第33話『討伐隊』
人間の足音は、増えていた。
最初にそれを感じた時、グレイは巣の奥でじっとしていた。
骨と殻を並べた入口。
黒岩の半円状の空間。
奥へ続く細い逃げ道。
水場へ向かう道。
餌場へ向かう道。
人間の封鎖線があった場所へ抜ける隙間。
それらを頭の中で何度もなぞりながら、グレイは静かに外の音を聞いていた。
から。
入口の骨が鳴った。
軽い。
小型魔物ではない。
風でもない。
遠くの振動が伝わって、骨が少し揺れただけだ。
重い足音が、黒岩の通路を震わせている。
一人ではない。
二人でもない。
多い。
人間。
それも、今までよりずっと多い。
グレイは身体を低くした。
匂いが来る。
革。
鉄。
油。
薬草。
乾いた布。
魔力。
血止め薬。
火薬に似た苦い匂い。
弓の弦。
盾の革紐。
そして、人間の汗。
緊張。
恐怖。
興奮。
怒り。
いくつもの感情が混ざって、通路の奥から流れてくる。
グレイは、ゆっくりと入口へ近づいた。
骨を鳴らさないように。
爪を岩へ柔らかく置く。
外を覗く。
まだ姿は見えない。
だが、足音ははっきり聞こえる。
十。
いや、それ以上。
人間の群れ。
ただの調査隊ではない。
ラグドたちのような少人数ではない。
もっと大きな目的を持った集団。
グレイは、その匂いの中にラグドを探した。
いた。
低い、静かな匂い。
警戒。
抑えた怒り。
疲労。
ラグド。
ニルの匂いは薄い。
近くにはいない。
怪我のせいで残されたのかもしれない。
ガランはいる。
重い足音。
盾。
魔力の女もいる。
弓の男は違う匂いが複数ある。
セヴィルもいる。
薬品の強い匂い。
興奮。
隠しきれない期待。
グレイの外皮が、わずかに冷えた。
セヴィルがいる。
なら、これはただの討伐ではない。
捕獲の意図もある。
グレイは後退した。
巣の中は安全ではない。
人間がこの周辺を探るなら、いずれ見つかる。
骨の配置を見れば、巣だと分かる者もいる。
ラグドなら読む。
セヴィルなら興味を持つ。
他の人間なら、壊すかもしれない。
巣を捨てるべきか。
その判断が頭をよぎった瞬間、腹の奥に強い拒絶が生まれた。
ここはグレイの場所だ。
骨を置いた。
匂いを残した。
戻ってきた。
水場への道も覚えた。
外と中を分けた。
帰る場所。
その言葉が浮かび、グレイは身体を硬くした。
帰る場所。
ニルの血から知った感情。
レオンの肉から知った痛み。
それを自分の巣に重ねるのは危険だ。
巣はただの生存拠点。
失えばまた作ればいい。
そう思うべきだった。
だが、捨てると考えると、胸の奥がざらついた。
失いたくない。
その感覚。
これが執着か。
これが弱さか。
それとも、生き物として普通なのか。
分からない。
人間の足音がさらに近づく。
グレイは決めた。
今は巣を捨てない。
ただし、正面から守らない。
人間が来る前に、逃げ道を確保する。
巣の奥の細い亀裂へ移動する。
そこから別通路へ出られる。
ただ、その前に外の状況を知る必要がある。
どこまで来ているのか。
何をするつもりなのか。
グレイは巣の奥から、上方の細い隙間へ入った。
そこは外通路の天井裏に繋がっている。
以前、黒岩喰いの幼体を追った時に見つけた道だ。
狭い。
だが、今の身体なら通れる。
腹を岩に擦りながら進む。
外皮が音を立てないように、ゆっくり。
やがて、通路を見下ろせる細い穴へ出た。
下に、人間たちが見えた。
多い。
やはり十人以上。
先頭はラグド。
隣にガラン。
少し後ろに魔力の女。
セヴィルは中央付近で、二人の護衛に守られている。
弓を持つ者が三人。
槍を持つ者が二人。
盾持ちが二人。
魔法を使うらしき者がもう一人。
