第44話『模倣』
最初に気づいたのは、歩き方だった。
グレイは巣の入口近くで止まった。
骨の配置を変えたばかりだった。
入口の右側。
黒岩の裂け目。
そこへ細い骨を一本追加する。
大型魔物なら踏み砕く。
小型なら引っかかる。
人間なら、重さで長く鳴る。
そう計算して置いた。
その時、後ろで骨が鳴った。
から。
軽い。
幼生。
グレイは振り返る。
一体目が、骨を避けて歩いていた。
ただ避けただけではない。
グレイがいつも通る位置。
骨を鳴らしにくい足運び。
それを真似している。
一歩。
止まる。
前脚を少し浮かせる。
骨の隙間へ脚を下ろす。
からり。
微かに鳴る。
だが、小さい。
以前より確実に音が減っている。
二体目も後ろからついてくる。
こちらはまだ下手だ。
骨へ脚をぶつける。
からっ。
少し大きい音。
二体目がびくりと止まる。
一体目が振り返る。
そして、自分が通った場所を前脚で示すように叩いた。
から。
小さい音。
二体目がその位置を真似する。
今度は鳴らない。
グレイは、しばらく動けなかった。
教えていない。
だが、見ていた。
グレイがどう動くか。
どこを通るか。
どこで止まるか。
それを幼生たちは覚えている。
声だけではない。
匂いだけでもない。
行動そのものを。
模倣。
その言葉が浮かぶ。
《眷属間行動模倣を確認》
《群体学習が進行しています》
頭の奥の声が響く。
グレイは、一体目を見た。
傷跡のある幼生。
二体の中で成長が早い。
動きも鋭い。
骨を鳴らさない歩き方。
黒岩へ脚を置く位置。
匂いを嗅ぐ前の静止。
全部、グレイに似ている。
まるで、小さなグレイが増えているみたいだった。
その感覚に、グレイは少し寒くなった。
幼生たちは、ただの子ではない。
群れの一部。
自分の行動を引き継ぐもの。
もし増え続ければ。
もっと増えたら。
この洞窟に、自分の動きをするものが何体も現れる。
その想像は、どこか不気味だった。
だが同時に、強い。
一体だけでは届かない場所に届く。
入口。
水場。
裂け目。
別々に動き、別々に匂いを拾う。
それが全部、自分へ返ってくる。
グレイは巣の奥へ戻った。
幼生たちもついてくる。
最近、二体は常にグレイの後ろを歩くようになっていた。
以前はただ寄ってくるだけだった。
今は違う。
グレイが動けば、その軌道をなぞる。
止まれば止まる。
匂いを嗅げば、自分たちも嗅ぐ。
骨を動かせば、真似して骨を押す。
水を飲めば、同じように水へ顔を近づける。
全部が模倣だった。
グレイは水場への短い通路を進んだ。
天井は低い。
黒岩が湿っている。
ここは、以前グレイが何度も逃げ込んだ場所だ。
骨喰い虫に追われた時。
黒殻狩りから逃げた時。
人間の気配を感じた時。
狭く、暗く、音が響きにくい。
だから覚えている。
グレイは、そこで立ち止まった。
匂い。
外。
遠くに黒鼠。
さらに遠く、人間。
今日は近くない。
安全。
グレイは水を飲んだ。
後ろで、小さな水音が二つ続く。
幼生たちも飲んでいる。
その時、一体目が急に身体を低くした。
ぴたりと動きを止める。
グレイは反射的に警戒した。
だが、外敵ではない。
一体目が、グレイを見ていた。
そして、同じ姿勢を真似している。
水場へ来た時、グレイはいつもそうする。
身体を低くし、匂いを探り、周囲の振動を読む。
その動きを、一体目が真似している。
二体目も、少し遅れて身体を低くする。
不格好。
だが、同じ姿勢。
グレイは、その様子を見ていた。
模倣。
ここまで来ると、ただの学習ではない。
群れとして同じ動きを共有し始めている。
グレイは水場を離れた。
帰る途中、黒鼠の匂いを拾う。
小さい。
単独。
狩れる。
グレイは幼生たちへ低く鳴いた。
「グ」
待て。
二体は止まる。
だが、目はグレイを追っている。
グレイは壁を登り、黒鼠へ近づいた。
いつもの狩り。
天井。
死角。
落下。
首。
短く終わる。
黒鼠が痙攣し、静かになる。
グレイは咥えた。
その時だった。
後ろで骨が鳴る。
からっ。
グレイは即座に振り返った。
二体目。
待てと言ったのに、ついてきた。
しかも骨を鳴らした。
最悪だ。
匂いが散る。
音が響く。
黒鼠の群れが近くにいれば逃げる。
大型魔物がいれば気づかれる。
グレイは低く唸った。
「グ」
強い音。
叱責に近い。
二体目が身体を縮める。
不安。
恐怖。
その感情が薄く流れてくる。
一体目も止まる。
だが、一体目は違った。
グレイと黒鼠の死体を交互に見ている。
何かを考えている。
その匂いが、グレイにも少し流れた。
狩り。
餌。
運ぶ。
そんな曖昧な感覚。
一体目は、黒鼠へ近づいた。
グレイは止めようとした。
だが、一体目は黒鼠の脚を咥えた。
小さい顎。
まだ力は弱い。
それでも、引っ張る。
巣へ運ぼうとしている。
