっと賑やかに会話しているわけではないけれど。

 たまにとりとめのない馬鹿な話をして、読書したり、ゲームをしたり、それぞれが好きなように過ごしていた部室での日々は、きっと全員楽しかったのだろうと感じる。

 少なくとも、嫌な雰囲気になったことは一度もなかった。


「たぶんだけどね。みんな同じなんだと思う」

「同じって?」

「きっとこうなる前から、どっかに自分でいられる場所がほしかったんだろうな、ってこと」


 さっきから彼女の言う「居場所」という言葉の意味が、ぼくにはよく掴めなかった。

 同じ響きで意味が全く違う外国の言語を聞いているようだ。

 知らないあいだに部員になっていたメンバーは、そういうものを持っているはずである。

 教室にも、生まれ育った地元にも。

 本来なら郷土文化研究会になどいるはずのない人達だ。

 ぼくなんかとは違う。

 恵まれているとは言わないが、彼女達がわざわざ辺境のマイナークラブなんかにまでそれを求める理由が思いつかなかった。


「遠原も、さ――――」


 何か言いかけた茅崎さんが口を噤む。

 一文字に引いた唇はやがて緩やかな弧を描き、曖昧な微笑の形を作りだした。


「……ううん、なんでもない」


 その一言でわだかまった空気は綺麗に洗い流された。

 気付けば昼間の暑気は消え去って、肌寒いくらいの風が吹いている。

 六月も終わりとはいえ、山に囲まれた土地は夕方を過ぎればかなり冷える。


「さて! 寒くなってきたし、そろそろ帰ろっか?」

「あ……家まで送るよ、もう暗いし」

「ふーん? 紳士のマナーって感じ?」

「いや、そういう話じゃなくてですね……」

「あははっ。冗談! でもだいじょーぶだって、ここらへんなんて庭みたいなもんだし」


 軽やかに言い放って茅崎さんは歩きだした。

 遠ざかる背中が堤防の階段の前で立ち止まる。

 こちらを振り向いた彼女は三日月みたいに目を細めた。


「今日はありがと。――また明日ね」


 頭の上で軽く手がはためく。

 まごつきながらぼくが手を振り返すと、茅崎さんは白い歯を覗かせて、もう振り向かず颯爽と階段をおりていく。

 だんだん小さくなる後ろ姿を、ぼくは薄暗い堤防に立ち尽くしたまま見送った。



     ◇



 マンションの自室に辿り着くと、着替えもせずベッドに転がった。

 今日はいろんなことが起こりすぎて身体が怠い。

 精神的な疲労が大部分とはいえ、久しぶりに歩き回ったおかげで足も張っている。十代でこの体力のなさはまずいかもしれないとは思いながらも、積極的に改善しようとは思えないレベルのインドア派である。茅崎さんはよくあの厚底で歩行し続けて疲れないものだ。


 このまま寝てしまいたいが、まだやるべきことがあった。惰性に従えば後々つらくなることはわかりきっている。危険を回避するため時には忍耐も必要なのだ。

 眠い目をこすっていると、ヘッドボードから覗く模型飛行機が目についた。

 そっと手にとって顔の上に掲げる。


 薄紙に濃紺色の塗装を施した複葉の水上機、カーチスR3C‐2。

 有名な映画の主人公のライバル機のモデルになった機体。

 ぼくが無味乾燥な中学の三年間を費やして完成させた唯一の作品だ。


 ネットで似たような設計図をいくつか拾い、採寸を合わせ、バルサ材の切り出しから塗装まですべて自分の手で作製した。

 カーチスを選んだ理由はとくになかった。

 たまたまテレビでやっていた古い映画の再放送を見たという、たったそれだけのこと。

 主人公の機体じゃないのは赤より青のほうが好きだったからだ。


 そんないい加減な理由で着手したモデルだけど、さすがにこれだけ作りこめば愛着も湧く。

 一応、飛ぶようには作ってある。けれど実際に飛ばしたことはない。

 これからもその機会はないだろうし、たぶんやってみても飛ばないと思う。

 ゴム動力しかない模型飛行機はいかに空気抵抗を小さく、ウェイトを軽く作るかが重要で、水上機であるカーチスはあきらかにフローターが邪魔だった。投げた瞬間に脚が折れて墜落するのが目に見えている。

 約三年かけて作ったものが一瞬で壊れたら立ち直れないかもしれない。


 無駄に手間暇をかけたことが仇になった。

 飛ぶように試行錯誤して、それで怖くて飛ばせなくなるなど本末転倒もいいところだ。


 そうして本物の空を知らないまま生涯を終えるだろう群青の機体を眺めつつ、ぼくは今日のことを思い返した。

 大変な一日だったが、収穫もあった。

 ――茅崎さんが正しい記憶を取り戻した。

 それで性格が急変するという事態にもならず、まだ今後の推移の観察は必要だが、異常を理解できる人が増えたことは純粋に嬉しい。

 これまでは時々、もしかしたらぼくの頭がおかしいんじゃないかと不安になることもあったのだ。少なくとも四人分の記憶が改竄されている現状、自分だけが正常なままという保証はどこにもない。狂っていたとしても自力では気付けないのが厄介だった。


 これから相談できるかは不明だが、とりあえず自分の立ち位置が間違ってはいないとわかった。それだけでも随分と気持ちは楽だ。茅崎さんのあの様子なら、ぼくが疑われても無実を証言してくれるのではないかという、うっすらとした希望もある。


 ただ、茅崎さんの願いが叶ったのかは……わからない。

 それが原因と断定するには、あまりにも願いの内容が漠然としすぎている。

 母数の広い占いみたいなものだ。いいことあるかも程度の内容なら誰にでもあてはまる。

 居場所がほしかった、と彼女は言った。

 ……本当にそんなものをみんなは求めていたのだろうか?

 考えても結論は出ない。

 考察して自分勝手に論じられるほど、ぼくは彼女達のことを知らなかった。

 知ろうとさえしないまま、この三ヶ月をやり過ごしてきた。

 今もその選択が間違っていたとは思わない。

 正解だったと断言するのは、少し難しくなった。


 もやもやとした得体の知れない感情が胸の底に鬱積するのを自覚しつつ、カーチスを元の場所に戻して立ちあがる。

 再来週に迫った期末試験の勉強をしなければならない。

 日頃から予習と復習をするほうなので切羽詰まってはいない。それでも伊瀬さんよりずっと点数が低いのだから、努力が足りていないか才能がないのだろう。


 とはいえ成績でトップを獲ろうという気概もなければ、東大に現役合格してやろうなどという壮大な目標もない。しかしこういうものは一度サボると駄目になる。癖がつくともう駄目だ。自分が流されやすい性格である自覚はあった。

 勉強しておくだけで得られる安全もあるのだ。

 唯一の生活理念である危機回避をサボるわけにはいかない。

 だらだらと部屋着のジャージに着替えたぼくは、重い足を引きずるようにして使い慣れた机に向かった。













     6月 23日 日曜   晴



   今日は茅崎さんと出掛けた。

   久しぶりに歩き回ったせいで足が痛い。明日は筋肉痛になりそうだ。

   散策は楽しかった。

   茅崎さんにはいろんな場所を教えてもらった。

   大人っぽい人だと思っていたけれど、意外と可愛いところがあって驚いた。

   想像していたより優しい人かもしれない。


   そういえば不思議なことがあった。

   昼間に出た幽霊というのは、結局何だったのだろう?

   茅崎さんもずっと気にしていたようだった。

   明日、伊瀬さんに聞いてみようか。



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