荷物を持つ者もいる。
網。
杭。
瓶。
小型の檻の部品のような金属枠。
グレイは、それを見て動きを止めた。
檻。
捕獲。
やはり。
人間たちは、グレイを殺すだけではなく、捕まえる準備もしている。
ラグドの声が聞こえた。
「ここから先、勝手に分散するな。痕跡を見つけても追わない。接触した場合は防御を優先。俺の指示なしに攻撃魔法を撃つな」
槍の男が不満そうに言った。
「魔物一匹相手に、慎重すぎませんか」
ラグドは振り向かずに答える。
「そう思うなら帰れ」
空気が硬くなる。
槍の男は黙った。
セヴィルが穏やかに言う。
「ラグド殿。彼らは王都から派遣された討伐補助員です。言葉を選んだ方が」
「王都から来たなら、なおさらだ」
ラグドの声は冷たい。
「下層を知らない者が、余計な自信を持っているのが一番危険だ」
セヴィルの匂いに苛立ちが混じる。
だが彼は笑っている。
「本日の目的は、対象の行動範囲確認と、可能なら生体捕獲です」
「可能なら、ではない」
ラグドが即座に言った。
「基本は範囲確認。捕獲は最終判断まで行わない」
「しかし、院からの命令では」
「現場指揮は俺だ」
「対象が逃げた場合は?」
「逃がす」
セヴィルが沈黙した。
周囲の人間たちにも動揺が広がる。
逃がす。
討伐隊として入ってきたのに、ラグドはそう言った。
槍の男が耐えきれず言う。
「逃がしたら意味がないでしょう」
ラグドがようやく振り返った。
「意味はある。生きて戻ることだ」
その声は、巣を前にして引いた重い男の声に似ていた。
無駄に死なない。
深追いしない。
グレイはそれを聞きながら、ラグドをさらに危険だと感じた。
この男は、グレイを恐れている。
だが、恐怖に飲まれていない。
恐怖を使っている。
自分と同じように。
セヴィルが紙を見ながら言った。
「とはいえ、対象はすでに人族を捕食した可能性があります」
その言葉で、グレイの全身が硬直した。
人族を捕食。
レオン。
彼らは知っているのか。
完全にではない。
だが、レオンの死体を見つけたのだろう。
あるいは、痕跡だけでも読んだのか。
ラグドは低く答えた。
「可能性ではなく、ほぼ確定だ」
周囲の空気が変わる。
恐怖。
嫌悪。
怒り。
武器を握る音が増える。
グレイは、天井裏で爪を岩に押しつけた。
人間を食べた。
それは事実だ。
レオンを食べた。
殺したのはグレイではない。
下層の戦闘で負傷し、仲間を逃がし、置き去りになった人間。
でも、食べたのはグレイだ。
人間側から見れば、そんな違いは大きくないのかもしれない。
セヴィルの声が少し熱を帯びる。
「人族捕食後の変化が確認できれば、極めて重要な資料になります。言語理解、記憶反応、行動変化。いずれも」
ガランが低く遮った。
「黙れ」
セヴィルが眉を動かす。
「何か?」
ガランは盾を握ったまま言った。
「食われた人間がいる話をしてる。資料じゃない」
少し沈黙。
グレイは、その言葉を聞いた。
食われた人間。
資料ではない。
レオン。
名前のある人間。
グレイは胸の奥が重くなった。
ガランはレオンを知っていたのか。
いや、知らないかもしれない。
それでも、人間が食われたことに怒っている。
人間だから。
仲間だから。
同じ種だから。
セヴィルは小さく息を吐いた。
「失礼。表現を改めます」
匂いは改まっていない。
興味は消えていない。
グレイはそれを覚えた。
ラグドが言った。
「人を食った以上、危険度は上がる。そこは否定しない」
グレイは動かない。
「だが、だからこそ雑に動くな。人の味を覚えた個体だ。血や死体を餌にした罠は、逆にこちらを呼び込む危険がある。誘引に成功しても、制御できるとは限らない」
