第46話『侵入者』
最初に鳴った骨は、聞いたことのない音だった。
からり、ではない。
こつ、でもない。
鈍い。
重い。
骨が押し潰されるような音。
ごり。
グレイは、巣の奥で一瞬で目を開けた。
幼生たちも反応する。
二体とも身体を低くする。
以前より速い。
もう、骨の音が危険と結びついている。
グレイは入口方向へ感覚を広げた。
重い。
大型。
しかも近い。
入口の骨を踏み砕いて進んでいる。
人間ではない。
岩喰い種より軽い。
だが、速い。
甲殻。
硬い脚。
匂い。
黒殻狩り。
しかも成体。
グレイの外皮がざわついた。
成体はまずい。
以前戦った小型とは違う。
殻が厚い。
脚も速い。
狭い通路でも動ける。
何より、執着が強い。
一度巣を見つけると、深く入ってくる。
ごり。
また骨が砕ける。
入口。
かなり近い。
幼生たちの恐怖が流れてくる。
強い。
冷たい。
逃げたい。
でも、グレイを見ている。
どう動くのか。
グレイは即座に低く鳴いた。
「グ」
奥。
二体は動く。
以前より速い。
裂け目側。
幼生専用に掘った狭い逃げ道へ向かう。
その時、一体目が振り返った。
グレイを見る。
残るつもりだ。
グレイは強く鳴いた。
「グ!」
拒絶。
行け。
その感情を強く乗せる。
一体目がびくりと止まる。
不満。
怖い。
でも従う。
二体目を押しながら、裂け目へ入っていく。
グレイは、それを確認してから入口へ向かった。
ごり。
黒殻狩りが骨を踏み潰す音。
入口の警戒網が壊されている。
黒殻狩りは、骨の音を恐れない。
むしろ、匂いへ真っ直ぐ来る。
巣の匂い。
幼生の匂い。
血の匂い。
全部を嗅ぎ取っている。
グレイは天井へ張りついた。
入口近く。
黒殻狩りが現れる。
大きい。
以前の倍近い。
黒い殻。
太い脚。
顎には骨片が挟まっている。
巣の入口へ頭を突っ込み、匂いを探っていた。
侵入する気だ。
グレイは静かに位置を変えた。
正面からは勝てない。
殻が硬い。
狭い通路では、脚も避けにくい。
なら、巣を使う。
グレイは小石を落とした。
から。
黒殻狩りが反応する。
顔を上げる。
その瞬間、グレイは入口横の骨を前脚で押した。
からりっ!
複数の骨が連続して鳴る。
黒殻狩りがそちらへ突進した。
狭い通路。
骨が崩れる。
その隙に、グレイは背後へ回る。
脚の関節。
柔らかい部分。
そこへ牙を入れる。
黒殻狩りが暴れた。
通路が揺れる。
黒岩が削れる。
グレイはすぐ離れる。
正面へ戻らない。
巣の中を回る。
骨を鳴らす。
別方向で音を出す。
黒殻狩りが追う。
誘導。
グレイは、自分で作った骨の配置を利用していた。
入口近く。
わざと狭くした通路。
大型が通ると、身体を擦る。
そこへ黒殻狩りを誘い込む。
ごり。
殻が岩へ引っかかる。
速度が落ちる。
グレイはその瞬間にまた脚を噛んだ。
黒い体液。
黒殻狩りが怒り、壁へ顎を叩きつける。
巣が震える。
奥の裂け目で、幼生たちが怯えているのが分かる。
不安。
恐怖。
グレイは低く鳴いた。
「グ」
大丈夫。
そういう意味を込めた。
自分でも不思議だった。
戦いながら、幼生たちを落ち着かせようとしている。
以前なら、自分が生き残ることだけ考えた。
今は違う。
奥で震える二体の感情が、戦いに混ざってくる。
それがグレイを動かす。
黒殻狩りが再び突進する。
今度は奥。
幼生たちの匂いを追った。
まずい。
グレイは天井から落ち、顔面へ噛みついた。
柔らかい目の周囲。
浅い。
だが、嫌がる。
黒殻狩りが頭を振る。
グレイは壁へ叩きつけられた。
鈍い衝撃。
外皮が軋む。
痛み。
だが、動ける。
黒殻狩りは奥へ向かおうとしている。
幼生たち。
グレイの中で、何かが熱くなった。
巣を荒らされる。
幼生へ近づかれる。
その想像だけで、怒りが湧く。
逃げるより先に、牙を向けていた。
グレイは、入口近くに残していた黒鼠の骨を前脚で弾いた。
からっ!
黒殻狩りが反応する。
その瞬間、グレイは別方向へ移動し、さらに骨を鳴らす。
からり!
