表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒトにはなれない異世界転生  作者: vastum


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/71

第57話『飢える巣』

巣は、食べていた。


腐肉獣の死体。


黒鼠の骨。


黒殻狩りの残骸。


骨喰い虫の殻。


下層の黒岩に落ちたものを、群れは少しずつ取り込んでいた。


肉は幼生たちの腹へ入る。


骨は入口に並ぶ。


殻は壁の隙間を塞ぐ。


血は匂いの誘導に使われる。


腐った臓器は巣から遠ざけ、別の魔物を誘う餌にする。


食べられるものは食べる。


使えるものは使う。


危険なものは遠ざける。


それを繰り返すうちに、巣はただの巣ではなくなっていた。


黒岩の空洞に、死体の部品と骨の仕掛けと匂いの道が絡み合っている。


そこを、小さな幼生たちが動く。


一体目は入口へ。


二体目は保存場所へ。


新しく生まれた四体は、まだ奥でまとまっているが、少しずつ歩けるようになってきた。


グレイは中央にいた。


自然と、そこにいる。


全員の音が聞こえる位置。


全員の匂いが届く位置。


入口の骨も、奥の逃げ道も、保存肉も、水場へ続く細い通路も確認できる位置。


それがグレイの場所になっていた。


だが、その中心にいても、落ち着かなかった。


空腹があった。


自分のものではない。


群れの空腹。


それが、巣の中に薄く広がっている。


腐肉獣の死体を手に入れた時、一時的に満たされた。


新しい幼生たちは、柔らかい肉を食べ、眠った。


一体目も、二体目も、少し落ち着いた。


グレイも、群れの満足を受け取り、しばらくは静かでいられた。


だが、足りなかった。


腐肉獣は大きかった。


それでも、六体の幼生には長くもたない。


食べられる部位は減る。


腐る部位は増える。


硬い筋は残る。


毒のある臓器は捨てる。


二体目が、保存場所の前で何度も匂いを嗅いでいた。


食える。


まだ食える。


でも、少ない。


そういう焦りが、二体目から流れてくる。


一体目は入口で動きが荒くなっていた。


外へ出たい。


狩りたい。


取ってくる。


そんな感情。


新しい四体は、もっと単純だった。


空腹。


肉。


足りない。


それだけ。


グレイは、黒岩に爪を立てた。


封鎖のせいだ。


そう思った。


人間が道を潰した。


魔物の流れが変わった。


狩場が乱れた。


水場へ行くにも、人間の気配が増えた。


餌場へ向かう細道は塞がれた。


以前なら、黒鼠が自然に集まる場所があった。


骨喰い虫が多い通路もあった。


腐肉獣が漁る死骸の溜まり場もあった。


今は違う。


封鎖で押された魔物が、一部の道へ偏っている。


強い魔物が弱い魔物を追い、弱い魔物はさらに奥へ逃げる。


巣の近くへ来るものも増えた。


だが、餌として扱いやすいものは減っている。


大型は危険。


硬い魔物は幼生が食べにくい。


毒のあるものは避けなければならない。


肉があっても、全てが餌になるわけではない。


群れは、ただ増えればいいわけではなかった。


増えた分だけ、食えるものを選ぶ必要がある。


それが難しい。


グレイは巣の奥を見た。


新しい幼生の一体が、腐肉獣の骨を齧っていた。


食べられない。


骨の表面に残った肉の匂いを舐めているだけだ。


もう一体は、保存場所の近くで二体目の動きを真似している。


匂いを嗅ぐ。


肉を押す。


食べられるものを探す。


だが、まだ分からない。


腐った部位にも口をつけようとする。


二体目がそれを押し戻す。


弱い鳴き声。


不満。


空腹。


グレイへ流れてくる。


グレイは、低く鳴いた。


「グ」


待て。


その声で、幼生たちは少し静かになる。


だが、空腹は消えない。


声は腹を満たさない。


グレイは立ち上がった。


狩りへ行くしかない。


一体目がすぐ反応する。


入口から戻り、グレイの横へ来る。


「グレ」


連れていけ。


そういう感情。


以前より強い。


グレイは一体目を見た。