魔力の女が静かに言う。
「では、接触した場合の優先は?」
「盾で距離を作る。光で視界を奪う。弓は牽制。槍は突き込むな。刺さった槍を伝って登ってくる可能性がある」
槍の男が顔を歪める。
「そんなことまで?」
「すると思え」
ラグドは続ける。
「網は最後。外皮が硬い。絡めても切られる可能性がある。薬粉は最小限。強く当てれば、次に効かなくなるかもしれない」
セヴィルが口を挟む。
「しかし薬剤反応を確認するには」
「確認しなくていい」
「捕獲には必要です」
「捕獲を前提にするな」
言葉がぶつかる。
討伐。
捕獲。
観察。
生還。
人間たちの目的が一つではないことが、グレイには匂いで分かる。
槍の男たちは殺したがっている。
セヴィルは捕まえたい。
ラグドは刺激を減らしたい。
ガランは仲間を守りたい。
魔力の女は合理的に危険を処理したい。
弓の者たちは緊張しながら命令を待っている。
同じ場所にいるのに、それぞれ違う。
この違いは、隙になる。
そう考えてしまう。
同時に、怖い。
人数が多い。
道具も多い。
一人を騙しても、別の一人が補う。
一人が油断しても、ラグドが止める。
群れとして強い。
グレイは、天井裏の穴から人間たちを見下ろした。
もし今、落ちたら。
誰を狙う。
セヴィル。
捕獲を望む者。
だが中央で守られている。
ラグド。
危険だが、反応が速い。
ガラン。
硬い。
魔力の女。
魔法が危険。
槍持ち。
油断はあるが、近づけば刺される。
弓。
距離を取られる。
数が多すぎる。
戦うべきではない。
逃げるべきだ。
しかし、逃げる方向も読まれている可能性がある。
巣を捨てるか。
それとも、人間たちを巣から遠ざけるか。
グレイは考えた。
巣は近い。
このまま彼らが進めば、入口の骨を見つけるかもしれない。
見つかれば終わり。
壊される。
調べられる。
セヴィルが持ち帰る。
骨も、殻も、匂いも。
グレイの場所が暴かれる。
それは嫌だった。
だが、守ろうとして出ればもっと危険だ。
なら、別の匂いを使う。
道をずらす。
人間が進む方向を変える。
グレイは、そっと天井裏から離れた。
細い道を戻り、巣とは逆方向へ出る。
そこには、以前黒殻狩りを倒した場所がある。
古い血の匂いが残っている。
さらに少し先には、岩裂き獣の古い爪の欠片。
強い魔物の痕跡。
そこを使う。
人間は痕跡を読む。
なら、読ませる痕跡を置く。
グレイは、巣の近くではなく、別方向の通路に自分の匂いを少し残した。
わざと。
前脚を黒岩に擦る。
外皮の微かな欠片を落とす。
黒殻狩りの古い体液を引きずる。
そして、骨を一つ移動させた。
音が出るようにではない。
目印のように。
人間が「グレイがこの道を使った」と思うように。
うまくいくかは分からない。
ラグドなら見破るかもしれない。
でも、何もしないよりいい。
グレイはさらに、近くの小型魔物を一匹狩った。
すぐに殺し、少しだけ食べ、残りを通路の分岐に置く。
食い跡を残す。
わざと。
首の隙間に噛み跡。
顎力の跡。
黒岩に体液。
ラグドは読む。
セヴィルも読む。
彼らはそちらへ意識を向けるかもしれない。
巣から離れた方向へ。
これが、道を作ること。
人間から学んだこと。
グレイは、自分が痕跡を残していることに奇妙な感覚を覚えた。
以前は痕跡を消すことばかり考えていた。
今は、残す痕跡を選んでいる。
人間を動かすために。
これは危険だ。
うまくいけばいい。
失敗すれば逆に気づかれる。
だが、やるしかない。
人間の足音が近づく。
グレイは天井へ戻り、遠くの亀裂から彼らを見た。
先頭のラグドが、グレイの残した匂いの場所で止まる。
