第45話『巣の外』
異変に気づいたのは、静かすぎたからだった。
巣の中に、幼生たちの音がない。
いつもなら聞こえる。
骨を鳴らす音。
黒岩を掻く音。
小さな鳴き声。
「グレ」
そのどれもない。
グレイは、巣の奥で目を開けた。
感覚を広げる。
匂い。
呼吸。
振動。
二体とも、近くにいない。
繋がりはある。
完全に切れてはいない。
だが、遠い。
入口側。
しかも、巣の外。
グレイの身体が一瞬で硬くなった。
外。
勝手に出た。
以前、一体目が入口近くまで出たことはある。
だが、今回は違う。
もっと遠い。
巣の外の通路。
しかも、動いている。
グレイは即座に身体を起こした。
入口の骨を抜ける。
からり。
自分で鳴らした音。
その先。
幼生たちの匂い。
二体ともいる。
そして、外の匂いも混ざっている。
黒鼠。
水場。
骨喰い虫。
さらに遠く、人間。
グレイは低く唸った。
幼生たちは、巣の外へ出ていた。
なぜ。
すぐに答えは浮かぶ。
模倣。
グレイが外へ出るから。
狩りへ行くから。
骨を避けて歩くから。
水場へ行くから。
幼生たちも、それを真似している。
巣の外へ出ることまで。
グレイは通路を進んだ。
足音を消す。
骨を鳴らさない。
いつも通り。
だが、感覚の奥で焦りが広がっている。
幼生たちの不安も流れてくる。
興奮。
怖い。
でも進む。
そういう感情。
入口近くの細い通路を抜けると、すぐに見つけた。
一体目。
二体目。
二体とも、水場へ続く通路の途中にいる。
一体目が前。
二体目が後ろ。
まるで、グレイがいつも通る順番だった。
一体目が止まる。
匂いを嗅ぐ。
二体目も止まる。
真似している。
グレイは、少し離れた場所でその様子を見た。
以前なら、すぐに連れ戻した。
だが、今は違う感情が浮かぶ。
成長している。
巣の外を学んでいる。
その感覚。
同時に、危険だという感覚もある。
外は巣ではない。
骨の配置も少ない。
大型魔物も来る。
人間も通る。
幼生たちは弱い。
黒鼠一匹にも勝てない。
だが、一体目は警戒していた。
通路の先。
水場側。
そこに骨喰い虫がいる。
匂いを拾っている。
一体目が低く身体を伏せる。
グレイの真似。
二体目も伏せる。
その時、骨喰い虫が動いた。
通路の角から這い出る。
一匹。
小型。
だが、幼生には十分危険。
グレイが飛び出そうとした瞬間だった。
一体目が、小石を前脚で弾いた。
からっ。
骨喰い虫がそちらを見る。
その隙に、一体目が二体目を押した。
壁際へ。
グレイは動きを止めた。
見覚えがある。
自分がやった。
狩りの時。
黒殻狩りを誘導した時。
小石を落として注意を逸らした。
一体目は、それを真似した。
骨喰い虫が小石へ近づく。
一体目は動かない。
息を潜める。
二体目も震えながら止まっている。
グレイは、天井から見下ろしていた。
幼生たちは、グレイの狩りを覚えている。
ただ後ろをついてくるだけじゃない。
意味を理解し始めている。
骨喰い虫が通路を曲がり、幼生たちから離れる。
その瞬間、一体目が動いた。
二体目を押しながら、水場側へ走る。
小さい。
遅い。
だが、判断は悪くない。
グレイは追わずに見守った。
二体は水場近くまで辿り着く。
そこで止まる。
水。
湿った黒岩。
外の空気。
巣より広い空間。
二体とも、明らかに緊張していた。
その不安が、グレイへ流れてくる。
怖い。
でも見たい。
匂いを知りたい。
グレイがいつも行く場所。
そんな感情。
一体目が水へ顔を近づける。
飲む。
二体目も真似する。
その時。
遠くで重い振動が響いた。
どん。
どん。
大型魔物。
グレイは即座に警戒した。
下層の奥にいるはずのものが近い。
黒岩が震える。
幼生たちも固まった。
一体目はすぐに二体目の前へ出る。
守る位置。
それも真似だった。
グレイがいつもしている。
巣で。
入口で。
危険の前に立つ。
その動き。
大型魔物の匂いが近づく。
岩喰い種。
下層中型。
鈍重だが硬い。
幼生なら踏み潰される。
グレイは、天井から移動した。
幼生たちを連れ戻す。
そう決めた。
だが、岩喰い種が先に通路へ現れる。
大きい。
黒い殻。
鈍い脚。
口の周囲に岩片がついている。
幼生たちは完全に止まった。
不安が一気に流れてくる。
怖い。
逃げたい。
でも動けない。
グレイは、すぐに小石を落とした。
からっ!
岩喰い種が顔を上げる。
グレイは天井から別方向へ移動し、さらに骨を落とした。
からり!