もう、完全に巣の奥で待つだけの幼生ではない。


黒灰色の外皮は硬くなり、脚も速い。


小型魔物相手なら、足止めくらいはできる。


二体目ほど匂いに敏くはないが、動きと反応は群れの中で一番鋭い。


連れて行けば、狩りは少し楽になる。


だが、危険も増える。


一体目が傷つけば、群れ全体が揺れる。


死ねば。


その先を考えたくなかった。


グレイは短く鳴いた。


「グ」


駄目だ。


一体目は止まらなかった。


一歩前に出る。


不満。


焦り。


群れの空腹。


それが一体目を押している。


グレイは、強く鳴いた。


「グ!」


今度は一体目が身体を縮めた。


従う。


だが、不満は消えない。


むしろ奥へ沈む。


一体目の中に、グレイの指示とは違う感情が育っている。


自分で判断したい。


自分で動きたい。


それを、グレイは感じた。


嫌な感覚だった。


群れは繋がっている。


だが、全部がグレイではない。


一体目は一体目だ。


二体目は二体目だ。


新しい四体も、これから別々の癖を持つ。


群れが大きくなるほど、全てを止められなくなる。


グレイは、それを少しずつ理解していた。


巣を出る。


一体目は残る。


二体目が奥から顔を上げる。


不安。


餌。


待つ。


グレイは、二体目へ感覚を送る。


守れ。


奥。


幼生。


二体目は静かに鳴いた。


「グレ」


分かった、に近い感覚。


グレイは外へ出た。


入口の骨が鳴る。


からり。


黒殻狩りの死骸の隙間を抜ける。


腐肉獣の肋骨で作った障害物を避ける。


外は、以前より匂いが悪かった。


封鎖の後から、下層全体に死臭が増えている。


逃げ道を失った魔物同士が衝突する。


弱いものが死ぬ。


死体に骨喰い虫が集まる。


腐肉獣が集まり、それをさらに大きな魔物が狙う。


生態系が一箇所へ押し込まれ、濁っている。


グレイは、その匂いを嗅ぎながら進んだ。


狙うのは柔らかい肉。


黒鼠。


小型蛇。


腐肉獣の幼体。


可能なら、まとめて。


水場は危険だ。


人間が監視している。


なら、封鎖で魔物が流れた新しい道を探す。


グレイは、以前塞がれた横穴の手前まで行った。


黒岩の壁。


人間が崩した通路。


そこから別方向へ魔物の匂いが流れている。


小さい足音。


黒鼠の群れ。


押し出されている。


グレイは天井へ上がった。


下の通路を、黒鼠が五匹走ってくる。


追われている。


後ろには骨喰い虫の群れ。


さらに奥に腐肉獣。


流れだ。


弱い魔物が逃げ、それを追う魔物が来る。


この流れを利用する。


グレイは、黒鼠の群れの先へ移動した。


狭い通路。


骨がいくつか落ちている。


それを前脚で弾く。


からっ。


黒鼠が一瞬止まる。


そこへ落ちる。


一匹。


噛む。


二匹目が逃げる。


前脚で押さえる。


三匹目は一体目がいれば止められたかもしれない。


だが、今はいない。


逃げる。


グレイは二匹を仕留めた。


さらに骨喰い虫が追いつく。


二匹。


三匹。


骨喰い虫の中身は幼生にも食べられる。


硬い殻は巣に使える。


殺す。


一匹。


二匹。


三匹目が逃げる。


追わない。


腐肉獣が近づいている。


持ちきれない。


黒鼠二匹。


骨喰い虫二匹。


これだけでも量はある。


グレイは、黒鼠を咥え、骨喰い虫の中身を前脚で押さえながら、巣へ戻る道を選んだ。


途中で、腐肉獣の匂いが近づく。


追われている。


血の匂いに引かれて。


グレイは、黒鼠の一匹を横道へ投げた。


腐肉獣の注意が逸れる。


肉を一つ捨てる。


群れの餌が減る。


だが、巣へ戻るためには必要だった。


そう判断する。


以前なら、何も感じなかった。


今は、捨てた黒鼠の分まで空腹が重くなる。


群れが食べられたはずの肉。


それを失った感覚。


グレイは牙を噛んだ。


巣へ戻ると、入口の骨が鳴った。


一体目が出迎える。


そして、咥えている肉の少なさを感じたのか、焦りが流れてきた。


足りない。


そう思っている。


グレイは低く鳴いた。


「グ」


黙れ。