「痕跡」
セヴィルがすぐに近づこうとする。
ラグドが手で止める。
「不用意に触るな」
セヴィルは不満そうに止まった。
ラグドは膝をつき、黒岩を見る。
「新しい」
グレイの身体が硬くなる。
読まれている。
ラグドは食い跡を見た。
小型魔物の死体。
分岐。
外皮片。
骨。
沈黙。
長い。
グレイは息を殺す。
ラグドは何かを考えている。
セヴィルが言う。
「明らかに対象の痕跡です。こちらへ進んだのでは?」
槍の男が武器を握る。
「追いましょう」
ラグドはすぐ答えない。
ガランが低く言う。
「罠か?」
ラグドが、ようやく口を開いた。
「罠というより……誘導だな」
グレイの外皮が冷えた。
見抜かれた。
しかし、ラグドは続けた。
「だが、無視もできない。この先に巣か餌場がある可能性がある」
セヴィルの匂いが強くなる。
「巣?」
「可能性だ」
ラグドは立ち上がった。
「本隊はここで待機。俺、ガラン、アリア、弓二人で確認する」
アリア。
魔力の女の名だ。
また名前が増えた。
セヴィルが声を上げる。
「私も行きます」
「駄目だ」
「対象の巣なら研究資料が」
「だから駄目だ」
ラグドの声は硬い。
セヴィルの怒りが匂いで濃くなる。
だが従うしかない。
グレイは考えた。
半分成功。
本隊の進路はずれた。
巣から離れる方向へラグドたちが向かう。
しかし、ラグドが来る。
最も危険な人間が。
少人数になる。
逃げやすくはなるが、観察されやすい。
グレイは素早く移動した。
誘導した先へ先回りする。
その通路の奥には、崩れた黒岩と浅い水溜まりがある。
大型魔物は入れない。
小型魔物はいる。
逃げ道もいくつかある。
戦うつもりはない。
だが、ここで人間をさらに別方向へずらせるかもしれない。
グレイは天井の影に潜んだ。
ラグドたちが来る。
ラグド。
ガラン。
アリア。
弓二人。
五人。
ラグドは慎重だ。
足音が薄い。
ガランは盾を前に。
アリアは魔力を抑えている。
弓二人は左右を見る。
隙が少ない。
ラグドが、グレイの食い跡の近くで止まった。
「新しすぎる」
アリアが問う。
「どういう意味?」
「俺たちが来る前に置いた。近すぎる」
ガランが盾を構える。
「見てるな」
ラグドが頷く。
「近くにいる」
グレイは動かない。
見抜かれている。
居場所までは分かっていない。
だが、存在は読まれている。
ラグドが通路へ向かって静かに言った。
「グレイラーヴァ」
呼ばれた。
長い名。
人間の声。
警戒と、奇妙な落ち着きを含んだ音。
グレイは天井で固まった。
「聞いているなら、出てくるな」
ラグドは続けた。
アリアが少し驚いた匂いを出す。
ガランは黙っている。
ラグドは通路の暗闇へ向かって話している。
「俺たちは巣を壊しに来たわけじゃない」
グレイの身体がわずかに動いた。
巣。
知っているのか。
いや、完全には知らない。
だが、察している。
「お前が人を食ったことは分かっている。だから、上は討伐に傾いている。研究院は捕獲に傾いている」
ラグドの声は低い。
「どちらも、お前には最悪だ」
人間の言葉。
自分へ向けられている。
グレイは、理解している。
討伐。
捕獲。
最悪。
意味が分かる。
「逃げろ、と言っても逃げる先は限られる。追い詰められれば、お前はまた変わる。俺はそれが一番まずいと思っている」
アリアが小さく言った。
「ラグド、何を」
「黙っててくれ」
ラグドは言った。
そしてまた暗闇へ。
「血を追うな。人間の死体に近づくな。地上へ向かうな。そうすれば、少なくとも今は時間を稼げる」
グレイは、その言葉を聞いていた。
血を追うな。
人間の死体に近づくな。
