表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒトにはなれない異世界転生  作者: vastum


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/45

第43話『死骸運び』

最初に異変に気づいたのは、匂いだった。


巣の奥に、あるはずのない腐臭がある。


グレイは身体を起こした。


眠っていたわけではない。


巣の中で静かに感覚を薄く広げていた。


入口の骨。


水場へ続く道。


幼生たちの呼吸。


外の小型魔物の動き。


遠くの人間の心音。


それらを薄く拾いながら、身体を休めていた。


その中に、ふいに混ざった。


腐肉の匂い。


新しくはない。


だが、古すぎもしない。


小型魔物の死骸。


骨喰い虫に食われかけた肉に近い。


巣の中にそんなものを置いた覚えはなかった。


グレイは巣の奥を見た。


幼生が二体、そこにいた。


一体目と二体目。


どちらも、以前より少し大きくなっている。


まだ狩りはできない。


だが、巣の中なら自由に歩ける。


骨を鳴らし、匂いを嗅ぎ、グレイの動きを真似る。


最近は、肉を食べる時も少しずつ自分で噛めるようになってきた。


その二体が、何かを前脚で押していた。


小さな死骸。


黒鼠の半分ほどの大きさ。


たぶん、骨喰い虫に食われかけた虫型魔物。


どこかから拾ってきたのだ。


巣の外へ出たのか。


グレイは、一瞬で身体を硬くした。


入口の骨は鳴ったか。


鳴った。


そういえば、少し前に軽く鳴った。


小型魔物だと思って、放置した。


それが幼生だったのか。


巣の外へ出た。


勝手に。


グレイは、二体へ近づいた。


幼生たちはグレイに気づくと、同時に鳴いた。


「グレ」


「グレ」


声に、妙な感情が混ざっていた。


不安ではない。


空腹でもない。


得意げ。


そんなものに近い。


グレイには、その感情が分かった。


見つけた。


持ってきた。


巣へ。


そういう感覚。


グレイは、死骸を見た。


古い肉。


食べられなくはない。


だが、巣の中へ持ち込むべきものではない。


腐臭が残る。


骨喰い虫を呼ぶ。


病気のようなものがあるかもしれない。


毒も分からない。


グレイは死骸を咥え、巣の外へ運んだ。


幼生たちが慌ててついてくる。


「グレ」


「グレ」


不満。


捨てるな。


そういう感情が薄く流れてくる。


グレイは外へ出ると、死骸を巣から離れた裂け目へ放った。


これを食べるなら、外で食べる。


巣へ持ち込むな。


そういうつもりで、低く音を出した。


「グ」


幼生たちは止まった。


だが、完全には納得していない。


一体目が死骸の方向を見て、またグレイを見る。


二体目は、巣の入口の骨を前脚で触る。


から。


音が鳴る。


その音に、グレイは少し苛立った。


これは遊びではない。


巣の警戒網だ。


だが、幼生たちにとっては違うのかもしれない。


骨。


音。


匂い。


死骸。


全部が、学習の対象になっている。


グレイがやっていることを、幼生たちは見ている。


そして真似る。


骨を置く。


餌を運ぶ。


死体を隠す。


巣を整える。


グレイがそうしてきたから。


幼生たちは、それを巣の行動として覚え始めている。


グレイは、巣の入口に戻った。


二体も戻る。


その時、入口の外側に、小さな黒岩喰いの殻が置かれていることに気づいた。


自分が置いたものではない。


二体のどちらかが持ってきたのだ。


巣の入口近く。


骨と殻の列に混ざるように。


グレイはそれを見て、しばらく動かなかった。


配置が、悪くない。


踏めば鳴る。


軽い音だが、入口の隙間を少し狭めてもいる。


幼生が置いた。


偶然か。


それとも、真似たのか。


グレイは一体目を見た。


一体目は、グレイの視線に反応して近づく。


「グレ」


そして、前脚でその殻を軽く押した。


から。


音が鳴る。


グレイの中に、奇妙な感覚が広がった。


教えていない。


いや、見せてはいる。


骨を置く。


殻を並べる。


鳴る位置を変える。


それを幼生たちは見ていた。


声を真似たように、行動も真似ている。


そして、完全ではないが、意味に近づいている。


これは巣を守るもの。


そう理解し始めているのかもしれない。


《眷属による巣形成行動を確認》


《模倣学習が進行しています》


《群体内行動継承が発現しかけています》


行動継承。


グレイは、その言葉を聞いて少しだけ冷えた。


自分がしたことが、幼生へ移る。


声だけではない。


匂いの読み方。


骨の置き方。


死骸の扱い。


餌を運ぶこと。


巣を整えること。


全部、見られている。


そして、真似されている。


自分の行動が、群れの行動になる。


グレイは、幼生たちを奥へ戻した。


しかし、その日のうちにまた異変が起きた。


水場へ行って戻った時、巣の入口近くに小さな死骸が二つ置かれていた。