グレイは動きを止めた。
理解している。
狩った後、巣へ運ぶ。
餌を保存する。
群れの行動。
それを模倣している。
二体目も近づく。
こちらは怖がりながら。
それでも、黒鼠の尾を咥える。
二体で引く。
黒鼠がずるりと動く。
幼生たちは嬉しそうだった。
「グレ」
「グレ」
鳴く。
できた。
運べる。
そういう感情。
グレイは、何も言えなかった。
以前なら、自分だけで狩り、自分だけで運んだ。
今は違う。
幼生たちが、自分の行動を真似し、手伝い始めている。
それは群れだった。
まだ弱い。
遅い。
危険。
でも、確かに群れ。
グレイは周囲を警戒しながら、幼生たちを見守った。
途中で黒鼠が重くなり、一体目が滑る。
二体目が転ぶ。
骨が鳴る。
からり。
それでも、また咥え直す。
グレイは、少しだけ黒鼠を押した。
手伝う。
その瞬間、一体目の感情が流れ込んできた。
強い。
熱い。
嬉しい。
グレイと一緒。
それに近い感覚。
グレイは、胸の奥がざわつくのを感じた。
自分は今、幼生たちと一緒に狩りを運んでいる。
以前の一人の生存とは、まるで違う。
巣へ戻ると、幼生たちは黒鼠を保存場所へ押し込もうとした。
位置が悪い。
匂いが漏れる。
グレイは前脚で場所を変えた。
奥へ。
黒岩の陰。
そこなら匂いが流れにくい。
一体目がそれを見る。
そして、自分でも黒鼠を押し直した。
真似。
覚える。
二体目も続く。
グレイは、その様子を見ていた。
模倣は止まらない。
骨の置き方。
歩き方。
狩り。
餌運び。
保存。
全部が幼生たちへ移っていく。
《行動継承率が上昇しています》
《群体内役割分化の初期兆候を確認》
役割分化。
グレイは、その言葉に少し引っかかった。
役割。
群れの中で。
一体目は動きが速い。
模倣も早い。
二体目は遅い。
だが、匂いへの反応が強い。
入口近くで外の気配を拾うことが多い。
違いが出始めている。
同じではない。
それでも、どちらもグレイを真似る。
グレイは、巣の入口へ向かった。
外の匂いを確認する。
人間は遠い。
大型魔物も近くない。
静か。
その時、後ろで一体目が低く身体を伏せた。
グレイの真似。
外を警戒する姿勢。
二体目も、少し遅れて伏せる。
巣の入口で、三体が同じ姿勢をしていた。
グレイは、その光景を見て奇妙な感覚を覚えた。
まるで、自分の身体が増えている。
同じ姿勢。
同じ警戒。
同じ動き。
完全ではない。
だが、似ている。
一体目は特に似ていた。
もしもっと成長したら。
もっと真似を覚えたら。
自分と区別がつかなくなるのではないか。
そんな不安が、一瞬浮かぶ。
だが同時に、頼もしさもあった。
入口を守る目が増える。
骨を鳴らす耳が増える。
匂いを嗅ぐ鼻が増える。
群れは強い。
だから人間も群れる。
レオンも。
ラグドも。
セヴィルも。
皆、複数で動いていた。
グレイは、その記憶を思い出しかけて、すぐに押し沈めた。
違う。
自分は人間じゃない。
これは群体。
生存。
適応。
そう言い聞かせる。
だが、幼生たちの行動を見ていると、どうしても人間の記憶と重なる瞬間がある。
誰かの真似をする。
動きを覚える。
声を覚える。
役割を持つ。
それは、あまりにも人間に近かった。
その夜。
巣の奥で、幼生たちは骨を並べていた。
グレイが入口でやっていたように。
不格好。
意味のない配置も多い。
だが、一体目は骨の鳴り方を確認している。
から。
からり。
音が違う。
二体目が真似する。
グレイは、少し離れた場所からそれを見ていた。
誰も教えていない。
でも、群れは育っている。
巣の中で。
グレイの模倣から。
グレイは、静かに目を閉じた。
幼生たちの感情が流れる。
安心。
満足。
学習。
そして、グレイへの強い依存。
その全部が混ざる。
グレイは、自分が“中心”になっていることを理解していた。
群れの核。
巣主。
模倣されるもの。
それは力だ。
だが、もし自分が壊れたら。
もし人間に殺されたら。
この幼生たちはどうなる。
模倣元を失った群れは。
グレイは、その想像を振り払った。
まだ死なない。
死ねない。
群れがある。
幼生がいる。
その事実が、以前より強く生存本能を刺激していた。
一人の時は、自分だけが生きればよかった。
今は違う。
群れごと生き残る必要がある。
グレイは、幼生たちの骨遊びを見ながら、静かに牙を鳴らした。
その音を、一体目が真似した。
こつ。
小さい音。
不完全。
だが、確かに真似だった。
グレイは、その音を聞きながら、暗い巣の中で静かに目を開けた。
模倣は、もう止まらない。
幼生たちはグレイを真似し、グレイは群れへ広がっていく。
それは繁殖とも違う。
継承に近かった。
自分という形が、少しずつ巣の中へ複製され始めている。
その事実が、恐ろしくもあり、どこか満たされるようでもあった。