黒殻狩りがそちらへ向く。
誘導されている。
だが、完全には引っかからない。
成体は賢い。
匂いも追っている。
幼生の匂い。
奥。
裂け目。
まずい。
グレイは決めた。
巣の奥へ行かせる前に、止める。
グレイは通路を走った。
自分で広げた横穴。
そこへ入る。
黒殻狩りも追う。
狭い。
成体には少し狭すぎる。
殻が擦れる。
ごり。
速度が落ちる。
グレイは天井へ張りつき、黒殻狩りの上へ落ちた。
今度は脚ではない。
首の付け根。
殻の隙間。
そこへ牙を深く入れる。
黒殻狩りが暴れる。
壁へ身体を打ちつける。
グレイの外皮が裂ける。
痛み。
だが、離れない。
幼生たちへ行かせない。
その感情だけが強かった。
黒殻狩りが後退しようとする。
狭い。
動けない。
殻が岩へ引っかかる。
グレイはさらに噛み込む。
黒い体液が溢れる。
黒殻狩りの動きが鈍る。
ごり。
脚が震える。
もう一度。
グレイは顎へ力を込めた。
ぶち。
何かが切れる。
黒殻狩りが大きく痙攣した。
それから、動かなくなった。
静寂。
グレイは、しばらく噛みついたまま動かなかった。
外皮が痛む。
呼吸が荒い。
巣の中に、黒い体液の匂いが広がる。
幼生たちの恐怖が、少しずつ薄れていく。
グレイは、ようやく牙を外した。
黒殻狩りの死体は、通路を塞ぐように倒れている。
大きい。
重い。
その時、一体目の感情が流れてきた。
熱い。
強い。
興奮。
そして。
誇らしい。
グレイ。
倒した。
その感覚。
グレイは裂け目を見た。
幼生たちが奥から覗いている。
二体とも震えている。
だが、目はグレイを見ていた。
恐怖だけではない。
見ている。
学んでいる。
どう戦ったか。
どう止めたか。
どう守ったか。
グレイは、少し寒くなった。
これも真似されるのか。
戦い方まで。
怒り方まで。
巣を守る方法まで。
《防衛戦闘行動を確認》
《群体中枢への依存度が上昇しています》
《眷属による戦闘観察を記録》
群体中枢。
それはグレイのことだ。
巣の中心。
守るもの。
判断するもの。
幼生たちは、その動きを見ている。
もし、もっと成長したら。
自分と同じように戦い始めるかもしれない。
グレイは黒殻狩りの死体を見た。
大きい。
餌になる。
だが、それ以上に問題がある。
匂い。
大型の死骸は、他の魔物を呼ぶ。
放置すれば危険。
しかし、外へ運ぶには重すぎる。
グレイは少し考えた。
それから、死体を通路へ押し込んだ。
完全には動かせない。
だが、入口側へ寄せる。
狭い通路を塞ぐように。
障害物。
盾。
もし他の大型が来ても、すぐには入れない。
グレイは、その作業を始めた。
幼生たちも裂け目から出てくる。
一体目が黒殻狩りの脚へ触る。
興奮。
強い匂い。
戦いの匂い。
グレイは低く鳴いた。
「グ」
近づきすぎるな。
一体目は止まる。
だが、視線は離さない。
二体目は、グレイの裂けた外皮を見ていた。
傷。
そこから滲む体液。
二体目が近づく。
舐めようとする。
グレイは少しだけ身体を引いた。
だが、二体目はまた近づく。
不安。
心配。
その感情が流れてくる。
グレイは動きを止めた。
二体目が、裂けた外皮へ口を触れる。
痛い。
だが、それだけではない。
幼生たちの感情が流れ込む。
怖かった。
グレイが傷ついた。
でも戻ってきた。
倒した。
守った。
その全部。
グレイは、ゆっくりと目を閉じた。
以前なら、傷つけば隠れた。
一人で耐えた。
今は違う。
傷を見られる。
心配される。
そして、それが少しだけ落ち着く。
気持ち悪い感覚だった。
グレイは、黒殻狩りの死体をさらに押し込んだ。
入口の半分を塞ぐ。
これで大型は入りにくい。
幼生たちはその作業を見ていた。
一体目が、通路脇へ骨を追加する。
真似。
二体目も、小さな殻片を押す。
巣を守る行動。
戦いの後でも、模倣は止まらない。
グレイは、その様子を見ながら、静かに理解した。
群れは、もうただ守られるだけではない。
学び始めている。
巣の作り方。
敵の止め方。
音の使い方。
そして、防衛。
もし次に侵入者が来た時。
幼生たちは、またグレイの真似をするだろう。
それが怖かった。
でも、頼もしくもあった。
グレイは巣の奥へ戻った。
幼生たちが後ろをついてくる。
以前より近い。
戦いの後だからか、依存が強くなっている。
不安が消えていない。
グレイも疲れていた。
外皮の痛み。
顎の痺れ。
だが、奥に入ると少し落ち着く。
巣。
群れ。
戻ってきた。
その感覚。
グレイは身体を丸めた。
幼生たちはすぐ横へ寄る。
一体目は、まだ興奮が残っている。
戦いを思い返している。
二体目は、グレイの傷ばかり見ている。
その感情の違いまで、グレイには分かるようになっていた。
グレイは、低く小さく鳴いた。
「グレイ」
自分を確認する音。
すると、一体目がすぐ返す。
「グレ」
二体目も。
「グレ」
巣の中で、三つの声が重なる。
その時、グレイはふと思った。
もし今日、自分が負けていたら。
黒殻狩りが巣へ入っていたら。
幼生たちはどうした。
逃げられたか。
戦ったか。
それとも、自分を守ろうとしたか。
その想像が、胸の奥を重くした。
群れは強い。
でも、群れは弱点にもなる。
守るものがあるほど、戦わなければならなくなる。
今日のグレイは、確かに以前より危険な戦いを選んだ。
逃げれば生き残れたかもしれない。
でも、巣を捨てられなかった。
幼生を置いていけなかった。
それが、自分を変えている。
グレイは、幼生たちの呼吸を聞きながら、静かに目を閉じた。
巣の入口では、黒殻狩りの死体が通路を塞いでいる。
侵入者の残骸。
守りの壁。
そして、群れが生き残った証だった。




