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ボクが暮らしていたところ

 さて、ボクの名前についてのお話をしなければならない。難儀なことである。

 そもそもボクには生まれてから主人に出会うまでの記憶がほとんどないからだ。

 いや、記憶はあったのだけれども、それを伝える手段を持たなかったということだ。つまり、こうして皆さんと会話する方法を教えてくれたのが、主人だということである。そうしたいきさつがあるので、ボクがお話できるのは、爪を立ててじっとしていようとしても、ズルズルと滑っていってしまい、時々グラグラと揺れる場所に閉じ込められていた頃のことからである。


 その場所はたいして広くもなく、たしかまあるい穴がどこかに開いていて、そこから時折り頼りなく揺れる光が差し込んできていたように思う。とても落ち着かなくて、恐いという感覚がずっとし続けていたことを良く憶えている。

 ボクがもつ性質は、ほんらい夜行性であるから、暗いことが恐かったのではなかった。いたい場所に留まれなかったり、足元が異様に揺れることに恐れをなしたのである。

 これは主人と話せるようになってから知ったことだが、ようするにボクは空気穴の開いたボール紙で出来た小さな箱に押し込められてペットショップから主人のもとにやって来たということらしいのだ。もう少し詳しくいえば、ボクを主人のもとに運んだのは主人の彼女だったのだそうだが、ボクからすれば、なんともややこしい話である。

 こうしてボクはそれからさき、住みなれることになるケージと呼ばれる場所に落ち着いたのである。


 おおかたの皆さんは、ハムスター用のケージというものを知っているのだろうから、詳しく説明する必要もないかもしれないが、そういうわけにはいかない。ボクにとってそこはボール紙の部屋と比べたならば、天国みたいに住みやすい場所だったからである。

 足元には夏でも冬でも快適に暮らせるおがくずが敷き詰めらていた。たいがいいつも決まった場所にエサもあったし、水もあった。ボクのもつ運動能力が衰えないように考えられた、回し車というものだってあったし、よじ登って遊べる場所もあった。そして、いつでも安心して眠れる巣穴を模した木でできたハウスもあったのである。

 ボクはそこで、何不自由ない生活ができたのである。もしなにか不満を漏らすとしたら、ケージの向こうには何があるんだろう? という好奇心を満たせなかったことくらいだが、ボクがそうした好奇心を長いこと持ち続けることはなかった。

 まあいいや……すぐにそういう気持ちになるからである。楽天的な性格に生まれたことに感謝するばかりだ。

 ボクがこうした暮らしをはじめた頃、主人からチッチという名前を頂戴したのである。


 なんでも主人たちの世界では名前というものは相当に重要らしいが、ボクにとってどうだったかといえば、そんなことはない。ボクからすれば、チッチであるとか、ジャンガリアンハムスターであるとか、ドワーフハムスターであるとか、そんなことはどうでもよかったのである。

 主人や主人の彼女がボクのことをチッチと呼ぶことには特別抵抗はなかったのだけれど、それとてボクにとってみれば、美味しいエサをもらえるという嬉しい知らせだったということである。

 名前を呼ばれて出向いてみると、ケ-ジの外に出してもらえたりしたこともあったのだが、そんなときはたいがいボクのニオイがしない場所に連れ出されてしまうので、少し落ち着かなかったというのが正直なところだ。けれども、知らない場所を冒険することも、それなりに楽しかったのである。

 主人からすれば脱走したかのようなボクの自由な振る舞いにハラハラとさせられたらしいが、半分はそんなボクを眺めて楽しんでいたのだそうだ。

 主人はボクからしても、わりかしよく出来たヒトだったと思う。ボクが落ちつかないそぶりを見せると、すぐにボクのニオイがするケージに戻してくれたのである。ケージの外が気になってボクが暴れると、そっとすくい出して外の世界を満喫させてくれたこともあったのだ。

 ともかく、ボクはそんな暮らしに満足していたのである。


 んあ、なんだか眠くなってしまったので、また少し眠ることにしよう。

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