地上へ向かうな。
命令ではない。
警告。
人間が自分に向けている。
なぜ。
グレイを助けたいのか。
違う。
人間側の被害を避けたい。
グレイを変化させたくない。
地上に出したくない。
それだけだ。
でも、その言葉には嘘が少ない。
少なくとも、ラグドはそう信じている。
グレイには匂いで分かる。
ラグドは自分を殺したがってはいない。
捕まえたがってもいない。
だが、必要なら殺す。
その匂いもある。
恐怖。
警戒。
責任。
人間の群れを守るための判断。
グレイは、少しだけ口を開いた。
声を出すべきではない。
居場所が割れる。
だが、言葉が喉の奥で動く。
レオンを食べてから、音が作りやすくなっている。
グレイ。
いた。
いく。
やめろ。
そんな断片。
グレイは何も言わなかった。
代わりに、天井の奥へ移動し始めた。
音を出さずに。
だが、アリアが反応した。
「上」
魔力が膨らむ。
グレイは即座に横へ跳んだ。
光が弾ける。
攻撃ではない。
照明。
天井の一部が明るくなる。
グレイの外皮が光を受ける前に、影へ逃げ込む。
ラグドが叫ぶ。
「撃つな!」
弓の弦が引かれる音。
だが、矢は放たれない。
ガランが盾を上げる。
アリアが息を呑む。
「いた」
ラグドが低く言った。
「追うな」
グレイは移動する。
天井から亀裂へ。
狭い道。
人間は入れない。
後ろから声が聞こえる。
「グレイラーヴァ!」
ラグドの声。
今度は少し強い。
グレイは止まらない。
「生きたいなら、人を食うな!」
その言葉が、グレイの中に強く刺さった。
生きたいなら。
人を食うな。
でも、人を食べたから言葉が分かった。
人を食べたから記憶を得た。
人を食べたから、人間をより理解した。
人を食べれば強くなる。
だが、人を食えば人間が来る。
討伐隊が来る。
捕獲班が来る。
自分が変わる。
飲まれる。
追われる。
その全部を、ラグドは言っている。
グレイは亀裂の中を進みながら、牙を噛み合わせた。
レオンの味が、まだ記憶に残っている。
人間の味。
深い。
濃い。
危険。
もう一度食べたい自分がいる。
もう二度と食べたくない自分もいる。
どちらも本当だ。
グレイは巣へ戻らなかった。
まず、別の遠回りの道へ出る。
人間が追跡していないことを確認する。
足音は遠ざかっている。
ラグドたちは戻るようだ。
本隊も動き出す。
討伐隊。
彼らは今日、完全には仕掛けてこなかった。
だが、もう始まっている。
グレイをどうするか、人間たちは決め始めている。
討伐か。
捕獲か。
観察か。
どれにせよ、今までとは違う。
グレイは、人間にとって“放っておけないもの”になった。
それは、レオンを食べたからだ。
グレイは、遠回りして巣の近くへ戻った。
入口の骨は無事だった。
人間は来ていない。
巣はまだある。
グレイは中へ入り、奥で身体を丸めた。
巣の匂い。
自分の匂い。
骨。
殻。
爪。
それらが、記憶酔いの名残を少し落ち着かせる。
だが、ラグドの声は消えない。
血を追うな。
人間の死体に近づくな。
地上へ向かうな。
生きたいなら、人を食うな。
グレイは、小さく口を動かした。
「グレイ」
自分を呼ぶ。
その音の奥で、レオンの記憶が少しだけ揺れる。
ハルクを逃がした安堵。
帰れなかった後悔。
人間の味。
グレイは、その全部を抱えて、暗い巣の中で目を閉じた。
討伐隊は来た。
次は、もっと近づいてくる。
その時、自分は逃げるのか。
戦うのか。
食うのか。
それとも、別の道を作るのか。
答えはまだなかった。
ただ、巣の入口の骨が、遠くの振動でかすかに鳴った。
からり。
それは、もう警告の音にしか聞こえなかった。