黒鼠の足。


骨喰い虫の半分。


どちらも、幼生たちが運んだものだ。


一体目は、黒鼠の足を前脚で押している。


二体目は、骨喰い虫の死骸を噛もうとしている。


食べるために持ってきたのか。


巣へ溜めるためか。


分からない。


グレイは死骸を調べた。


黒鼠の足は新しい。


食べられる。


骨喰い虫は古い。


捨てるべき。


グレイは骨喰い虫を咥え、外へ捨てた。


黒鼠の足は残した。


幼生たちに見える位置で、食べられるものと食べられないものを分ける。


グレイがそうすると、幼生たちはじっと見ていた。


次に、二体目が黒鼠の足を嗅ぐ。


一体目が骨喰い虫を捨てた方向を嗅ぐ。


二体とも、何かを覚えようとしている。


グレイは低く鳴いた。


「グ」


意味が伝わるか分からない。


だが、幼生たちは静かになった。


食べられるもの。


捨てるもの。


巣に入れていいもの。


駄目なもの。


そんな区別を、これから教える必要があるのかもしれない。


教える。


また、その言葉。


自分が教える側になっている。


グレイは、その事実に慣れなかった。


それでも、やらなければ巣が危険になる。


幼生たちは何でも持ち込む。


腐った死骸も。


毒のある殻も。


匂いの強い肉も。


それを放置すれば、巣が壊れる。


だから、教える。


巣を守るために。


幼生を守るために。


その日の後半、グレイは外へ出た。


幼生たちには奥にいるよう短く鳴いた。


「グ」


だが、完全には従わない。


二体は少しずつ入口へ近づいてくる。


外へ興味を持っている。


危険だ。


しかし、ずっと閉じ込めても育たない。


そう思ってしまう自分もいる。


グレイは巣の入口近くで、小型魔物を一匹狩った。


黒鼠。


あえて幼生たちの見える場所で。


首を噛む。


血を流しすぎない。


すぐに巣へ引きずる。


食べられる部位を裂く。


幼生たちは見ていた。


そして、食べた。


食べ終えると、一体目が死骸の残りを咥えようとした。


小さい顎で。


うまく持ち上がらない。


二体目も手伝うように押す。


二体で、黒鼠の残骸を巣の奥へ運ぼうとする。


グレイはそれを止めなかった。


今回は、食べられる残りだ。


保存場所へ運ぶならいい。


二体は不器用に押し、引きずり、何度も倒しながら、巣の奥へ残骸を運んだ。


途中で骨が鳴る。


から。


からり。


二体が驚く。


それでも運ぶ。


巣の奥の保存場所へ。


グレイが今まで肉片を置いていた場所だ。


そこへ、残骸を押し込む。


グレイは、ただ見ていた。


死骸運び。


それは、幼生たちが初めて自分たちで巣のためにした行動だった。


食うだけではなく、運ぶ。


保存する。


それは群れの行動だった。


グレイは、奇妙な重さを感じた。


幼生たちは育っている。


ただの弱い命ではなくなっている。


まだ狩れない。


戦えない。


だが、巣の行動を覚えている。


それは嬉しいのか。


怖いのか。


分からなかった。


そして、その夜。


もっと不気味なことが起きた。


遠くで人間の匂いがした。


新しくはない。


古い。


血。


死体。


レオンの時とは違う。


かなり前に死んだ人間の匂い。


下層のどこかに置き去りにされた、あるいは回収されなかった死体。


グレイは、その匂いを拾った瞬間に動きを止めた。


人間の死体。


近づくな。


ラグドの言葉が頭に響く。


人間の死体に近づくな。


生きたいなら、人を食うな。


グレイはその方向を避けようとした。


だが、一体目の幼生が反応した。


鼻を上げる。


いや、鼻ではない。


身体全体で匂いを拾っている。


二体目も反応する。


「グレ」


小さく鳴く。


その声には空腹とは違うものがあった。


興味。


不安。


引かれる感じ。


グレイは、すぐに低く鳴いた。


「グ」


制止。


だが、幼生たちは完全には止まらない。


巣の入口の方へ向かおうとする。


人間の死体の匂いに引かれている。


なぜ。


グレイの嗜好が移っているのか。


グレイが人間を食べたから。


レオンを食べたから。


その記憶が群体の中に薄く残っているのか。


グレイはぞっとした。


幼生たちは人間を食べていない。


それなのに、人間の死体に反応している。


グレイを通じて。


匂いの共有で。


人間の味への記憶が、群れへ滲んでいるのかもしれない。


グレイは、幼生たちの前に立ちはだかった。


低く、強く鳴く。


「グ」


今度は明確に止める。


二体は止まった。


だが、不満と不安が流れてくる。


行きたい。


知りたい。


持ってきたい。


その感情が薄く分かる。


持ってきたい。


グレイは、その感覚に凍りついた。


幼生たちは、人間の死体を餌としてだけ見ていない。


巣へ運ぶものとして見ている。


なぜ。


レオンの死体を、自分はどうした。


食べた後、裂け目へ押し込んだ。


巣へ持ち込まなかった。


だが、隠した。


守るように。


保存するように。


埋めるように。