だが、群れの空腹は黙らない。


二体目が肉を受け取り、奥へ運ぶ。


新しい幼生たちが一斉に動く。


きゅ。


きゅ。


きゅ。


きゅ。


肉。


肉。


肉。


グレイは黒鼠の腹を裂いた。


柔らかい部位を四体へ分ける。


骨喰い虫の中身も押し出す。


量はある。


だが、全員が満ちるほどではない。


一体目と二体目は、ほとんど食べない。


新しい四体へ譲っている。


それがまた問題だった。


成長している二体にも餌は必要だ。


食わなければ動きが鈍る。


外皮も弱る。


防衛もできない。


グレイは、一体目の前へ黒鼠の脚を押した。


食え。


一体目は少し躊躇した。


奥の幼生を見る。


譲ろうとしている。


グレイは強く鳴いた。


「グ」


食え。


一体目はようやく食べた。


二体目にも肉を置く。


二体目は匂いを確認し、少しだけ食べる。


残りを奥へ押そうとする。


グレイは止めた。


「グ」


お前が食え。


二体目も、少しだけ食べる。


群れ全体のため。


それを理解しているのかもしれない。


だが、新しい幼生たちの空腹が強すぎる。


年長の二体は、自然と譲ってしまう。


それが続けば、逆に群れが弱る。


グレイは、食べる順番まで考えなければならないと理解した。


餌があるだけでは足りない。


分配。


優先。


保存。


成長。


防衛。


全部が繋がる。


巣の中央で、肉が減っていく。


一体目が食べ、二体目が食べ、新しい幼生たちが食べる。


それでも、一体だけが満ちていない。


新しい幼生の一体。


小さく、他の三体より少し動きが遅い個体。


いつも餌を取るのが遅れる。


グレイは、その個体を薄く認識していた。


まだ名前はない。


どの幼生にも名はない。


ただ匂いと感覚で分かる。


遅い個体。


その個体が、食べきれなかった。


肉片へ近づいた時には、別の幼生が先に食べていた。


きゅ。


弱い鳴き声。


空腹。


不足。


それが流れる。


グレイは、残った骨喰い虫の中身をその個体へ押そうとした。


だが、別の幼生が横から食いついた。


強い個体。


グレイは低く鳴いた。


「グ!」


強い個体が止まる。


遅い個体へ肉を押す。


遅い個体が食べる。


少しだけ空腹が薄れる。


だが、完全ではない。


肉が足りない。


グレイは保存場所を見た。


ほとんど空。


腐肉獣の硬い筋が少し。


黒殻狩りの殻近くに残った乾いた肉。


幼生向きではない。


それでも、食べないよりはいい。


二体目が、それを見ていた。


匂いを読む。


食べられるか。


危険か。


迷っている。


グレイは硬い筋を噛み砕き、少し柔らかくした。


遅い個体の前へ置く。


食べにくい。


だが、食べる。


きゅ。


少し落ち着く。


その時、巣の入口で一体目が動いた。


外を見ている。


何か来たか。


グレイは感覚を広げた。


外敵ではない。


魔物の匂いも遠い。


人間も近くない。


ではなぜ。


一体目の視線は、入口の外に置いてある古い骨喰い虫の死骸へ向いていた。


以前、捨てたもの。


古い。


食べるには向かない。


毒ではないが、腐り始めている。


匂いが悪い。


グレイは、すぐに低く鳴いた。


「グ」


駄目だ。


一体目は振り返る。


違う。


一体目ではない。


入口の影に、別の幼生がいた。


新しい四体のうちの一体。


いつ出た。


グレイの外皮が硬くなる。


空腹で動いた。


骨の隙間を抜け、入口近くまで出ていた。


小さいから通れた。


見落とした。


その幼生は、古い骨喰い虫の死骸に顔を近づけていた。


二体目が反応するより早く。


グレイが動くより早く。


幼生は、腐りかけの死骸へ口をつけた。


噛む。


食べる。


グレイは一瞬、動けなかった。


勝手な行動。


初めてだった。


グレイの指示ではない。


一体目や二体目の模倣でもない。


空腹に押されて、個体が勝手に動いた。


巣の外へ出て。


禁止したものを食べた。


グレイは飛び出した。


幼生を咥え、死骸から引き離す。


幼生が暴れる。


きゅう!