音を散らす。
岩喰い種の注意が逸れる。
幼生たちへ、低く鳴く。
「グ」
逃げろ。
一体目が反応した。
二体目を押す。
巣方向へ走る。
グレイは、岩喰い種の視線を引きつけ続けた。
完全には戦わない。
時間を稼ぐ。
岩喰い種がこちらへ向かう。
遅い。
だが、狭い通路では厄介だ。
グレイは壁を走り、岩片を落とす。
別方向で骨を鳴らす。
誘導。
幼生たちが巣へ戻るまで。
その時、二体目が転んだ。
骨へ脚を引っかける。
からっ!
大きい音。
岩喰い種が反応する。
通路を曲がる。
幼生たちが見える。
まずい。
グレイは迷わなかった。
天井から落ちる。
岩喰い種の顔へ直接。
牙を入れる。
硬い。
浅い。
だが、視界を塞げる。
岩喰い種が暴れる。
グレイはすぐ離れる。
別方向へ走る。
岩喰い種が追う。
その隙に、一体目が二体目を引きずった。
巣方向。
必死に。
グレイは、その動きを見ていた。
守っている。
一体目が二体目を。
群れ。
その感覚が強くなる。
グレイは岩喰い種をさらに奥へ誘導した。
狭い裂け目。
自分しか通れない場所。
そこへ入り、天井へ張りつく。
岩喰い種は通れない。
怒り、壁を噛む。
鈍い音。
だが、もう幼生たちは遠い。
グレイは別の道から巣へ戻った。
入口の骨。
からり。
巣の中。
幼生たちの匂い。
生きている。
グレイが奥へ入ると、二体ともすぐに寄ってきた。
震えている。
特に二体目。
恐怖が強い。
一体目は、それでもグレイの前へ立とうとしていた。
守るように。
その姿勢に、グレイは少しだけ目を細めた。
模倣。
完全に。
一体目は、自分がされてきたことを真似している。
守る。
前に立つ。
誘導する。
音を使う。
それを、二体目へ向け始めている。
《眷属間防衛行動を確認》
《群体連携が初期段階へ移行しています》
連携。
グレイは、二体を見た。
まだ弱い。
外へ出れば死ぬ。
さっきも危なかった。
もし自分がいなければ、岩喰い種に踏み潰されていた。
だが、それでも、一体目は考えて動いた。
小石を使い。
二体目を守り。
逃げ道を選んだ。
グレイの真似。
でも、完全な真似ではない。
自分たちなりに使っている。
グレイは、二体を奥へ押し戻した。
「グ」
強めの音。
今日はもう外へ出るな。
そういう意味を込める。
二体は従った。
不安。
疲労。
少しの興奮。
その感情が流れてくる。
特に一体目には、達成感に近いものがあった。
外へ行けた。
グレイの場所へ行けた。
生きて帰れた。
その感覚。
グレイは、それを感じながら、巣の入口へ戻った。
骨の配置を確認する。
乱れている。
二体目が転んだ骨。
位置が悪かった。
幼生たちにはまだ通りづらい。
グレイは骨を少しずらした。
小さい身体でも動きやすいように。
その作業をしている時、自分で気づいた。
変えている。
幼生たちに合わせて。
以前なら、自分が動きやすければよかった。
今は違う。
幼生が通る。
転ばない。
逃げやすい。
それを考えて骨を置いている。
巣そのものが、一匹用ではなくなっている。
グレイは、巣の奥を見た。
幼生たちは寄り添っている。
一体目が、二体目の傷ついた脚を舐めていた。
岩喰い種から逃げる時に擦ったのだろう。
グレイは近づいた。
二体が顔を上げる。
「グレ」
「グレ」
呼ぶ。
安心が流れてくる。
グレイは、二体の近くに身体を丸めた。
今日は死にかけた。
幼生たちは、初めて本当の外の危険に触れた。
それでも戻ってきた。
それは成長なのか。
ただの無謀なのか。
分からない。
だが、もう巣の外を知ってしまった。
これからも出たがるだろう。
グレイが行く場所を。
グレイが見る世界を。
真似しようとする。
それを完全に止めることは、もうできない気がした。
グレイは、巣の天井を見上げた。
黒い岩。
湿った空気。
骨の音。
以前は、この狭い空間だけで十分だった。
今は違う。
幼生たちが広がる。
巣も広がる。
感覚も広がる。
そして、危険も広がる。
群れは強い。
でも、群れは必ず巣の外へ出る。
それを、今日初めて理解した。
グレイは目を閉じた。
幼生たちの呼吸。
安心。
疲労。
まだ残る恐怖。
それが全部流れてくる。
グレイは、小さく牙を鳴らした。
こつ。
すると、一体目が同じように真似する。
こつ。
二体目も遅れて。
こつ。
巣の中で、三つの音が重なった。
それは警戒の音ではなかった。
群れが生きて戻った音だった。