あの曖昧な行動を、幼生たちは感覚として受け取っていたのかもしれない。


人間の死体は、特別に扱う。


そう学んでしまったのかもしれない。


グレイは、外の匂いを確認した。


古い人間の死体。


近くに大型魔物はいない。


骨喰い虫は少しいる。


危険はあるが、すぐではない。


行くべきではない。


だが、匂いは強い。


幼生たちが反応している。


もし放置すれば、勝手に向かうかもしれない。


それはもっと危険だ。


グレイは決めた。


自分が確認する。


幼生たちは巣に残す。


グレイは、二体を奥へ押し戻した。


「グ」


待て。


幼生たちは不安そうに鳴く。


「グレ」


「グレ」


グレイはもう一度低く鳴き、巣を出た。


人間の死体の匂いへ向かう。


近づくほど、レオンの記憶が揺れる。


人間の肉。


血。


記憶。


名前。


グレイは牙を噛みしめた。


食べない。


見るだけ。


処理する。


巣へ持ち込まない。


そう決める。


やがて、死体を見つけた。


小さな横穴の奥。


人間。


骨が見えている。


肉はかなり失われている。


顔は分からない。


装備も破れている。


かなり前に死んだ探索者だろう。


名前は知らない。


匂いも古い。


血の記憶も薄い。


食べても、レオンほど強いものは得られないかもしれない。


それでも、人間の匂いは特別だった。


グレイの身体が反応する。


舐めたい。


噛みたい。


知りたい。


だが、死体は古い。


記憶も腐っている。


危険。


グレイは近づかないようにしながら周囲を確認した。


骨喰い虫が二匹いる。


グレイはそれを殺した。


死体へ近づくものを排除した形になった。


まただ。


なぜ守る。


食べないなら、骨喰い虫が食べても同じはずだ。


だが、気分が悪かった。


人間の死体を、骨喰い虫が齧っているのを見ると、胸の奥がざらつく。


レオンの記憶か。


人間の死体を特別扱いする感覚。


それが、グレイの中に残っている。


グレイは、人間の死体の一部に黒岩の欠片をかけた。


埋めるように。


完全ではない。


ただ、露出した肉を隠す。


骨を隠す。


匂いを少し抑える。


自分でも理由が分からない。


保存ではない。


餌として隠したわけではない。


それに近づくほど食欲も湧く。


だから、むしろ遠ざけたい。


でも、晒したままにしたくなかった。


グレイは、その行動の意味を考えないようにした。


作業を終えると、すぐに離れた。


戻る。


巣へ。


幼生たちの匂いが待っている。


巣に戻ると、幼生たちは入口近くまで来ていた。


骨が少し乱れている。


行こうとしたのか。


グレイが戻ると、二体は一斉に寄ってきた。


「グレ」


「グレ」


そして、グレイの匂いを嗅ぐ。


人間の死体の匂いがついている。


二体の反応が変わった。


興味。


空腹。


不安。


そして、妙な静けさ。


二体はグレイの身体についた人間の匂いを舐めようとした。


グレイはすぐに身体を引いた。


駄目だ。


この匂いを覚えさせるな。


人間の死体を餌として覚えさせるな。


グレイは水場へ向かった。


巣へ入る前に、身体を洗う必要がある。


幼生たちがついてこようとする。


グレイは強く鳴いた。


「グ」


二体は止まる。


不安が流れてくる。


だが、従った。


グレイは水場へ行き、外皮を洗った。


鉱毒を含む水が、人間の死体の匂いを少しずつ落としていく。


完全には消えない。


でも薄まる。


水面に映る自分は、黒い魔物だった。


人間の死体を埋めるようなことをした魔物。


幼生を守る魔物。


人間を食べた魔物。


グレイは水面から目を逸らした。


巣へ戻ると、幼生たちは待っていた。


二体とも、グレイを見る。


「グレ」


声。


匂い。


安心。


人間の死体への興味は薄れている。


だが、消えたわけではない。


グレイの中にも、幼生たちの中にも、何かが残った。


死骸を運ぶ。


巣へ集める。


食べられるものと捨てるものを分ける。


そして、人間の死体だけは、なぜか別に扱う。


その奇妙な法則が、群れの中に生まれ始めている。


グレイは巣の奥で身体を丸めた。


幼生たちは近くに寄る。


眠る前、一体目が小さく鳴いた。


「グレ」


二体目も。


「グレ」


グレイは返事をしなかった。


ただ、外の匂いを探る。


人間の死体の匂いは、まだ遠くに残っている。


幼生たちも、それを薄く感じている。


群れの中に、死の匂いが沈んだ。


それは餌の匂いであり、記憶の匂いであり、触れてはいけない境界の匂いだった。


グレイは目を閉じた。


レオンの声が、ほんの少しだけ記憶の奥で揺れる。


ハルクを逃がせ。


帰れ。


頼む。


グレイは牙を噛んだ。


人間の死体を巣へ運んではいけない。


そう思う。


だが、なぜいけないのか。


その理由を、グレイはまだうまく言葉にできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