空腹。


不満。


恐怖。


それらが一気に流れる。


食べたい。


足りない。


食べたかった。


その感情が、あまりにも単純で、強かった。


グレイは幼生を巣の奥へ戻した。


低く鳴く。


「グ!」


制止。


幼生は身体を縮める。


だが、口の周りには骨喰い虫の腐った体液がついている。


二体目がすぐ近づき、匂いを嗅ぐ。


不安。


危険。


毒ではない。


だが、よくない。


グレイは水場へ行くべきか迷った。


洗う。


だが、外は危険。


人間もいる。


今は動かせない。


幼生は震えながらも、まだ空腹だった。


腐った死骸を少し食べただけ。


満ちていない。


グレイは、その幼生の前に硬い筋肉を置いた。


幼生は食べようとする。


だが、うまく噛めない。


苛立ち。


また外へ行きたがる感覚。


グレイは、ぞっとした。


これは、ただの命令違反ではない。


個体の意思だ。


空腹に従った。


グレイの制止より、空腹が勝った。


群れが増えれば、こういうことが増える。


全ての空腹を同時に満たせなければ、誰かが勝手に動く。


誰かが外へ出る。


腐ったものを食べる。


人間の匂いを追う。


危険な声を出す。


止めきれない。


一体目が、入口から戻ってきた。


その幼生を見る。


怒りではない。


困惑。


なぜ従わなかった。


そんな感覚。


二体目は、腐った匂いを消そうと幼生の口元を舐めている。


グレイは、その光景を見ながら理解した。


群れは個を持ち始めている。


繋がっている。


でも、全部が同じではない。


一体目は守ろうとする。


二体目は嗅ぎ、整える。


遅い個体は餌を取り損ねる。


強い個体は奪う。


そして今、空腹で外へ出た個体がいる。


グレイの意思だけでは、群れはもう完全には動かない。


それは成長だった。


同時に危険だった。


グレイは、入口の外へ出た。


古い骨喰い虫の死骸を咥え、遠くへ捨てる。


もっと遠く。


巣から匂いが届かない場所へ。


戻る途中、封鎖された横穴の方で人間の音がした。


ごん。


杭を打つ音。


また世界が狭くなる。


グレイは、その音を聞きながら、牙を噛んだ。


飢えさせられている。


そう感じた。


人間は直接攻撃していない。


だが、道を塞ぎ、狩場を歪め、魔物の流れを変え、群れを飢えさせている。


その結果、幼生が腐った死骸を食べた。


勝手に外へ出た。


危険に近づいた。


これも、人間が押した結果なのか。


それとも、増えた自分たちが悪いのか。


分からない。


ただ、空腹は現実だった。


巣へ戻ると、幼生たちは静かになっていた。


食べられる肉はほとんどない。


空腹はまだ残る。


だが、疲れて眠り始めている。


満ちた眠りではない。


諦めに近い眠り。


それが群れ全体へ重く沈む。


グレイは中央に座った。


一体目は入口。


二体目は奥。


四体の幼生は固まって眠る。


そのうちの一体だけ、口元にまだ腐った匂いが残っている。


グレイは、その匂いを忘れない。


群れが飢えると、個が勝手に動く。


その事実を。


今日、巣は初めてグレイの手から少しだけ外れた。


ほんの少し。


小さな幼生が、死んだ骨喰い虫を食べただけ。


だが、それは大きかった。


グレイは、静かに自分の名を呼んだ。


「グレイ」


一体目が返す。


「グレ」


二体目も。


「グレ」


眠っている幼生たちは、今日はすぐに返さなかった。


空腹で疲れている。


少し遅れて、一体だけが小さく鳴いた。


「グ……」


それは、腐った死骸を食べた個体だった。


グレイは、その弱い声を聞きながら、目を閉じた。


群れは一つだ。


だが、一つではない。


そして飢餓は、その綻びから入り込む。


巣はまだ生きている。


けれど、確かに飢えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